第7話 リコレクション

 無意識に、立ち上がった。

 跳ね上がった心臓が、次第に鼓動を速めていく。


 その画面に映っていたものを観て、俺は目を疑った。


 

「……セリカ?」


 

 隣にいるはずの妹の名前を、思わず呟いた。


 そこにあったのは、完全な違和感。

 〈眼〉が映し出したパーティの中に紛れた、異質な存在。



 

 セリカと瓜二つの外見をした――もう一人の、俺の妹。



 

「お兄ちゃん?」



 セリカの呼びかけに、数秒遅れて俺は我に返った。

 不安そうな顔で俺を見つめるセリカを見て、少し気が安らぐ。


 

「大丈夫?」

 

「ああ、もちろん、なんでもない……」

 

 

 そうだ、セリカはここにいる。

 俺の妹は今ここ俺の隣にいて、俺と同じものを観ているのだ。その事実は何があっても疑いようもない。

 

 もう一度、画面の少女に視線を戻す。

 よく見てみれば、セリカとは似ているようで似ていない。髪色も違えば、瞳の色も違う。小さな背丈くらいしか共通点のない、他人の空似だ。さっきのは単なる俺の見間違いだったようだ。

 

 

 ……だったら、さっきのは何だ?


 

 どうして、自分の妹に似た少女を見ただけで心臓が跳ね上がった?

 あの瞬間頭に訴えかけたものは、一体何だったんだ?


 あの少女は、何だ?


 

「何か、嫌なことあったら言ってね。あたし、お兄ちゃんのためなら何でもするから!」

 

「ああ、ありがとう……」

 

 

 これ以上考えたところで、きっと結論には辿り着けない。

 余計なことを考えるのはよそう。


 こいつらは、ただの平凡な冒険者パーティ。

 その中に紛れたあの少女も、ただの見習い魔導師。


 そう片付けておくのが、きっと今は最善だ。




        ◇◇◇




 暗闇の下りた狭い空間に、閃光が飛び交う。

 発破をかける青年の声に、詠唱を紡ぐ少女たちの声。


 

 時は流れ、現在ダンジョン16階層。

 

 

 魔法の履修から一日にも満たない新米魔導師のセリカを抱えつつも、フェルディナンド率いる一行は、5人という大所帯ながら見事な連携プレーを発揮していた。


 

「オレたちが先行して活路を開く! リカバリーは頼んだ!!」

 

「は、はい!」「了解」

 

 

 フェルディナンドとクレアの前衛タッグが率先して魔物に接近戦を持ち掛け、魔導師の師弟と回復役のアリシアは、安全圏から詠唱を重ねる。セリカの詠唱は付け焼き刃ということもありまだぎこちないが、幸い足手まといになるようなことは起きていない。


 

「――【神なる威光セイクリッド・レイ】!!」

 


 杖の先に魔法陣を展開し、セリカはそこへ即座に魔力を流し込む。

 詠唱によって眩い光線と化した魔力は、〈オーク〉の巨体――心臓部を穿ち抜いた。


 

『グォオオオオオオ……ッ!?』

 

「十時の方向――来る! 気を抜かないで!」

 

「了解です!」


 

 フェルディナンドたちの猛攻を抜けた〈オーク〉が、武器とした巨木を手に彼女たちへ襲いかかる。攻撃用の詠唱をする間も惜しいと判断したフェオリアは、防御魔法の詠唱を即座に始めた。

 


「――【全方位防御フル・プロテクション】!」

 

 

 振り下ろされた巨木が、彼女らの寸前で打ち止められる。

 魔法によって生み出されたドーム状の障壁は、セリカたちを護る巨大な盾となった。フェオリアはそのままの魔力出力を維持し、障壁をより強固なものにしていく。


 そして――

 


「――【神なる威光セイクリッド・レイ】!!」

 


 その後ろで詠唱を終えたセリカが、すかさず魔法を放つ。

 彼女の攻撃に合わせて、フェオリアは防御を解除した。


 最大出力で開かれた神聖なる光の道は、魔石の宿る心臓部――からは少し逸れて、〈オーク〉の頭部に命中した。莫大なエネルギーを食らった頭部は綺麗に消し飛び、視界を失った〈オーク〉は巨木を手によろよろと歩き回る。

 

 

「す、すみません! 狙いがっ……」 

 

「――問題ない! オレに任せろ!」

 


 と、そこへんできたのはやはり彼であった。


 


「――――“真空斬“ッッ!!」


 


 高く跳躍し、両手で構えた剣を振りかぶって横に薙ぐ。

 素早く繰り出された剣身は空気の渦を生み出し、生じた斬撃は技名通り『真空』を纏う。空間を歪ませるほどの衝撃波は、よろけた〈オーク〉の胸に命中し。


 分厚い肉体もろとも、した。


 

(す、すごい……)


 

 圧倒されたセリカの前に、フェルディナンドは降り立った。

 剣身についた血を振り払い、鞘に納刀する。


 

「……よし、ひとまずは片付いたね」

 

「さっすが先輩! カッコよかったです!」

 

「いやいや、皆のサポートのお陰さ。それより皆、怪我は平気かい?」

 


 フェルディナンドの問いかけに、セリカたちは力強く頷いた。

 そしてフェオリアは一人、消耗したセリカのもとへ駆け寄る。

 

 

「セリカも、大丈夫? 疲れてない?」

 

「はい、大丈夫です! まだまだいけます!」

 

「……たしかに、アタシたち全然いつものペースで進んでたわね」

 

「初参加なのにここまでついてこれるなんて、セリカちゃんすごいです!」

 

「あ、ありがとうございます。えへへ……」

 

 

 戦闘経験の浅いセリカの体調を気遣いながらも、彼らは既にいつも“稼ぎ”に訪れている階層まで到達していた。普通ならここらで引き返すところだが、今の目的はもちろん魔石集めなどではない。


「……この先に、まだアルクがいる可能性もある」

 

「兄さん……」

 

「そうね。まだ戻れないわ。あと、そこ落とし穴あるから気をつけて」

 

「――ふぇっ!?」

 

「ハハッ、怯えることはないさ。魔族の仕掛けた見え見えの罠だ」

 


 明らかに色の違う地面を軽々飛び越え、彼は笑ってみせる。

 

 

「できる限りで先を急ごう。手遅れになる前に」


 

 フェルディナンドを筆頭に、彼らはまた歩みを進めた。

 少しづつ、確実に、アルクたちとの距離を縮めながら。



 

       ***



 

 陰でアルクたちの監視を受けながら、彼らは進み。

 現在、ダンジョン20階層。

 

 ここまで順調に進んできた彼らに、綻びが生じ始めていた。

 


「っ……クレア、下がれ! こいつの相手はオレがする!」

 

「でもっ、こいつはアンタ一人じゃ――」

 

「一旦退いて体制を立て直す! こいつは格が違う!!」

 


 緊迫した状況下で、フェルディナンドはクレアに変わって一人で前線に立つ。

 彼らが対峙していたのは、10階層ごとに現れる強大な“ボスモンスター”。



 その名を、〈アーマード・ファントム〉。


 

 重厚な鎧を着込んだ、実体のない『幻影』。


 

(鎧が厚い……けど、あれを剥がさない限りは……)


 

 剣を握り直し、フェルディナンドは眦を吊り上げる。

 対する相手は、二メートルを優に超える巨躯になめらかな曲線を描いた双刀を携えている。鎧以外の身体は紫色の炎で構成されており、物理的に四肢の破壊などはできない。唯一の弱点である魔石も、分厚い鎧の底に眠っている。


 だが、そんな厄介さに加え。


 

(あの炎の色……こいつ、“共喰い”してるな)


 

 通常、〈アーマード・ファントム〉の炎は青だ。

 しかし極稀に、他の魔物を斃してその死体を吸収するような凶暴な個体も存在する。その場合炎も紫色に変色し、鎧も血のような赤みを帯びるという。


 つまり相手は、階層の頂点のそのさらにに位置する難敵。

 

 

「ハハッ、面白くなってきた……!」

 


 後方のフェオリアたちに援護を任せ、フェルディナンドは敵に向かって疾走した。特攻した彼に続き、クレアも雷を纏わせたガントレットで懐に飛び込む。

 


「まずは鎧を引き剥がそう! じゃないと埒が明かない!」

 

「わかってるわよ! もう――コイツ硬すぎ!!」

 

 

 振り下ろされる双刀を躱しながら、二人は鎧にターゲットを絞って連撃を叩き込む。時折そこへセリカたちの狙撃が撃ち込まれるが、頑張ってもヒビが入る程度だった。


 

「ていうか、アルク一人でこんなのに勝てる!? この先にアイツがいるなんて……思えないんだけどっ!?」

 

「それはまだわからないだろ! 罠に嵌って下の階層まで落ちてる可能性もある!」

 

「っ……そんなの、面倒くさすぎるでしょ! あんの……バカアルク!!」


 

 前衛の二人はお互いカバーし合いながら、敵の急所を突く。

 先の見えない果てなき連戦に、彼女たちの士気は少しづつ下がっていた。


 

「仲間を助けるためだ――こんなところで止まっていられるかッ!」

 

 

 フェルディナンドは自らを奮い立たせ、残る力を振り絞って全力で地面を蹴った。迫りくる敵の双剣をステップで回避しつつ、剣を握り締めた両手に全神経を集中させる。


 

「くらえ――真空……」


 

 必殺の一撃を、放とうとしたその瞬間。

 彼の踏み出した一歩が、“それ”を起動させた。


 

「っ、フェルド! 足!」

 

「えっ――」


 

 簡易的で見え見えな、“落とし穴”。

 皮肉にも、彼が先ほど侮っていたものと同じ、色の違う地面だった。


 

「あああっ――!?」

 

 

 フェルディナンドのいた足元が陥没し、彼の身体は底なしの穴に吸い込まれる。瞬く間に彼の姿は見えなくなり、手にしていた片手剣が無残にもその場に残された。


 彼の注意力散漫が招いた、最悪な盤面。

 クレアとアリシアは青ざめ、彼の落ちた穴に駆け出した。

 

 

「フェルド!? 嘘、嘘でしょ!?」

 

「先輩ーーー!」

 


 主力がいなくなり救出に向かった二人を、背後から〈アーマード・ファントム〉の大剣が斬りかかる。ほとんど崩れかけた戦線に、フェオリアは一人助太刀に入った。

 


「――【全方位防御フル・プロテクション】!!」

 


 咄嗟に防御を展開し、寸前で大剣をせき止める。

 彼女が前に出てきた時点で、パーティとしての役割分担は崩壊していた。



 

「フェルドの救出はあと! じゃないと……全滅する!!」



 

 危機感を覚えたフェオリアは柄にもなく叫び、展開した障壁を拡げて攻撃を跳ね除ける。フェルディナンドというチームの要を失った今、攻めに出られるだけの戦力は残っていなかった。


 炎を揺らめかせる巨躯と改めて対峙し、彼女らは戦慄する。

 

 非力な少女たちが取り残されたダンジョン20階層は、絶望に包まれた。

 



        ◇◇◇ 


 


「あーあ、このままじゃ全滅だねー」


 

 ソファに寝転んだセリカは、間延びした声で言った。

 

 主力の喪失という絶望的な盤面に立たされたパーティは、〈アーマード・ファントム〉相手に翻弄されている。前衛もあのツインテールの少女だけでは保たないし、魔導師組もどの道魔力切れでジリ貧だ。


 

「ここまで頑張ってきたのに、残念だったねー」

 

「ああ……そう、だな……」


 

 ボス戦で一番はじめに主力が倒されて全滅……なんてのは、これまで幾度となく見てきたパターンだ。このパーティもいずれ同じ末路を辿るだけ。


 なんてことのない、パーティの壊滅。

 

 ――そのはずだったのに。

 

 

『フェルドなら自力で戻ってくる! 時間を稼いで!』

 

『は、はいっ!』


 

 絶望の淵に立たされたさっきのあの少女に、どうしてか胸が締め付けられる。

 

 勝てる見込みもなく、あの穴から青年が帰ってくる保証もない。

 それにも関わらず健気に詠唱を続ける彼女の姿に、心が苦しくなる。


 

(何なんだよ、お前は……)


 

 頭痛が酷い。おかしな記憶が、時折頭をよぎるような感覚。

 彼女の顔を見るたびに、頭に何かが訴えかけてくる。

 

 

『わたしは、まだ死ねない――』


 

 ただ、セリカに似ていただけ。

 その点を除けば、どこにでもいる少女のはずだ。


 それなのに、どうして俺は……



 

『――兄さんを見つけるまで、死にたくない!!』




 その声色に、表情に、心が突き動かされた。

 そして気づけば、涙していた。


 

「なんだよ、これ……っ」

 

 

 溢れてきた大粒の涙に、俺自身が困惑していた。それでもそれは止めどなく流れ、俺の中の感情という感情がぐちゃぐちゃにかき乱される。


 

「お兄ちゃん……? ねぇ、本当に大丈夫?」

 


 心配したセリカが近寄ってくる。

 俺はその手を握ろうとして――無意識に、振り払った。

 


「違う……違うんだよ――」


 

 セリカとあの少女の顔が、歪んだ視界で重なり合う。

 

 その瞬間、頭で何かが盛大に弾けた音がした。

 


 

「俺は――俺の、妹は……!!」

 


 

 痛む頭を押さえながら、俺は顔を上げた。

 

 その場にいたセリカには目もくれず、身体は何かに突き動かされて勝手に駆け出していた。セリカの静止する声が遠くで聞こえたが、頭がその内容を聞き入れようとしなかった。


 

 部屋を飛び出し、暗い廊下を飛ぶように駆け抜ける。

 

 

 わからない。俺にはもう、何も。

 ただひたすらに、心の向く方へと走り続けるだけだ。


 それでいいとさえ、思った。


 重くて邪魔くさい上衣を道端に脱ぎ捨て、走る。

 魔族の身体は、息切れなんてものを知らない。

 昔と比べて幾分か軽くなった脚で、ただ前へ進む。

 

 勢い余って、転けそうになりながら。

 そのへんにいた魔物を、蹴っ飛ばしながら。 

 泣きたいのか笑いたいのか、わからなくなりながら。

 

 記憶の底にあったものを、追いかけるように。


 この脚の行く先はきっと、あの場所――20階層。

 あの少女の、いる場所へ。


 

 走れ。

 俺は、往くんだ。



 

「――俺が……俺が、バカだったんだ!!」

 





       ◇◇◇




 


 フェルディナンドの離脱から、早十分ほど。

 少女らは奮戦しつつも、パーティの崩壊は必死だった。


 

「クレア先輩! しっかりしてください!!」

 


 傷だらけになったクレアが倒れ込み、アリシアは虚しい叫び声をあげる。

 

 強大な相手に接近戦をもちかけ続け、疲弊したクレアのダメージの蓄積は、既に限界値に達していた。かといって遠距離の攻撃が可能なフェオリアとセリカの魔力も、連戦で底を尽きかけている。


 

「諦めちゃ、駄目……フェルドが戻るまで、耐えて――」


 

 必死に障壁バリアの維持につとめるフェオリアだったが、長くは保たないことを自覚していた。その後ろに控えるセリカも、息を切らしながら苦し紛れに詠唱を続ける。


 〈アーマード・ファントム〉の双剣が重なり、障壁にヒビが入る。

 誰もが『終わり』を覚悟した、そのときだった。




「――【戦神の加護リインフォース・アームズ】!」


 

 


 そこへ飛び出してきたのは、黒い影。

 両腕に身体強化魔法を付与した魔族――アルクであった。

 


「――あああああっ!!」


 

 裂帛のごとく叫び、強化した腕だけで敵の双剣を跳ね返した彼は、すかさずそこで右の拳にエネルギーを込める。そして合図のように、力強く短文詠唱を唱え。


 よろけた敵の胸部に、それを叩き込む。




「――【穿突の加護グングニール】!!」




 “貫通力”に特化した、魔法付与攻撃エンチャントアタック

 魔族の強靭な拳によって放たれたその一撃は、強固な鎧すらも穿ち抜き。


 その悉くを、粉砕した。

 

 

 

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