第17話 葛籠尾崎の怪4

 二人は叔父さんに見送られて社務所を出ると、再び兼見の運転で集落の西にある四足門を目指した。

 叔父さんの家を出て深紗子は感じた。ひょっとして叔父さんは、あの神社を引き継いだ事を後悔していない。それでも四十年も経てばみんなそんなもんだろうか。

「でも神官なんてそれまでは思い描いてなかったのよ」

「なんせこの世界以外は、実力だけが闇夜を照らす指標の管理社会を考えると洞察力にはけていても組織内に於ける実行力の乏しい人には魅力的に映るだろう」

「そうかも知れないけど……」

 今更ながら叔父さんを見れば、生まれながらに神職として持って生まれた素質の様な物を感じたのは深紗子もだけではなかった。兼見も、話を聞かなければとてもピンチヒッターには見えないそうだ。

「それまで別な生き方を浸透させていた叔父さんに不満がないとは言えないわよ」

「どうかなあ」

「みんな大なり小なり持っていながらえているのよ」

「でも、深紗子さん、不満らしい不満がないのが一番不満だって此の前言ったでしょ」

「そんなん憶えてない」

 とそっぽを向かれた。

 車は部外者の出入りを監視した西側にある茅葺きの四足門を通過した。

「お父さんは此処をどんな思いで出たのかしら?」

「長男なら、神社の後継ぎとしての重責を跳ね返すほどの強い信念がどうして芽生えたのか、今となっては社長も痛し痒しだろうなあ。それはそうと行くとすればアポ取った方が良いだろう。それで本人がまだ東京ならなんとか事情を話して連絡先を聞き出さないと」

「そうね」

「でもご両親まだ健在だろうか?」

「内のお父さんの場合はもう祖父母は亡くなってるものね、そっちの方が心配ね」

 とさっそく電話したが留守電だった。

「どうする」

 まだ陽は高かった。

「彼女の心境に迫りたいわね」

「じゃあ、ちょっと寄り道するか」

 此処で二人が目を合わせただけで行き先は決まった。

 出口付近に奥琵琶湖パークウェイの入り口がある。此処で二人は更に無言で視線を合わせた。それを合図に兼見は大きくハンドルを右に切ってパークウェイに入った。二人は展望台の駐車場に車を停めて島崎耀紅しまざきようこが身投げした眼下の琵琶湖を眺めた。

 葛籠尾崎先端付近は標高二百九十三メートルの山を頂点にして琵琶湖に突き出た森に囲まれた半島である。展望台から一キロ先が葛籠尾崎で、半島全体の先端は切り立った崖になっている。

「彼女は此の先を歩いたのかしら」

「パークウェイは半島の尾根沿いに作られて、ここから先の道はほぼ下り坂だから、三十分ぐらいで先端に出られるだろう」

 二人はガードレールの柵を乗り越えて歩き出した。春近しいとは云え気候は肌寒い。お陰で下草はまだ芽吹いておらず背丈の低い広葉樹の若葉もまだ顔を出していない。葉を付けている針葉樹は背丈があり歩くには支障がなかった。なんとか道らしき跡を辿れば急に岩場に出た。その切り立った崖の先には、緩やかな春の陽射しが湖面を照らしていた。

 二人は恐る恐る岩壁の際まで行った。

「ここから身投げすればどうなるの」

「ざっと見ても五十メートル以上はあるだろうなあ。琵琶湖の一番深いとこで八十メートル」

「それはどの辺なの」

「半島が湖に落ち込む此の辺りだから、この崖が湖底まで続いてれば水深は七十メートルぐらいだろうか」

「まだ冷たいでしょうね」

「なんせ此の前は雪におおわれて、それが解けて流れ込むから、飛び込んだ彼女には直ぐに低体温症でそんなに苦しまなくて済んだかもしれない」

「ねぇ、処で、島崎耀紅さんは何に苦しんだの?」

「それは当事者しか解らないけれど、本当に社長がその当事者なのだろうか?」

 暫く二人は崖下から奥琵琶湖全体を俯瞰ふかんした。

「叔父さんの話だと、ここらも桜の木が多いからあとひと月もすれば満開になるって云ってた」

「島崎耀紅さんが身投げしたのは四月一日だからまだ咲き始めたばかりだろ」

「そうね、此の前は此の辺りはまだ雪だったもんね」

「彼女はまだつぼみの桜に見送られたのか」

 それほど急ぐ理由わけ何処どこにあったのか。あるとすれば、それだけ相手の入学式が迫っていたと謂う事か。

「でも可怪おかしい、その当事者以外誰もふたりの事を知らないなんて、そんなに隠し通せるものなの?」

 それが誰にも知れたくない思春期の恋の初々ういういしさか。それでも駐車場からここまで歩いた道のりは平坦ではない。まして集落からでも距離はある。ただ一人への想いだけで、此の道のりを走破した原動力は何処にあったのか。

「どうかなあ。社長はのらりくらりと今まで躱し続けている原動力がこの日の彼女に養われたとしたらどうだろう」

「あの歳になっても?」

「四十年前の色恋なんて世間ではとっくに時効なのに、社長はまだ本当に尾を引いているのだろうか?」

「内の母を見ている限り、父にはそんな面影は何処にもないけれどね」

「それって本当にちゃんと見てるんですか」

「そんなことあたしの知ったこっちやないわよ」

 此処であなたの父に思いを寄せたであろう女性の痕跡の前で、それはないだろう。

「変わり身の早いあなたにひとつお尋ねしてもいいでしょうか」

「もう、じれったい人ね、今更なによ」

「この調査って披露宴にお義父さんの親戚を呼びたい為なんでしょう」

「叔父さんを知ってから父の過去が気になっただけ、それだけよ」

「エッ! それはどう解釈すれば妥当なんでしょう」

 彼女はそれっ切りさっさと引き返した。

 二人はそこから寺島の実家へ電話をしたが、相変わらず留守電にも拘わらず、それでも寄ってみることにした。



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