第4話 深紗子4

 民宿の亭主が言った神社は二百メートル以内にあった。神社処か全ての集落が歩いて十分以内に収まる距離にあった。神社の表にある石柱に描かれた薪美志神社の文字を見て「ああ、あのおじさんはこの事を言ったのか」と納得した。だがその先はまだ納得していない。

「親戚に神社の神主さんが居るなんて、社長からは聞いてないよ」

「あたしも」

 二人は顔を見合わせて石段を登り拝殿に向かう石畳を、恐る恐る歩き出した。拝殿に行くまでに社務所があった。その脇に普通のガラスの格子戸があり、こちらには普通に薪美志の表札が掛かっていた。

「確かにうちと同じ名前」

 深紗子は生まれてこの方、初めて自宅以外に掲げられた表札を珍しそうに見た。

 ごめんください、と深紗子が引き戸を開けると、待っていたかのように玄関に穏やかな表情をたたえた父に近い年配の人が現れた。深紗子は現れた男をじっくり観察した。そう言えば目元と他にも、父と共通点を何カ所か見付けた。家の身内を良く知らない兼見にすれば、思い込みが強すぎないかと注意された。向こうは顔形より滅多にない苗字、そのものが強い身内の絆になっていた。

 この集落は古代から琵琶湖水運の中継地として栄えた長い歴史があった。三方を山で囲まれたこの中継地は、周辺との交流は余りなく、村落は共同体として近年に及んでいる。おそらく薪美志神社も代々その子孫が、集落の守り神として受け継いで来た。

「事情は民宿をやってる円城寺えんじょうじさんから聞いた。とにかく外は寒いから家へ上がって」

 と招かれてしまった。

「お隣の人は?」

「ああ、申し遅れまして、兼見と言います」

「エッ! その人は薪美志さんとちゃうのかいな」

「いや、近々薪美志になるんです」

「そう言う関係の人なら何も問題おまへんなあ」

 と確認するように深紗子を見た。すると兼見は間髪入れずに。

「結納まで済ましてますから」

 と説明した。

「それはおめでたいですなー。茂宗さんところはあんた一人やさかい、絶えて仕舞うのかと気を揉んでいたが、これで内の一族は繁栄でっなあー」

 ええ、と半ば戸惑い気味に返事をした深紗子は、兼見を要らんことを云うとめ付けた。

 奥さんと二人で住むには結構広い家だ。兼見は寒さからしのげるとばかりにお邪魔する。深紗子もそのつもりで来たが、どう謂う親戚なのかまったく聞かされにず解らない。その戸惑いが足に伝わり、兼見より億劫になってしまった。

「深紗子さんは何も聞いてないですか?」

 更に兼見の質問が追い打ちを掛けた。 

「まあそれより、なんでうちの名前を知ってはるんです?」

 エッ! とこれには神主も驚いたようだ。

「お父さんから何にも聞いてないんですか」

「ええ、まあ」

 案内された部屋は意に反して洋室だった。ローテーブルを挟んで向かい合うソファーに勧められて二人は座った。奥さんからさっそく熱いミルクティーを出されて、冷えた身体に染み込むとほっと一息吐けた。

 深紗子さんが家のことは何も知らないのに夫婦は驚いた。

「お父さんの茂宗さんとは兄弟で本来ならあんたのお父さんがこの神社を継ぐ人やった」

「父の弟? と聞いても、民宿の人には、いとこかと言われましたけれど……」

「はあーん、それはあんたを見て言わはったんや」

「今初めてそう言われても、うちにはなんのことかよう解らんのですけど……」

「そうか、此処を勧めた民宿の円城寺さんも殺生な人やなァ。なんにも言わんと案内したのか」

「でもあの人は泊まり客に、此処の観光案内をするのがおもだから、そんなよその家庭事情なんて話しませんよね」

 横から余計な事を口を挟む人だと兼見を見るが、彼なりに一生懸命にその場を取り繕っているのも解るだけに余り文句も言えない。これが効いたのが叔父さんはそんなに気分を害してない。

「わしにも一人息子が居てるさかいなあ。まあ今は東京の大学へ行ってるけど、二浪してるさかい、もうあんたと同じ年頃ちゃうか」

「じゃあ、もう六年近く、帰って来なければどうしてるんです」と兼見が訊く。

「あんたのお父さんと同じにはならんと思うが、なんせ近くにコンビニもないさかい若いもんが居着かんようになってくるさかい、どゃろう」

「父の二の舞い。今初めてそう言われても、うちにはなんのことかよう解らんのですけど。それじゃあ此処で父はどんな風に暮らしはったんです」

 もう四十年も昔の話やが……。

 お父さんの茂宗さんが十八歳の時に神社を継ぐのが嫌で此の集落を飛び出した。この狭い限られた土地しかない集落では長男しか居残らない。次男以下は青年になると此処を出る宿命だ。次男以下は此処では分家するにも空いた土地がない。それでわしは早うに此の集落を出て、同じ湖北の開けた場所で所帯を持ったが、本家の茂宗さんが飛び出して行方不明になった。そこで集落で協議した結果、わしにこの神社を継かされた。最近になってあの民宿の泊まり客から兄の茂宗さんの消息を聞かされて、一人娘の深紗子さんと奥さんの三人で、今は京都近辺に三店舗持つ経営者としてやっていると聴かされた。泊まり客の人もそれ以上のことは知らんようで、何処でどんな風にやっているのか解らないが、とにかく兄は無事で一旗挙げたと解った。そう遠くない所に住んでいれば、いずれ近いうちに再会できると期待はしていた。

「何で父、茂宗はこの家を出はったんです?」

「さあ、そこや、それは弟のわしには言わんと黙って出て行きよった。まあ、それも近いうちに娘さんの結婚を控えていたら、その内に身辺についてもその辺の事情は説明しゃるやろ」

 先ずお父さんに聞きなさいと言われてしまった。


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