第21話 耀紅3

 最初に驚いたのは母だった。夜中に急に人が尋ねてきて恐る恐る玄関で訊ねると耀紅ようこちゃんだと判り、母は直ぐにあたしを呼んだ。

「それが青白い顔して立っていれば俺でも驚くなあ」

 兼見は社長の初恋と覚しき人を思い描いたが、矢張り奥さんとは似ても似つかない。それよりキリリとした瞼に幽玄のように浮かぶ瞳を連想した。

「それで耀紅さんはその日は泊まったのね」

 深紗子は話を脱線させるなと横目でチラッと兼見に釘を刺すように言った。

「泊まったって言っても数時間よ」

「じゃあ、夜が明けぬうちに出てしまったの」

「両親が朝起きるまでに部屋へ戻らないと心配すると言って、明け方近くあたしの家からそっと抜け出してたのよ」

「それじゃ此処へ何しに来たのかしら」

「それはこれから話すけれど、あの日、耀紅は相当悩んでどうしていいか解らなくなり自然とあたしの家に足が向いたと云っていた。部屋に入るなりぐったりとした様子だった。とにかく疲れたのね。その日は本当なら茂宗さんは東京へ行く日だったから、見送ってから一旦家に帰って抜け出して来たのね」

 どうしてそんなことをしたのかと聞けば、明日大学の寮に入るために東京へ行くはずだった。でも彼は東京には行かずに、逆に反対側の電車に乗った。即ち神職の道を捨てた彼に納得して見送った。にも拘わらず彼の将来をもう一度熟視すればするほどに、彼女には後悔が化膿した傷のように痛み出すと、たまらずに家を抜け出して、あたしの所へやって来た。あたしの所で聞いてあげられても、決めるのは耀紅だけだと、解っていても訊いて欲しかった。

 茂宗には連絡先が決まれば連絡すると言われて、その日は別れた。がこれから落ち着き先を探す彼には、心の負担を掛けたくない。と心とは裏腹に精一杯の笑顔で見送った。この辛さを判ってくれるのは親友の結希乃だけやと、一時間以上掛けて三月の寒い夜空を見ながら此処まで歩いてきた。

 三月三十一日に茂宗は東京に行くことが決まっていた。二人はこの日までに結論を出すつもりだった。そしてそれに従うと約束を交わした。その二十日間ほど二人にとっては一番過酷な精神状態だった。

 耀紅は来年、もう一度東京の大学を受験する。一浪まではなんとか両親が認めてくれた。でも此の時までは、東京の大学を受験する本当の理由を両親は知らない。別に東京の大学を受験したのは二人だけでなく他にも結構いた。まさか二人が近くの大学へ行くとは誰も思ってなかった。耀紅も合格すれば彼の寮の近くに住みながら一緒に大学へ毎日通う。 三月の中頃まではそんな夢を二人は抱いてその夢に向かって日々励んだ。  

 耀紅は茂宗が行く大学の近くにある大学を受験したが落ちた。そこから二人はどうするか迷った。ともかく茂宗はそのまま受かった大学に行く。耀紅は来年もう一度受験するから共に頑張ろうと励ます。

 東京の大学を通うには出費が多すぎた。それを両親が追求すると耀紅の進学の目的が曖昧と知るや、娘の志望校は私立で学費だけでも大変で、実家から通える公立の大学以外は無理だと言われた。両親にすればハッキリとした理由も無く、そこまでして東京の大学に拘る訳を問い詰める。そこで耀紅はもう一度受験しても、奨学金制度を利用すれば親には負担を掛けないで行けると両親を説得する。

 学費以外にも生活費も要る。あの近くに安い下宿はない。東京には安い下宿も有るが物価や通学費を考えると馬鹿にならない。実際問題として卒業したあと数百万円も借りた奨学金をあんた一人でどないして返せるんや、と現実論で今度は詰め寄られた。

「それでとうとう茂宗さんとの仲を他言無用で白状した。両親もお互い卒業するまでは秘密扱いせんと不味まずいと言われたけれど、そこから親は別の方法で説得を始めたんや」

 何も今からそんな無理しなくても、家から通える大学へ通いながら文通すれば良い。そして二人が卒業すれば一緒になれば良い話で、まだ十代でそこまで深刻に考えるのは時期尚早だと言われた。

 付き合うなとは云わんが、別々に暮らして四年間辛抱しろと言ってる。これに二人は表向きは了解したが、結局駆け落ちして茂宗は都会で就職して、住む所を確保すれば迎えに来ると二人は約束した。実際に三月三十一日までそのつもりだった。耀紅は、彼が目の前で進学を諦めたのは了解しても、彼にはあの集落を千年以上も守り神として存続した薪美志神社を継ぐという重圧は、実際に住んでいる彼以上に、耀紅にその重圧が重くのし掛かる。

『あたし一人のエゴの為に、あの集落の事情を全く無視して台無しにしていいものか、特に彼を見送ると、いよいよその重圧が重くのし掛かり、その重さにこらえ切れずに夜中に家を抜け出して、あなたの所へやって来た。ただ話を誰かに聞いてもらいたい。それは親友の結希乃以外に居ない。そう思い詰めて話すだけ話したら気分が落ち着いて、明日また頑張ろうとしたが、矢張り我を通せば通すほど、あの集落の人々の思いが、茂宗さん以上に身につまされてきたの』

「それでも、この言葉を遺して耀紅は、あの神社にお参りしてから家に帰ると言い残して此処を出たの。そして耀紅は気が付けば葛籠尾崎に向かって果てしなく歩き続けたのよ、そして夜明け前に着いたのよね……」

 この事件が明るみに出ると、耀紅の実家は世間の批判を受けて、娘を失った悲しみに暮れるまもなく、夜逃げ同然に一家は町から去ってその行方は今も解らない。



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