第10話 薪美志家4

 漁師に魚を頼むのでなく、生まれ育ったあの集落について聞くのなら、それ相当の気遣いが必要と、引き受けた以上は、その人の人となりを説明してくれた。

 水嶋さんから聞かされた長年懇意にしている漁師は浅井と言った。彼はそんなに気にする男でもないが、長年の付き合いから風任せに揺れる心のすれすれの所さえ心得ておけば、気さくに何でも聞いてくれる。

「何ですかそれは」

「風任せだから、静かにそっとして欲しいのだ。な〜に、そう気難しい人ではないが、妙な処に拘りを持つ人だ」

 そう前置きされてから話された。

 北近江を支配した小谷城の城主浅井氏に連なる一族で、落城の折にあの隠れ里の集落に落ち延びた。もちろん名前は偽った。だがあの集落では分家は去らねばならぬ。あの集落を去った者は、ほとぼりの冷めた頃に再び浅井と名乗っても、もう誰も疑う者は居なくなった。これを悦ぶべきか悲しむべきか、複雑な心境を抱えて今日まで来ている。この逸話を紹介してくれた水嶋さんが、もっともらしく語ってくれた。何処どこまで事実か判らんが、そう思って接していれば、あの男には気分が良いからと教えられた。

「それともう六十近い人だが、随分前に奥さんと別れた。先ずその人には家族と謂う概念がない。いや、ないから別れたと言った方が確かだろう」

「家族ですか」

「これから一緒になって家庭を築こうとする者には、夢をそぎ落とす話かも知れんが。人生の終活になればその価値観は一変するが、今は聞き流して、その浅井と謂う人は最初から持ってなかった。いや、持てなかった。それがあの限られた集落で切り離される家族を前提に育った人の宿命だろう。だが全ての人がそんなに絶望感を持ってない。浅井さんは特別な人と思って接していれば何も問題なく知りたい事を言ってくれる」 

「じゃあ、最初から訪ねる動機を話すんですか」

「そりゃあそうだろう。漁師に魚以外の物を訊ねるんだから、それでも私の頼みならと聞いてくれるんだから、それぐらいの配慮は必要だろう」


 彼女はおそらくこの返事には首を長くして待っていると真っ先に電話した。だが電話口から聞こえた彼女の声は、予想に反してリラックスしていた。どうも今日は母親と一緒に出かけたと聞いて、なんなのだと云いたい。本を正せばその母親との喧嘩だったのに、もうすっかり元に戻っている。

「それでどうだったの、あの民宿の常連客は見つかったの」

「いや、それが全然ダメだ」

「さっきの推理は当てずっぽッなの」

 そう言われると返す言葉もない。

「両親の何が不満なんですか」

「別に不満がないのが不満なのかしら」

 これには参った。

「なんだそりゃあ」

 いったいどんな顔をして言ってるのか、観てみたいもんだ。

「昨日の今日なのに、お母さんとのウインドショッピングはどんな具合だったんですか」

「ほぼ満足、問題はお父さんで一致したから」

 これではこっちが不満だらけだ。

「そうか、それよりひとつ疑問があるんですけど」

「何?」

「どうして昨日は飛び出した行き先を、お母さんは知ってたんですか?」

「あそこが一番綺麗だから、此処ここなら心が癒やされると以前、お母さんと観て共通できていたから」

「なるほど、それが一卵性双生児の親子たるゆえんか、そんなことよりあの集落について詳しい人を見付けた。今度の休みでいいだろう」

「どうもこうもないわよ、日が無いのよ。明日休みを取って頂戴ッ」

「エッ! ちょっと待って水嶋さんともう一度変更できるか向こうの予定を聞いてみないと判らんから」

 と電話を切り掛けると、まだ話は終わってないと甲高い声で催促された。

「だから水嶋さんには協力してって言ってよ !」

「解りましたよ。そもそも今回の騒動で気になった社長ですが、あの奥さんはすべて知ってるんですか、例えば社長の実家まで行ったんでしょうか ?。まあ結婚してるんですから双方の両親を紹介しますよね、如何どうなんです」

「どうって言われても、あたしが知る訳ないでしょう」

 やれやれ、そっちの実家の話なのに、それを言い出せば婚約破棄を言いかねない。これが辛いところだ。

「そもそも両親の馴れ染めはなんなのですか、恋愛か見合いか、どっちにしてもお互いの家族を知らないのはどうかと思う」

「そっからつつくか、それは前も云ったでしょう」

「でもね、深紗子さん、あなたのお父さんでしょう」

うるさい! とにかく明日、あたしの車で迎えに行くから都合付けといて」

 と電話を切られてしまった。

 さあ大変だ。直ぐに水嶋さんに電話して浅井さんの都合を取り付けないといけない。やれやれと思うまもなく、水嶋さんに電話して平身低頭電話越しに頼み込んだ。

 此の際、あの我が儘娘の言い分をそのまま伝えると、最初からそう言えばよかったのに、と言われてしまった。

「私には気兼ねは無用ですから、あなたが店に来られたときからそのように接しているでしょう」

 ああ、そうだった。品物しなもんの売れ筋を知らない私に、一から此の人におそわった。そこから応用して販路を広げながら、何を必要としているかのコツを掴ませてもらった。お陰で水嶋さんには頭が上がらないが「あたしは遣り方だけ教えただけで後はあなたの才能ですよ」と言われた。それからも謙遜けんそんされて、横柄な態度は一度も見たことが無い。そんな水嶋さんらしく、何も聞かずに懇意にしている浅井さんに、明日の都合を取り付けてくれた。



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