第11話 浅井

 翌朝、深紗子みさこの指定した時間は早かった。好きな時間に寝起きする人がキッチリ来られるのか、どうせ遅れてくると半信半疑だ。あの結納の席でも双方の両親と兼見義博自身もヒヤヒヤされられた。彼の住んでいる一乗寺から歩いて北大路通で待つと、この日は時間前に彼女の車が北大路通を西に向かってやって来た。歩道から車道へ身を乗り出して手を振るとピタリと目の前で停車した。曖昧な時間感覚とキッチリした停車位置、いつもこのチグハグさが気になる。今日は時間通り来たが、相変わらずジーンズに上着は赤いカーディガンを羽織っていた。今日は天気が良くて暖かく此の前よりは十度も気温が高い。このままいくと二十度は越えそうだ。そのまま助手席に乗ろうとすると彼女は「そこはあたしの席」と入れ替えさせられた。いつもながらぶっきら棒だが、柔らかい雰囲気で伝えられると怒る気にもなれない。あの笑顔には随分と飼い慣らされた。

 運転を代わった兼見はスムーズに発信させると、クラッチの繋ぎが飛躍的に進歩したと言われた。前は発進時にガクンとよく前のめりになり、今日は安心して乗れてドライブが楽しみだと褒められた。どうってことはない、おだてて運転させられたのだ。

 本人もだいぶ馴れてギアチェンジも上手くなり、信号待ちで発進するのがスムーズになった。前回は吹雪混じりの天気でほとんどの車が慎重運転をして彼のエンストも後車は大目に見てくれた。今日は打って変わって晴天に恵まれ、前回とは十度以上も気温が上昇し、此の前の雪が嘘のように桜の蕾も膨らみ始めた。

 暖かくなったり寒くなったりして春を迎える。まるで君と僕の関係のように二人も人生の春を迎えられると言えば。彼女は比較するものが違いすぎて、合っている所とそうでない所がかなりあると指摘された。だいたい気候変動と人の気持ちを一緒に連動しないでよ、とも言われた。これもあの穏やかな笑顔で言われると、俄然と頑張れるから不思議な魅力だ。

 市内を抜け比叡山を越えて琵琶湖に出た。国道百六十一号線は琵琶湖に沿って日本海まで続いている。先日は雪が降る夜の国道を慎重に運転した。今日は一転して朝陽が室内の気温を上げ少し窓を開けて走った。前とは一転して、暖かな朝陽を浴び先日と逆に湖北に向かって走り、水嶋さんから聞かされた浅井の話をした。

「水嶋さんってあなたに対しては随分と念の入れようね」

 黙って頷きながら彼女は聞き終えた。

 今日会う予定の人は、それをあたし達以上に気にして、神経を逆なでしないようにと、水嶋さんは注意を喚起された。あの集落の人々が大事な宝物のように言い伝えている、一種の壮大な叙事詩に理念を持って我々は触れて欲しい。と、水嶋さんは長年懇意に付き合えた秘訣ひけつを私たちに語ってくれた。

「あの人には今の会社に入って随分と流通商品や消費者の購買心理などを教わっても、何をどうすればいいのか、具体的な実践方法はなにひとつ教わってない。すべて自分で、こうしてみようと考えたら上手く行った。コツだけを教わったと言うか受け入れられた。そこが他の人とは違った。水嶋さんは僕に浅井さんの特徴を教えておけば、彼なら上手く聞き出せると、そのコツを伝授されたに過ぎないんだ」

「でも浅井さんに限らず、還暦を迎えて初老の域に入る男の人は、割と頑固に自分の主張を変えない、変えられない、変えたくない。それはすべてに措いて経験に伴う裏付けから来ていると思うのよ」

 意外な博識を披露されて、彼女の知的センスの良さを改めさせられた。

「君は大学で心理学の講義を受けていたのか」

 これにはウフフと白い歯を見せただけだった。

「水嶋さんがどうしてそんな人と今までよく付き合ってこられたのかは、さっきの三条件をすべてクリアして乗り越えているからよ」

「話が回りくどいだけかも知れないが、それだけ心してかかれと云うんじゃないかなあ。ひょっとして、浅井さんは変人扱いされるのを極端に嫌がる人かも知れん」

 誰だってそうだ。それを嬉しがる者こそ本物の変人だ。

「でも水嶋さんの話だと、この世にそんな落ち武者気分に浸っている人って本当に居るのかしら」

「今更ながら落ち武者はないでしょ」

「平家の落ち武者伝説が西国には今も残っているから、それにあやかってるのかしら」

「要するに、こんな風に扱われたくない、と気にしている人にとっては逆鱗になると水嶋さんは注意をうながしたのでしょう」

 深紗子さんにとって、水嶋は生まれる前から父の会社の取り引き相手だ。それは社長との付き合いで、彼女自身は物心ものごころついてから、偶に会っても差し障りのない挨拶程度だ。最近はほとんど本社や三店舗にも顔を出さない。水嶋さんとは入社以来顔を合わせている兼見の方が、彼女より判っている。

「それでも水嶋さんは慎重すぎて、お父さんからあの人は怖がりだと言ってたのよ」

 水嶋さんを見る限り、それをそのまま素直には受け取れない。

「それはどう言う意味だろう」

「余り新しいものには顔を突っ込まないらしいの」

「それは社長の受け売り」

 これには反発した。彼女に云わせれば、父とは一線を画して、あくまでも彼女自身の水嶋に対するものの見方だ。




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