第10話 対峙(前編)

 一寸先も見えない闇の中を、いくつかの靴音が通り過ぎる。

 

 フェルディナンドを先頭に、セリカたちはダンジョンの最深部に向けて進み続けていた。「アルクを連れ戻す」というセリカの決意に応えるべく戦い続けた彼らは既に15階層を突破し、着実に目標との距離を縮めていく。

 

 すべては、セリカの望む明日のために。

 少々無謀な戦いではあるものの、フェオリアを中心にフェルディナンド一行の意志も結束しつつあった。何より、失踪した仲間の居場所が判った以上、彼らにもじっとしている理由はない。


 

「15階層を過ぎた。ここから先、また強い魔物が出るかもしれない。皆、気を引き締めていこう」

 

「そうね。油断は禁物よ!」

 

「はいっ!」


 

 フェルディナンドの呼びかけに、少女らも強く頷く。

 改めて彼らの士気も高まっていくなか、先頭に立つフェルディナンドがふと足を止めた。


 

「――ストップ、なにか来る」

 

 

 右手で後続を制止し、彼は先の様子を伺った。

 魔物のそれとは違う規則的な足音が、近づいてくる。


 

「この足音……他の冒険者でしょうか?」 

 

「いや、おそらくこれは――」


 

 フェルディナンドだけが嫌な予感を身に覚えた、そのとき。


 

 

『あれ? なーんだ、また来たんだね』

 


 

 一人の小柄な少女が、暗がりの奥から姿を現した。

 武装したフェルディナンドたち一行を前に、裸足になったセラが単身で戦場に躍り出てきたのだ。


 

「……君はたしか、あのときの――」

 

「っ、兄さんを連れ去った、魔族――!!」

 

「正解っ♪ でもぉ、『連れ去った』なんて人聞き悪くない?」

 


 武器を構えた敵の集団を前にしているにも関わらず、セラはのらりくらりと冗談めいた口調で話し続ける。


 

「アルクくんは元から、あたしのものなんだけど」

 

「――っ、そんなわけない!! 兄さんはわたしの兄さんで」

 

「じゃあその証拠は? アルクくんがあなたのお兄さんだなんて、今ここで証明できるの?」

 

「証拠、なんて……そんなのなくたって、兄さんは――!」

 

 

 セリカが感情のままに激昂しかけた、その瞬間。

 不毛な言い争いに、一筋の閃光が横切った。

 

 

「セリカ、もういいよ」


 

 フェオリアが掌で放った氷魔法が、セラの頬を掠めた。

 それは無口な彼女の、言外の警告だった。


 

「……まだお話の途中なんだけどなぁ」

 

「うるさい。あたしたちも暇じゃないの。死にたくなかったら、アルクの居場所を吐いて」

 

「死にたくなかったら、ね……」

 

「――! 皆、戦闘態勢――」

 

!」

 


 打って変わった満面の笑みで、セラは素直に答えた。

 彼女の返答に拍子抜けすると同時に、セリカたちは身構える。


 

「じゃあ、おいで。――“アルクくん”」

 

 

 セラは暗闇に向かって振り返り、彼の名前を呼んだ。

 その声に応えて、〈それ〉は重い一歩を踏み出す。


 

「…………えっ?」

 

「ちょ、何なの、これ……?」

 


 闇から這い出てきた〈異形〉に、誰もが息を呑んだ。


 

 2mを優に超える筋骨隆々の巨躯に生えた、6本の腕。

 角の生えた牛型の頭、4つある眼球の代わりに植え付けられた4枚の黒翼。

 所々牙の並んだ6本の腕にはそれぞれ鉈や大剣、丸太などが握られ。



 

 その胸には、『彼』の顔が埋まっていた。



 

「そ、んな……」

 

「あれぇ? アルクくん呼んであげたのに、誰も喜ばないの?」

 

「うっ、うぇっ……」


 

 そのあまりに狂気的で冒涜的な外見に、セリカとフェオリアは絶望し、精神的に耐えきれなかったアリシアは吐き気を催した。地面に吐いた彼女をクレアが介抱すると同時に、口を噤んでいたフェルディナンドが一歩前に出る。

 


「まったく、正気の沙汰とは思えないな」

 


 その瞬間、フェルディナンドの顔から表情が消えた。


 

「こんな真似をして、まだ彼が自分のもとだと?」

 

「そう、だけど……だからなに?」

 

「ハハッ……いや、滑稽だと思ってね」

 


 彼は静かにその〈異形〉に歩み寄り、抜剣する。

 


「見たところ、その顔はただの飾りじゃなさそうだ」

 

「――! じゃあ、まだ兄さんは……」

 

「ああ。彼はまだにいる。そうと決まれば、引きずり出すだけだ」


「フェルド……」

 

「そうだろう? セリカ」

 


 彼は振り返り、立ち竦んでいたセリカに問いかける。

 セリカは躊躇するまでもなく、頷いてみせた。

 


「――はい!」

 

 

 意を決したセリカは杖を構え、〈異形〉と対峙した。

 それに続いてフェオリア、クレア、アリシアと臨戦態勢に入る。


 

「はぁ……可哀想な人間だね。今のアルクくんに何をしても無駄なのに」

 

 

 セラは一歩退いて、〈異形〉となったアルクに道を譲る。

 そして彼らを真っ直ぐ指差すと、それに『命令』した。

 

 

「アルクくんお願い。――敵を殺して」

 

 

 主の命令を、異形は確かに聞き入れた。

 果たすべき使命を胸に、斃すべき敵を前に。


 少年を囚えた怪物が、狩人たちと激突する。




        ✕✕✕



 

 意識が、身体が、深い闇の底に沈んでいく。

 その果てに何があるのか、この闇は何なのか。


 何もかも、わからない。

 ただ、『虚無』に包まれていた。

 

 俺の肌に触れる虚無、そうでない虚無。

 俺をここに浮かべる虚無、底へと誘う虚無。

 俺を生かす虚無、引きずり込んで殺そうとする虚無。

 

 俺以外のものは、その一切合切が虚無。

 そんな空虚な世界で、俺は微睡んでいた。

 


「俺は、何を……」

 

 

 自分の声だけが、無音の空間に延々と響き渡る。

 ここはどうやら、どこかの水の中というわけでもないらしい。


 睡魔に似た何かが、瞼を下ろそうとする。

 そう簡単には抗えない、絶対的な力。


 あなたは眠っていなさいと、誰かに言いつけられているようだった。


 

『……いさん、兄 ん! 目 覚ま て……っ』


 

 闇のどこかから、誰かの声がぼんやりと耳に届く。

 記憶の彼方、遠いどこかに置き忘れたような懐かしさだ。


 

『起 るんだ、 ルク! 俺 ちはこ にい ! 』

 

『バカア ク! 妹が呼 でる よ!!』

 

『起 てくだ い、アル 先輩!』

 


 この声たちは、何なんだろう。

 誰かに何かを、必死に呼びかけているようだ。


 一体、誰に?

 


『ねぇ、そ にいるんで ょ、アルク!?』

 

 

 ……俺に?


 じゃあこいつらは、もしかして――



 

『聞かなくていいんだよ、アルクくん』




 おかしな思考に陥ろうとした俺を、また声が引き止めた。

 闇の底、微睡みの中でも唯一はっきり聞こえる“彼女”の声。

 

 

『キミはあたしのいうことだけ、聞いてればいいの』


 

 そうだ……俺は、彼女の命令に従うべきだ。


 

『あいつらの言葉には、耳を貸さないで』


 

 これも、彼女の命令。なら、従うまでだ。


 

『だから、“それ以外”のアルクくんは眠ってて』


 

 彼女のいう、それ以外。

 それに当てはまるのは、俺なのかもしれない。


 

「……わかったよ、セラ」


 

 命令通り、〈それ以外〉の俺は眠りにつく。

 あとはまあ、その他の俺がなんとかしてくれるはずだ。


 セラの命令には従う。呼びかけには答えない。

 俺はただ、この虚無に抱かれているだけでいい。


 ずっと、そんな気がしていた。




        ✕✕✕

 


 

 度重なる攻撃の応酬。

 それに混ざる、少女らの叫び声。


 

「……駄目! 魔法も通らない!!」

 

「こんのデカブツ……弱点とかないわけ!?」

 

「今は無理に当てなくていい! 防御と回避に専念しろ!」

 


 因縁の強敵を前に、フェルディナンドたちは今までにない苦戦を強いられていた。


 単純な戦力の数は5対1。

 だが、このレベルの魔物に『数』での暴力は通用しない。


 6本の腕からそれぞれ繰り出される、強烈な連撃。

 鉈、大剣、丸太、蛇腹剣、長槍、鉤爪。

 そのすべてが、交互に敵を押し潰さんと迫る。

 

 肩や頭部、腕部など継ぎ接ぎだらけの歪なバランスをもった肉体は、最早攻撃のフォームすらも保てていない。だが、そんな歪さから生まれた不規則で予測不可能な動きの数々が、今まで『魔物』と戦ってきたフェルディナンドたちを大いに苦しめた。


 敵は、魔物の枠すらもはみ出した〈異形〉。

 半ば人為的に生み出された、怪物だった。


 

「「――【全方位防御フル・プロテクション】!!」」

 

 

 機動力の低いフェオリアとセリカは、防御壁を展開する。

 

 フェルディナンドとクレアはその加護を受けながら、ヒットアンドアウェイの要領で敵に攻撃を仕掛けていく。しかしその悉くが、複数の魔力が混ざりあった強固な肉体の前に軽々しく阻まれてしまう。


 

「やめて、兄さん! 目を覚まして!!」


 

 戦闘に意識を向けつつも、セリカは諦めずその異形に懸命に呼びかけ続けた。


 この怪物を動かすエンジンは、魔石の代わりとして組み込まれたアルクの肉体だ。それは裏を返せば、彼を文字通り“引きずり出す”ことで、『入れ物』だったこの怪物も息の根を止めることを意味する。


 だがそうも簡単に行かないのが、彼が怪物たる所以でもある。


 

「何を言っても無駄だって、まだわかんないかなぁ……」

 

 

 それぞれの思惑がぶつかり合う混戦を、セラは一人高所から見物していた。目立った戦闘力を持たず、セリカたちからすれば斃すべき目標でもない彼女は今や、この混沌とした状況において蚊帳の外とも言える状態だった。


 怪物に“命令できる”という点を除いて。


 

「アルクくん、もう手加減しなくていいよー」

 

 

 岩場に腰掛けたまま、セラは気怠げに合図を送った。


 

 

「全員、殺しちゃって」

 


 

 彼女の命令だけを、怪物の耳は違わず聞き入れる。

 全身に魔力をたぎらせ、大きく唸った。



 

『――――ゴォオオオオオオオオオオオオッッ!!』



 

 その直後、戦況が一転した。


 怪物がその6本の腕を同時に振り上げたかと思えば、次の瞬間には周囲にいたフェルディナンドたちは皆一様に吹き飛ばされていたのだ。あまりに突然の強襲に、誰も反応することがかなわなかった。


 

「な、に……今の……っ」

 

「ううっ……頭が……」

 


 衝撃で壁際に打ち付けられたクレアとアリシアは、立ち上がることもできないままダウンする。フェオリアたちの防御壁に入れなかった彼女たちのダメージは甚大だった。

 


「くっ……フェオリア、無事か?」

 

「うん……っ、それより、セリカは!?」

 

 

 比較的ダメージの浅かった二人は、ふらつきながらも立ち上がる。自身も吹き飛ばされて傷を負ったフェオリアだったが、土煙の舞う中ですぐさまセリカの姿を探した。


 

「セリカ、どこ!? セリ――」


 

 首を振ってセリカを探し回っていた彼女だったが、そこで足を止める。

 セリカは立ったまま、まだ戦場に佇んでいた。



 

 ――怪物の、目の前で。



 

「――!? セリカ、駄目! 戻ってきて!!」

 

 

 フェオリアの制止も虚しく、セリカは歩き出した。

 他の仲間を一掃した敵を相手に、擦り傷だらけの彼女は杖を捨て、果敢に丸腰で向かっていく。

 

 たった一人で、異形の怪物と対峙する。



 

「これでやっと、ちゃんと話せるね。兄さん」



 

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