第9話 相思相殺(後編)

 アルクとの思わぬ遭遇から、数時間後。

 セリカたちと、穴から救出されたフェルディナンドは、屋敷に戻っていた。

 

 彼女らにとってあまりに残酷で非情な、手がかりとともに。




「先輩……大した怪我じゃなくて、よかったですね」


 

 フェルディナンドの傷を癒やしていたアリシアが、ほっとした様子で呟く。


 落とし穴に嵌まったあと、彼は下の階層から自力で彼女たちのもとへ戻ってきたのであった。落下時の衝撃は大した怪我にはならなかったが、さらに深層の魔物たちの相手はさすがに彼でも堪えたようで。

 


「ああ。なんとか受け身を取れたのが幸いだった。にしてもまさか、オレがあんな見え見えの罠に嵌るとはね……」

 

「まったく……アンタじゃなかったら死んでたわよ」

 

「ハハ……本当に、すまなかったと思ってるよ」

 

 

 呆れ顔でため息をつくクレアに、フェルディナンドは返す言葉もなく苦笑いを浮かべる。主力の自分が抜けたことで彼女らが陥った状況は、彼には計り知れない。


 

「……それで、セリカちゃんの様子は?」


 

 改まって、フェルディナンドは二人に訊ねる。

 クレアはアリシアと顔を見合わせると、困り顔で答えた。

 


「それが……ダンジョンから帰ってから、ずっと――」


 


        ***


 


 屋敷の一角の、小さな一室。

 セリカのために繕われた空き部屋に、彼女は閉じ籠もっていた。


 

「兄さん……どうしてなの……」


 

 嫌でも脳裏に浮かぶのは、自分を拒絶したかつての兄。

 自分とは違う誰かを選んだ、変わり果てた兄の背中だった。


 

「せっかく会えたのに……」


 

 縮こまり、セリカは自らの膝に顔を埋める。

 無機質なベッドの上で、彼女は失意の底にいた。


 するとしばらくして、静かにドアがノックされた。


 

「……セリカ、いる?」


 

 彼女の沈んだ心を慮るような、落ち着いた口調。

 セリカは顔を上げて、すぐさまそれに答えた。


 

「は、はい! どうぞ、フェオリアお姉さん……」

 

「ん、急にごめんね」


 

 部屋着に着替えていたフェオリアは、部屋に入るとゆっくりと扉を閉めた。それから何を言うでもなく、セリカが座り込んでいたベッドにそっと腰掛ける。


 

「大丈夫……じゃない、よね」

 

「あ、いえ……わたしはもう、いいんです」

 

「……いいって、何が?」

 

「兄さんのこと……もうこれ以上、皆さんに迷惑をかけるわけにもいかないので」

 

 

 無理をして、セリカはなんとか笑顔を取り繕った。

 そのあまりの痛々しさに、フェオリアも頬を歪ませる。


 

「諦めるの?」

 

「……どうなんでしょう。わたしもよく、わからないんです」

 


 苦笑を浮かべ、セリカは自分の膝に顎をおいた。

 たどたどしく本心を語る彼女に、フェオリアは寄り添うように耳を傾ける。


「あのときわたしたちを助けたのは、間違いなく兄さん――いえ、兄さんだったものでした。どういう経緯で助けに来てくれたのかはわかりませんが、使う魔法も、声も背丈も全部変わってなくて……。でも、わたしの呼びかけには答えてくれなかった」


 ――違う誰かに、なってしまった。

 セリカは俯きながら、絶望に溢れた寂しさを吐き出した。


 

「もう、わたしの知ってる兄さんは帰ってこないんじゃないかって……これ以上何を続けても、わたしが傷つくだけなんじゃないかって……そう思ったら、わたし、もう何もしたくなくなって……!」

 

 

 彼女の心に空いた穴は、途轍もなく大きかった。

 その穴は、誰のどんな言葉も感情も埋めようがない。それの持つ弱さは、何者にも補いようがないのだ。


 ただ、彼が帰ってくること以外では。



 

「自分が傷つくからって、諦めるの?」



 

 だが、フェオリアはその弱さを許しはしなかった。


 

「え……?」

 

「セリカたちの絆は、一回無視されたくらいで諦めるくらいのもの?」

 

「っ、それは……」


 

 言い淀むセリカに、フェオリアは向き直る。

 そして口下手ながらも、彼女を激励しようと試みた。


 

「そもそも、あのアルクシスコンが何の事情もなくセリカを見捨てるなんて、ありえないよ」

 

 

 俯いていたセリカが、はっと目を見開く。

 フェオリアはふっと微笑みながら、話を続けた。


 

「あいつはああ見えて、人とのつながりを何よりも大事にしてる。……私のときも、そうだった」


 

 それからフェオリアは瞳を閉じ、自分の過去を回顧していった。


 村を出たアルクを追って、自分も冒険者になったこと。

 二年ぶりの再会にも関わらず、真っ先に彼が自分を見つけてくれたこと。

 駆け出しだった自分を、快くパーティに迎え入れてくれたこと。

 

 彼の心意気に救われたのだと、フェオリアは語った。

 そして肝心の自分は、それを大事にできていなかったことも。


 

「そんなあいつが、たった一日やそこらで、自分の妹のことを忘れるわけない。あの言葉にだって、アルクのことだから、何か意味があるんだと思う」

 

「フェオリアお姉さん……」


 

 セリカも顔を上げ、彼女の言葉に応えた。

 虚ろだった少女の瞳に、少しづつ光が戻っていく。


 フェオリアはセリカの手を取り、慈しむように握った。


 

「つらいかもしれないけど、今は私たちも逃げちゃ駄目なんだよ」

 

「そう……ですね」

  

「どこにいるかまではわかったんだから、やるべきことは一つだよ」

 

「はい! あとは……わたしたちの説得次第、ですよね」


 

 から元気ながらも、セリカはやる気を取り戻していく。

 自分が今すべきことを見つめ直し、失意の底から這い上がった。


 

「すべては、兄さんを呼び戻すために……!」

 

「どんな手を使ってでも、アルクを連れ戻そう」

 

「はいっ!」

 


 絶望から立ち直った少女たちは、その夜決意を固めた。

 彼を取り戻そうと、固く結束して。


 だが一方、その当人は――


 

 

        §




「うーん、やっぱり本体はミノタウロスの方がいいかなぁ……」


 

 不気味なほどの暗闇の中、セラは独り言を垂れ流す。

 かき集めた魔物たちの『部品』を弄りながら、試行錯誤を繰り返していく。


 

「腕は何本あってもいいし、たくさんつけちゃおっか。ねー?」


 

 立て掛けたハシゴをよじ登り、セラは巨躯に身を近づけた。

 手にした『部品』を魔力で接合し、工作の要領で〈それ〉の身体を補強する。彼女の狂気に満ちた創作意欲が発揮されると、伴って〈それ〉の容姿は禍々しさを増していった。



 

「んー、まあこんなもんかなぁ。

 よし。名付けて、“あたしの考えた最強のアルクくん”完成〜!!」



 

 セラは一人楽しげに、〈それ〉の完成を祝った。

 それに応える魔族も人間も、もうそこにはいなかった。

 


「これでアルクくんは、あたしのことしか見えないね」

 


 セラは少し背伸びして、〈それ〉に身を寄せる。


 そして――



 

「――キミはもう、誰にも渡さない」




 〈それ〉に埋め込まれた彼の顔に、口づけをした。

 

 

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