第22話 薪美志茂宗

 兼見が任されているディスカウントストアーは年中無休で、平日に都合を付け有って休みを取る。がここ暫く深紗子に振り回されてそれどころではなかった。やっと兼見は久し振りに休みが取れて、のんびりした朝をキッチンテーブルで迎えた。もっともあれから二、三日経っても深紗子さんからは何の連絡もなかった。やれやれと思う反面そっぽをむかれたかと思う不安も有るが、ここ数日の目まぐるしい新事実に彼女は父と対決して奔走しているはずだ。

 先ずはさっき入れたテーブル上の電気ポットが、湯沸かしから保温のランプに切り替わった。トーストからも焼き上がったパンが飛び出した。冷蔵庫から店で残った賞味期限切れの調理済みの野菜パックとハムを載せて、淹れた珈琲を飲みながら食べ始めた。そこにこの静寂しじまを打ち破るように携帯の呼び出し音が鳴った。

 エッ! 誰だ。まだコンビニしか開いてないこの時間帯に、とスマホ画面を見るとお天気マークを付けた深紗子からの電話だ。ついに来たか。太平も三日天下だったか。いや、四日か、まあ、どっちにしてもつかの間の安らぎに終止符が打たれた。

 深紗子の自宅に向かった。電話では、まず叔父の聡さんについて、父が何故黙っていたのか訊いた。次に初恋の耀紅ようこさんに付いても訊いたが、埒が明かないから来てくれと催促された。何で俺が社長の兄弟や初恋の人の話を聞き出していくのか。幾ら義父になる人でも今は社長なのに、一介の店長が問いただせる訳がない。それでも今日は母が朝から出掛けて夕方まで帰ってこないから、二人でとことん聞き出す、と深紗子は意気込んで応援を頼んできた。

 こんな時は兼見のアパートと彼女の家が近いのをのろった。距離して二キロ強タクシーで基本メーターを少し越える料金だ。上賀茂神社近くの彼女の自宅には十分ほどで着いた。

 インターホンを押すと玄関に出て来た深紗子は、珍しくスカートに薄いベージュのカーディガンを羽織っていた。服装に合わせたのか、いつもよりおしとやかに招き入れてくれた。

「お父さんは ?」

 庭伝いの廊下を先導する深紗子に訊いた。

「奥の居間よ」

 居間と言われてもこの家は全部和室だ。食事も座敷用の低いテーブルだ。その意味が最近判った。此処は上賀茂神社の神職が住んでいた家を改装もしないでそのまま使っていた。その訳を最近知った叔父さんを見てやっと解った。

「今日は休みなのか」

「あなたに合わせてもらったのよ」

 エッ! この一言は凄い重みを感じた。今日は社長でなく、義父だと思って話して欲しいと付け加えると、更に意味深長にならざるを得ない。

「今日はお母さんはどうしたんですか」

「南座のチケットが手に入って友達と見に行ってるのよ」

 何でも得意先関係の人が持っている株主優待券で、南座の鑑賞券がもう直ぐ期限切れになるからって誘われたようだ。なんか俺の今朝の朝食と同じかと笑ってしまった。いや待てよ、これも深紗子がお膳立てしたのか、と一歩前を歩く彼女の横顔を見てみた。全く微動だしない。初恋の相手を死なせたのが、同じ女性として父ほど許せない。その事情に依っては自重じちょうするが、いつ爆発するか解らない。どうやらそれは兼見次第で慎重に質問を選んで訊いて欲しい。

 そんなに長くない廊下が、庭を観賞しながら歩いた所為せいか、はたまた父の不徳を抱いた彼女の憤りを常に頭に響かせたのか、おそらく後者だろう。そんな兼見を悩ました廊下は、一番奥の部屋まで続いている。廊下に面した格子の入った磨り硝子戸の前で、深紗子は引き戸を引いた。八畳の部屋の真ん中に構える座敷机の向こうに社長、いや義父が和服の両袖に腕を通して、穏やかに兼見を見て向かいの席を勧めた。なぜが深紗子は掛け軸の掛かる床の間を背にして座った。実に奇妙な配置だ。そもそも長方形の座卓の向きが横向きだ。お茶の用意をするために中間に座るのなら、深紗子は床の間に向かい合う席に座るのが普通だろう。一度もこの家に招かれたことの無い兼見にすれば、これがこの家でのいつもの光景かと思うまもなく、深紗子は三人分のお茶を淹れ終わった。そこで義父はおもむろに通していた両袖から両手を出して一口飲んだ。

「娘から聞いたが、あの日は大変だったそうだなあ。弟の聡の家に行ったのか」  

「行ったと言うより偶然巡り会っただけですから」

「それもそうだ。俺しか知らないのだからなあ。そのことで今朝は娘と揉めてしまってそれ呼んだのだ」

「それは社長としてですか、それとも義父としてですか」

 ウッと茂宗は言葉を詰まらせると深紗子さんに顔を向けた。対等に話せと言う深紗子の目に、そこまで段取りを付けて来たのかと言う顔付きをした。

「君の好きなようにしろ。此処での事は社内での人事関係には全く関与しない。ただしこの部屋を出るまでだ」

 それで良いだろうと、また目許を締めて娘を視た。これは了解の合図かと、兼見も気を引き締めた。

「まず何が聞きたい」

 これには驚いた。社内会議の席でも普段から黙って聞いて、出尽くした所でおもむろに口を開く社長、いや義父が開口一番に言ったからだ。深紗子も目をカッと見開いて、兼見を視て、さっきは此処までが平行線でこれからよ、とその目は語っている。

耀紅ようこさんの事ですが……」

 と先ずは控えめに出て反応を確かめると、何処どこまで聞き出せるか挑んだ。

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