第12話 浅井2

 湖北の海津に着いて国道から一般道に入った。ここから先は半島が琵琶湖に突き出ており、そう広くない所に漁港はあった。漁港の背後には山の尾根が迫り、一番狭い所は山裾まで数百メートルだ。国道から外れてわき道に入るほどに、人と家が消えてゆく様に減ってくる。車の往来も減るのは地元の人しか利用しないのか。何とか民家はつらなるが人はまったく見かけない。更にわき道に入ると、空き地と田圃の中に民家が散在して、殺風景な場所になっていた。

「主な道路から逸れてしまうと良く手入れされた民家は目にするけど、人は余り見かけないのね」

「でも水嶋さんから聞いたのはこのあたりだからじっくり表札を見ていこう」

「水嶋さんは行ったことあるのかしら?」

「有るからあんな正確な地図を描いてくれたんじゃないのかなあ」

 茶色くすす枯れた草むらの一角に平屋の建物があった。周りは刈り取られた稲の切り株が整然と並ぶ田圃がずっと続いている。暖かい陽射しが此の殺風景な風景に僅かな彩りを添えていた。

「あっ、あそこにポツンと一軒有るけれどあれじゃない」

 と深紗子は何度も地図と家を見比べた。車はゆっくりと更にわき道に入って表札を確かめた。

「浅井だけど水嶋さん言っていた浅井だろうか?」

「この地図に間違いがなければね」

 二人は周囲の空き地に車を停めて、水嶋さんから聞いた浅井の家を見付けた。周りになんにもないから昼間は良いけれど、夜は随分と寂しそうな場所だ。玄関傍にバイクがあり、これで漁港まで通っているのか。玄関のインターホンを押すと、中から応答があって水嶋さんから伺ったものだと伝えると、戸を開けて迎えてくれた。

 浅井は海津漁協組合の組合員で、漁船も漁港に係留している。山が琵琶湖に迫って、谷あいの開けた場所に人口が集中して、彼の住まいも漁港から一キロも離れていないが、それでも山が近くに迫って寂れた所だ。若い頃はもっと湖岸の人通りの多い場所に居たが、離婚して独りになって此処に住まいを構えた。

 身体からだは細いが、がっしりした六十になる初老の男だ。顔は常に日焼けして浅黒く、如何いかにも漁師顔で、何処が浅井の子孫だと言いたくなる。ただ普段は全く口にしないが、酒が有る量を上回ると、譫言うわごとのように語り出すそうだが、まだほとんどの者が、彼が噂の領域をはみ出し処を見た事がないそうだ。

 兼見と薪美志が名乗ると彼女の名前に浅井が反応した。

「薪美志と云うとあの薪美志茂宗さんとはどう言う関係なんだ」

「父です」

 男は急に頬が緩んで、こんな所で立ち話もなんだから、と中へ招き入れてくれた。

 中はサッパリとしている。入った八畳が居間で、ガラス戸の向こうが寝室かも知れない。居間から上がると直ぐ台所があり、風呂とトイレは出入り口が別に付随している。浅井は八畳の和室の座卓に案内して、台所から湯呑みと茶碗を出して、ポットの湯でお茶を用意してくれた。傍には石油ストーブがまだ点っている。

「こないだまでは雪が降ったが、今日は一転して天気がよくて有り難い」

 とお茶を啜りながら二人にも勧めた。

「今日はわざわざ漁に出なくて待って頂いて恐縮です」

「な〜に決まったわけじゃない。特に最近は余り出ないからなあ」

 どうも家の中の様子を見ると、余り漁具の手入れをしていないようだ。それに気付いたのか、漁に必要なものは別小屋に用意してあるから此処にはなにも置いてないと説明した。先ず深紗子が父との関係をさっそく聞きただした。

「おうー、そうだったのう、娘さんなら一番気がかりなものをそのままにしてしまったわい」

 と浅井は日に焼けた顔を崩して笑った。

「先ずはなにから聞きたいんだ」

 何からも深紗子には何も知らない。依って戸惑った。

「そうねー。先ずは叔父さんの聡さんと父の関係かしら」

「ああ、あの兄弟か」

 浅井とは歳は離れているが子供の頃はよく遊んだ仲だ。あの民宿のおやじもよく知っている。なんせ狭い集落だ。今でも百人ぐらいしか居ない集落で、長男以外は出てしまうから今でも百人ぐらいしか住めず、その子供の数も限られるから、集落を出るまではお互い仲は良かった。裏を返せばそれだけに喧嘩も良くしたが、大人になるまでは集落に居るからお互い様で、切りの良いところで手打ちした。それも跡継ぎの長男が所帯を持つまでだが、早いものは社会人になると集落を出る者もいた。

 薪美志茂宗の弟が先にこの集落を出たが、わしは兄貴が晩婚で結構長く居たから、薪美志茂宗とは年は離れていたが、それだけあの集落では付き合いも長かった。

「まあ、おやじがそれだけ神社を任されていたちゅうことやなァ」

 薪美志茂宗の場合は違った。他の家のようにおやじが勝手に隠居すればいいが、あそこはそうはいかない。なんて言っても集落の守り神として薪美志神社を代々受け継いできた一族だ。勝手に辞められない。その辺を十分に認識して置かないと、茂宗の失踪は中々理解してもらえないだろうし、そう簡単に後から名乗り出るわけには行かない。つまり永遠に薪美志家との断絶を意味していた。集落以外の人間には到底受け入れがたい問題で、人権を無視したように見えるが、それであの集落は千年以上も他からの干渉を受けることなく、脈々と血を絶やさずに保ってこられた。此の意義は大きい。それをそのまま素直に受け入れてもらえないと話は出来ない、と先ずは釘を刺された。




 

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