第14話 葛籠尾崎の怪

 弟の聡を踏み台にして父はあの集落を抜け出したのか。いや待てよ、まだそこまで伺ってない。深紗子はそうでないと気を揉んで浅井の話の続きを期待した。隣に居る兼見は既に義父としての成り行きを見守っているのか。浅井はそんな二人にはお構いなしに続けている。

 俺は高校を出て社会人になってバイクを買って乗り回していた。それに感化されて茂宗もバイクを買った。あれは高校三年生の最後の冬休みを前にして厚手のオーバーやダウンジャケットを着込んでホンダSL百七十五CCのバイクを連ねて毎日走った。茂宗が聡を後ろに乗せて先頭を走り俺が後に続いた。この頃になると俺達は歳を気にしてない。三人とも同じ歳のように振る舞った。

「どうして」

「そうしないといずれ早かれバラバラになるからさ」

 限られた時間の中で此の集落で生かされている立場を知ると、至って単純な答えになる。

「日帰りでのツーリングですよ。あれはオフロード用のバイクでマフラーが上に付いているんですよ、だから山道でも上って行きますから」

「何処へ行ったんですか」

 兼見が訊ねた。

「色々、丹後半島の先まで行った。越前岬も行ったし、伊吹山も車で行けない先まであのバイクで上った。琵琶湖も一周したし、近くの峠はほとんど制覇した。そうなると俺たちはどうしてあんな狭い集落に固執しなけゃあならないのかって良く議論したが、俺はともかくあの兄弟は真剣だった。いずれやって来る別れの日があるからなあ」

「分かれ目ですか」

「人生には何度となくやって来るが、あの集落では一度きりなんだ。残る者と出て行く者たちで人生の命運を分けるから、しかもこれは本人の希望でなく持って生まれた宿命なのが辛いと言えば辛いが、千年も続いた棲み分けが染みついた結果なんだ」

「みんなそうですか」

「多少違っても似たようなもんだ」

 この二人の話に深紗子は業を煮やした。

「お話ですが肝心なものを聞いていません。なぜ父は抜け出したのですか?」

「ああ、その掟破りね」

「エッ! なんでそんな風に言われなあかんの」

「これは裏で密かにささやかれて、表だっては誰も言いませんよ」

「じゃあ父は知らないんですね。そこまでしてどうして父は抜け出したのでしょう」

 それをそのまま素直に言い表せない風習が根付けいる地で、打破するのは新旧の自分の全てを付け替える努力と決断が要る。動くのは本人でもこれには相当のエネルギー供給源となり得る物心両方の支えが要るはずだ。

「父を誘惑するようなそんな人が居たんですか」

「茂宗が誘惑されたか、逆に相手が誘惑する場合もあるからなあ」

「どういうこと」

「あの集落の事情を誰もが知れば、それだけ強い決心を相手に判らせるためにはかなり強いインパクトが要りますよ」

「相手もあの集落の事情を知っていればねぇ……」

 と兼見が深紗子が一番知りたい相手を遠回しに念を押した。

「それは俺もハッキリとは知らねぇんだ」

 あのホンダのSL百七十五CCのバイクに若い女の子が乗っていたのを一度見かけた。ヘルメットを被っているから顔を良く解らないが、しっかり茂宗を抱きしめていたから初めて乗せてもらったわけじゃあねぇと解ったが、余程上手く付き合っているのか、それ以上は判らなかった。判ったときはもう集落を抜け出していた。

「みんなに黙って行ったって言うんですか?」

「どうやら直前には聡には喋ったようだが、聡が何処まで納得したかは知らないが、行ってしまった。あんたは聡に会ったようだが何も聞いてないのか」

「だからこうして浅井さんを訪ねて来たんでしょうッ」

 どう言う関係か聞かされてない浅井に取って、兼見の並々ならぬ勢いに、少しカチンと来たが、それ以上に茂宗の心情に迫りたい娘の代弁だと思えば少しは納得した。

「矢張り女性ですか」

 煮え切らない態度に兼見が問題を提起した。

「まあねぇ、若いもんが心を揺れ動かされる最大の要因は、昔も今もそう変わらんだろう。だからあんたもそうやって彼女を同行させたんだろう」

 直入に切り込んだのに、そのまま直入に返された。

「まあ、フィアンセですから」

 これには深紗子も、まあーと膨れっ面をした。

「言っておきますけれど、決定権はあたしが握ってますから、そのつもりで言動を慎んでちょうだい」

 これには浅井も二人を見比べて笑いを堪えていた。

「とにかく茂宗は悩み抜いて事前に弟に相談したのは女の問題でなく神社の後継ぎで話し合った」

「それじゃあ肝心の話は弟さんには何もしなかったんですか」

「あんたらには恋の話の方が大事だが。わしらのように集落で生まれ育った者には誰が後を継ぐかが肝心な話なんですよ」

 抑圧されれば恋は余計に燃え上がるのが常で、激情の原動力になりやすい。

「聡にも俺にも言わなかったのだから、相当に相手の気持ちを汲んで庇っているのか、それとも双方で気持ちにズレがあるのか、ともかくそんなに思い切ったことはしないとその時は判断したのだが……」

 茂宗が俺たちになにも言えないなんてあり得なかった。そこから推測できるのは、まだ充実した恋じゃなかったのだろう。だが高校卒業した茂宗にすれば翌月から大学への準備をしないといけない。相手は茂宗が神職になるのが反対なんだろうか。しかしこれは絶対に伏せておかないと、茂宗に同調して続く者が出れば、集落そのものが崩壊しかねない。依って此の話は一切不問にされた。だが此の時に奇妙な事件が起こった。茂宗が失踪した翌日に若い女性が、あの葛籠尾崎つづらおざきから身投げしたのだ。


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