ドッペルゲンガー

水細工

第1話 八尺様 vs ハンマー少女

「出席とるぞー。呼ばれたら返事なー、赤野ぉ」


「はい」


 小太りの男性教師が気の抜けた声で出席番号の順に生徒の名前を呼んでいく。


傘村かさむらぁ」


「はい」


 いつも通りの朝。いつも通りの平和な日常。

 傘村ガイハは退屈していた。


リィィイン ゴォォォン ガァァァアン ゴォォォオン


「じゃーホームルーム終わりにしまーす」


 チャイムがなると男性教師は教室を出ていった。

 生徒達の動きが活性化し、そこかしこで笑い声やふざけ半分の悲鳴が上がるようになる。


 ガイハは廊下のロッカーに1時間目の物理の授業の用意を取りに行く。そしてそのままの足で物理室へと向かった。誰もいない物理室の自分の席に腰を下ろしたガイハは、ロッカーから物理の用意と一緒に持ってきた雑誌を机の上で開いた。


『月刊ミュー7月号 都市伝説、八尺様は実在した!? 』


『エジプトのピラミッドに正体不明の地下室が。壁画に宇宙人が描かれていた!? 』


『実録!! 危険度MAX心霊スポット調査記録!! 」


 ガイハは一枚ずつ丁寧にページをめくっていき、その度に何かを考えるように虚空を見つめる。熱中するあまり、ガイハは自分の前の席に誰かが座った事にしばらく気が付かなかった。


「また随分と集中してるな、ガイハ」


「……なんだコウか。驚かすなよ」


「嘘つけ。驚いてる顔じゃないぞ」


 そう言って笑うと、柳沢コウは自分もガイハの読む雑誌に目を落とした。


「この雑誌、いつも似たような記事ばっかだよな」


「そうだな」


「……この間の調査はどうだったんだ」


「収穫なし。単なるデマだった」


「そうか」


 コウは残念そうに言った。

 調査というのは、ガイハの所属するオカルト研究会で定期的に開催される心霊スポット探索のことだ。

 強制参加では無いが、ガイハは調査に度々参加している。

 だが入学から2年間、これと言っためぼしい発見は無いままだ。


「……そろそろ良いんじゃないか? 」


「何がだ? 」

 

 コウが何を言いたいか分かった上で、ガイハは聞き返す。


「都市伝説とか追っかけるのだよ。ガイハの成績ならまだどこでも目指せる。潮時じゃ無いかと思ってな」

 

「…… 」

 

 ガイハはただ無言で雑誌のページをめくった。

 コウはガイハの幼馴染だ。お互いの事はよく知っている。コウの言葉が純粋に親友を案じる物なのをガイハは分かっていた。だが、どうしてもコウの問いかけに「そうだな」とは返せなかった。


 

 授業の開始まで五分を切り、生徒たちが物理室に入って来た。コウは全体の席の半分ほどが埋まったタイミングで自分の座席へと戻って行った。

 チャイムと同時に、髪の薄い中年の教師が部屋に滑り込んでくる。


「えー今日からは新たな章を学びます。では皆さん教科書の120ページを開いてください」


 周囲の生徒が教科書を開く中、ガイハは一人だけ雑誌を読み続けた。


 ガイハにとって物理は苦手でも嫌いでも無く、むしろ昔は好きな教科だった。だがある時を堺に、ガイハは他の教科同様に物理にも楽しさを感じなくなってしまっていた。

 今のガイハには毎日が退屈だった。


「……くそ」


 ガイハは非日常を求めていた。


 高校に入ってガイハは髪を緑に染めた。そうすれば他の人と差別化できると子供じみた事を思ったからだ。

 高校でガイハは学年トップの成績を維持し続けていた。地頭はあまり良くなかったが、その差は執念の努力で埋めた。成績で頭角を表せば、普通じゃない誰かが自分に目をつけてくれるのでは無いかと思ったからだ。


 ガイハにとっては非日常を呼ぶための努力が日常だった。最近では心霊などを追いかけて毎日無駄な骨を折り続けている。


 なぜこうなってしまったのか、ガイハにはよく分からなかった。高校に入ってからというもの、ガイハはいつもの日常に、真綿で首を絞められているかのような慢性的な息苦しさを感じ続けていた。

 そして恵まれた人生を送る自分が、退屈に苦しんでいることに強い自己嫌悪を覚えて、余計に息が苦しくなるのだった。


「壊してくれよ……」


 無意識に、消え入るような声がガイハの口から零れた。




 

 ガシャァアアアン!!! 



「は? 」


 突如として教室に破壊音が響き渡る。

 ガイハは音のした教室の後方へ振り返る。



 1人の小柄な少女が、教室後方の巨大な天窓を窓枠ごと突き破り、部屋の中に降ってきた。

 

 バギキッ べキャッ


 ガラス片が降り注ぐ中、少女は白いシーツのような何かに乗って平然と床に着地する。

 黒いTシャツに短パンというラフなその格好は、少女の凶暴で美しい横顔によく似合っている。


 教室の中の全員の視線が、突然現れた少女に釘付けにされる中、白いシーツのような物はスルリと少女の足の下を抜けた。

 シーツの隙間から細い手足と、黒い長髪の生えた頭が姿を現す。薄っぺらなシーツは、間も無くワンピース姿の大柄な女へと変貌した。


「ぽ ぽ ぽ ぽぽぽぽ」


 女が奇妙な声を上げる。

 女の顔は空洞だった。顔のあるべき部分が完全に後頭部へと突き抜け、正面から見れば後ろ髪がハッキリ見える。


「ケッハァッ!! なんだ頑丈だなぁ! 」


 そう言って笑うと、小柄な少女は飛び散ったガラス片を踏み砕きながら、女の元へと詰め寄って行く。

 その手には、少女の華奢な体にはおおよそ似つかわしくないスレッジハンマーが握られている。


「体を縮めれば強度が上がるのかぁ? 豆粒サイズにまでなるとはな。八尺の名前が泣いてんぜ? 」


 少女は女の腕をハンマーの頭で指す。

 女の腕には、鈍器で殴られたような痛々しいアザがあった。


「ぽ ぽ ぽ」


「うおっとぉ! 」


 女が右腕を少女に向かって振り抜いた。少女は女の腕をハンマーの柄で受ける。

 女の爪はナイフのように長く鋭く伸びていて、正に凶器そのものだ。


 だがそれを向けられた少女は涼しい顔を崩さない。対して女は徐々に腕を押し返されている。両者間の力の差は明らかだった。


「2度目は耐えられるかな」


 女の爪を容易く弾き、少女は楽しげに笑う。

 すぐさまワンピースの女は少女に踊りかかる。


 だが女の抵抗を嘲笑うように少女はスレッジハンマーを振り上げ、女の頭へと振り下ろす。


「そらよっ! 」


「ぽ——」


 ゴリュゥッ!


 鈍い音を立て、床に叩きつけられた女の頭は爆裂する。

 飛び散った頭の残骸は、ハンマーの頭を中心放射状の模様を描いた。


 

「ふぅ。ざまぁみやがれ高身長」


 床に少しめり込んだスレッジハンマーを引き抜き、少女は野蛮に笑う。そしてあまりの怒涛の事態に誰も何も言えない中、少女は何事も無かったかのようにスタスタと教室を出て行った。




「……なんだったんだ、アイツ」


「あれ本物の、し、死体……!? 」


「だ、大丈夫だよ! 流石にテレビのドッキリとかですよね? 先生!? 」


「わ、私は何も聞いていません」


 教師の言葉で好き勝手に喚き立てていた生徒たちが青ざめ、黙り込む。


「……ひとまず私は警察に通報します。皆さんは……ここで待っていてください」


 そう言い残すと教師は教室を出て行った。まるで通夜のように教室が静まり返る。

 そんな中、ガイハの目は頭を潰され地面に伏したワンピースの女に釘付けにされていた。


「……人間じゃない」


 ついさっき読んだ雑誌の内容がガイハの頭をよぎった。

 『八尺様』は2メートルを超える長身でワンピース姿の女。黒髪の長髪で「ぽぽぽ」という奇妙な声を発する。

 目の前のそれは身長こそさほど高くは無いが、他の特徴は『八尺様』そのものだ。


「本物、なのか? 」


 ガイハは自分の心臓が高鳴るのが分かった。


「おいガイハ。さっきのって」


「コウ。ちょっと待ってて」


 前の方の席から駆け寄ってきたコウを、ガイハは手で制する。


「ちょっとだけ、考えさせてくれ」



 傘村ガイハは退屈していた。


 だが、ガイハと同じような人間は現代社会に無数にいる。その多くは非現実的な刺激を求めていながらも、いざそれを目の前にすると萎縮してしまうものだ。


 彼らが求めるのは。ガイハはそれを理解すると同時に、自身も同じなのではないかとも思っていた。本物の非現実と遭遇したら、自分は退屈な平穏を取るのではないか、と。


 そして、それを望んですらいた。もしこの感情の正体がその程度の物なら、自分が子供だっただけだ。踏ん切りがつく。


 大したことじゃ——




「待ってくれ!! 」


「おい、ガイハ!? 」


 はたして、ガイハはただ1人教室の外へと駆け出した。

 階段の踊り場で少女を見つけ、その手首を掴む。

 少女は怪訝そうに顔を顰めて振り向いた。


「なんだ、お前」


「俺を連れて行ってくれ! 」


「ハ? 」


 ガイハの言葉に少女は困惑する。少女は自分がさほど賢く無い事は分かっていたため、しばらくガイハの言葉を考えてみたが、余計に困惑が深まるだけだった。


「……意味わかンねぇ。お前、あたしと初対面だよな? 連れてくって、今からあたしがお前をか? 」


「ああ! 」


「何でだ」


「あんたに話を聞きたいんだ。さっきのヤツとか、あれはどう見ても人間じゃなかった。もしかしたらあんたも——うっ!? 」


 異様な雰囲気に襲われ、慌ててガイハは少女の腕から手を離した。


「そこまでだ。ここからはちっとばかし言葉を選んでもらうぜ」


 少女が床に置いていたスレッジハンマーの頭をすこし浮かせる。


「あたしも暇じゃねぇ。それにベラベラと他人に話せるような軽い話じゃねぇのはお前も分かンだろ? チャンスは一度だ。なんでも良い。あたしが納得できる理由を10秒で言ってみせろ」


「10秒……ッ」


 本音か、気に入られるための嘘か。嘘なら何を言えば目の前の少女の心を動かせるのか。

 わずかな逡巡の後にガイハが選んだのは。


「……俺は、ずっと苦しかったんだ」


 純粋に自分の本音をぶつけることだった。


「毎日が灰色で、退屈だった。でも、そんな俺の世界をさっきあんたは変えてくれた! 危険なのかも知れない。馬鹿なことだって思われるかもしれない。けど、俺はあんたのいる世界に行きたいんだ! 」


 地面に額を付け懇願する。


「頼む……! あんたと一緒に、行かせてくれ! 」


 これは傘村ガイハにとって一世一代の好機であると同時に、一世一代の賭けでもあった。

 下手をすればさっきのワンピースの女のように、床のシミにされるかも知れない。恐怖で心臓は破裂しそうな程鳴っていた。


 それでもここで逃げれば自分はどうせ死んだも同然だ。

 賭けるしかないんだ。




「……そういう感じか。まーあたし美人だしな。しょーがねー」


 少女は何かを一人合点し手を打つ。


「いいぜ。積極的なのは嫌いじゃねぇ」


「ッ! てことは……! 」


「お前の希望通りにしてやるっつってんだよ。さっさと着いてこい」


「……ッはい! 」


 自分の胸の高鳴りがまるで別種のものに変わったのがガイハには分かった。モノクロームだった世界に初めて色がついたような気分になる。思わず目元から熱いものが溢れ出した。

 

「ケハハハッ。初心な反応だなァ」


「す、すみません。本当に嬉しくて」


「急に敬語使い出してんじゃねぇよ、気持ち悪りぃ。でもそうか」


 少女はガイハの手を掴んだ。


「そう言われちゃ悪い気分はしねぇ」

 

「え、あのどうしたんですか急に」


「あ? なんだ、こういうモンだろ。遠慮するなよ」


 ガイハの指に少女の指が絡む。


「お望み通り、あたしは今日からお前の彼女なんだからよ」

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