第18話 葛籠尾崎へ

 車に乗ると深紗子は、さっきの無視は何だと思うほど、お高く止まってないし、ツンともしていない。いつものように気持ちを抜くタイミングを心憎いぐらい心得て、その切り替えの笑顔が可愛いく見えてしまう。

「どうする」

「二、三十分で着いちゃうわね」

「何回掛けても電話に出られないんじゃ矢張り留守だろうだけど、しゃあない取り敢えず寄ってみるか」

「そうね」

 疲れたいるのか余り期待してない返事だ。

「しかしあの岬は夜と昼では随分と違う顔を見せてくれたなあ」

 島崎耀紅はどっちの顔に引きつけられたのだろう。この問いに深紗子は戸惑った。

 先日は降り止んだ雪雲の切れ間から覗く月光に湖面のさざ波が照らし出されていた。それはくらい湖面に天から自分に向かって延びる一筋の道にも見えた。同じ場所に居ながら今日の琵琶湖は、大らかに陽の光が全てを包むように湖面全体をきらめかせている。

「彼女はおそらく夜明け前にあそこに立ちすくんだ気がするんだけど……」

 う〜ん、どうかなあ〜。男には面倒くさいと映るが、同性側が見るとそんな感傷的な風景を思い浮かべるのか。

「明るくなるまであの駐車場で待って、夜明け前の薄暗い道を歩いて辿り着いたというのか、それじゃあ社長は三十一日の最終電車で失踪したのか」

「そうね、父がマキノの彼女の家までバイクで送ったのなら分かるけれど、あの駐車場まで送るはずがないもの」

 そんな不人情な父ならもうとっくに母は離婚して、あたしも本当に家を飛び出している。

「そうだなあ、バイクは最終的にはマキノの駅に放置されていたのを随分後で発見されたんだったなあ」

 動機を探るには、まるでバラバラになったジグソーパズルを組み立てるように、資料を集めても手元に残ったピースが少なすぎた。言い換えればそれだけ二人は真剣に付き合っていたのだろう。

「情報が少なすぎて手の打ちようがないなあー」

 と兼見は深紗子を見たが、だからこうして追いかけている、と云わんばかりに彼女は車の行き先に視点を合わすように凝視していた。

「そろそろだけど」

 そうねと深紗子はカーナビを見ながら目的地へ兼見を誘導した。

「着いた」

「誰でもいいから居るかなあ」

「留守なら此の近くで食事をしてもう一回だけ出直すか」

 近くの空き地に車を駐めて実家の呼び鈴を鳴らした。どなたですかと応答があったときに二人は手を取り合って悦んだが、目が合うと深紗子は急に眉を寄せて手を離し、インターホン越しに用件を言った。薪美志の名前に、中年のおばさんが、待ち人来たると言う風に迎えてくれた。

「薪美志茂宗さんの娘さんなの、さあどうぞ」

 彼女は島崎耀紅の親友の寺島結希乃と名乗られて、難破船の漂流者が船を発見したように狂喜した。此処でも深紗子は単なる友人として兼見を紹介している。が寺島は、これからが楽しみな二人だと言ってくれた。

 彼女は離婚して今は実家に戻って父の介護をしていたが、此の前に亡くなって、今は一人でこの家に暮らしている。今日は朝から京都まで出向いて、今さっき帰ったばかりだ。あれから耀紅ようこの彼についてはずっと心にかけていた。その娘さんと聞いて、彼女の喜びようは並大抵ではない。応接間に招き入れて、紅茶と洋菓子を出してもてなした。

「東京に居る子供達より若いのね、晩婚なのは矢張り薪美志さんには、それだけ耀紅を心に留めていたのね」

 まあその辺の話はあなたが生まれる前だから、聞きたいのは耀紅ようこの方でしょうと前もって言ってくれた。お陰で話を持って行く手間が省けて一息吐けた。

「そうなんです、父は何も話してくれないどころか偶然叔父さんと会って知ったのですから……」

「じゃあ、あの集落に行ったの」

「本当に吃驚びっくりしました。あたしと同じ苗字の神社があるんですもの」

 茂宗さんは何にも言わないところか昔のままだと言われた。だいじな人を失った後に残るのは何なのだと、自問していればたとえ娘さんにも語らないのは、それほど大切な人なんだと理解して欲しい。それを聞いて此の人も父に入れ込んでいた一人かも知れないと思った。

「そうですか、隣の人がエンジンの掛け方をミスされたお陰で、あたしの家に辿り着けたってわけなの」

 災い転じて福と成す、この人は福の神じゃないですかと寺島さんは笑っていた。

「でも聡さんとは同窓会で会えたから耀紅のだいじな人の娘さんにこうして会えるなんて縁は矢張り繋がっているんですね」

「円は丸いですから、一方さえしっかり持っていれば巡り会えるもんです」

 兼見の話は何処までが冗談なのか分かりづらいが、その場をなごませるのには打って付けだ。これには気の利いたお友達だと言われた。それにスッカリ気を良くした兼見の足を、深紗子は先方に分からないように踏んづけた。

「耀紅と茂宗さん、あの二人を見ていると一緒になってもおそらく耀紅に落ち度があってもぜったいに手を出さないと思ってましたが、実際あなたの家でもそんな光景は見ませんよね」

「ええ、母が文句を言っても父は笑って流していましたから、一度も母に手を掛けるどころかちゃんと言葉で言って聞かせてました」

「それは立派だわ」

「エッ、普通じゃないんですか」

「四十年ぐらい前は普通じゃなかったのよ。それ以前はもっと酷かったそうですが……。あたしも子供のために我慢して、その子供も独立してやっと離婚しました。でもあの二人には終生そんなことは起こらないのに……」

 と嘆く寺島の姿を見て、深紗子は父と耀紅の関係にこれでやっと迫れた。

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