第6話 乖離
俺は今、迫られていた。
精神的にも、肉体的にも。
『好き同士なら、そういうこともできるでしょ?』
そんな俺を試すような発言とともに、我らが妹のセリカは現在進行形で俺の上にのしかかっている。服はおろか下着(といっていいのかわからないが)までも脱ぎ捨てた、あられもない姿で。
それはまるで、“
「……ま、待て、セリカ! わかったから、一旦……」
「ねぇ、しないの?」
「するって、何を……」
「それはもちろん……えっちなことだよ」
聞かなくてもわかっていた、なんていうのは野暮だ。ここまでわかりやすくセリカが行動に出ている以上、彼女の求めるものはやはり一つしかない。
兄妹同士の……性交渉。
冒すべきでない領域を、一線を、越えること。
「でも、安心して。赤ちゃんはできないから」
「……はぁっ!? な、何言って……」
「そこまで驚くことかな? 魔族の容姿は人間の真似事だけど、生殖機能まではさすがに真似できないんだよ。だから本能的には、こうして愛し合うことすらなかっただろうけど……あたしとお兄ちゃんは、違う」
俺が驚いたのは正確にはそこではないけど、それはどうだっていい。
そうやって淡々と語りながら、セリカは未だ引き下がろうとする俺の服に手をかけ、少しづつ脱がしていく。本気のセリカは、俺に決断を躊躇うだけの時間はくれないようだ。
「あたしたちの愛は、特別なんだから。ね?」
彼女が動く度に、さらけだした彼女の小ぶりな胸が揺れる。
その一点に自然と視線が吸い込まれては、慌てて逸らす。恥部も含め何もかもが丸見えな今のセリカの姿は、俺にとって刺激的である他ない。
脈拍が速まる。変な汗が首筋を伝う。
駄目だ。俺は、セリカを止めないと――
「それとも――お兄ちゃんは、あたしとじゃ嫌?」
こぼれかけた俺の言葉を遮るように、セリカは訊ねた。
もしもの話だ。
俺がここで「嫌だ」と答えたら、それは即ち彼女のいう『愛』が偽物だったという話になる。
「嫌じゃない」
愛する妹の好意は、どうしても無下にはできない。
ただ、俺は。
「――でも、駄目なんだよ」
俺はセリカとは、そういう行為には及べない。
たとえ愛があっても、この一線だけは越えられない。
「駄目? どうして……?」
「だって、俺は……」
言葉を選んだ。
なるべく、彼女を傷つけない言葉を。
「――俺は、妹としてのセリカが好きなんだ」
それは言葉にすれば、随分と薄っぺらい理屈で。
でも俺にとっては、今できる最善の言い訳だった。
「妹としての……? それ、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。俺はセリカのお兄ちゃんで、セリカは俺の妹なんだ。俺にとっての『好き』は、それ以上でも以下でもない」
この気持ちを言葉にして伝えるのは、難しい。
ただ……俺の妹でいてくれるセリカが、俺は好きなんだと思う。たとえこの気持ちがセリカの求めるものとすれ違っていたとしても、ねじ曲げることはできない。
この一線を越えたら、俺はもう後戻りできなくなる。
妹への愛と、恋人への愛はきっと違う。
俺はそれを、履き違えたくなかっただけだった。
「だから俺は、セリカのことが好きでも、そういうことはしたくない。できないんだ……」
「お兄ちゃん……」
「その代わり、お前は妹として、俺の好きなセリカでいてくれ」
さらされた彼女の白い肩に、俺はそっと手を添える。
まっすぐ見据えた妹の目は、俺を見つめてはくれなかった。
「そっか……まあ、そうだよね」
しばらくして、彼女の口が沈黙を破った。俺の訴えに目を伏せていたセリカだったが、徐々にいつも通りの溌剌とした可憐な表情を取り戻していく。
「お兄ちゃんがそう言うなら、セリカはそうするよ!」
頬を赤らめたまま、セリカは微笑んだ。
そしてゆっくりとベッドから降りると、床に脱ぎ捨てた服をまた着込んでいく。その彼女の横顔は心なしか残念そうにも見えたが、あえて触れることもしなかった。
ひとまず事は丸く収まり、俺も胸をなで下ろした。
安堵してそのままベッドに潜ろうとした、そのとき。
「――あ! お兄ちゃん、こっち向いて!」
セリカの呼びかけに、上体だけ起こした俺は咄嗟に振り向く。
その瞬間、近寄ってきたセリカと、唇が重なった。
「――っ!? なっ、お、おま……っ!?」
「ふふ、キスならセーフでしょ。初心なお兄ちゃん」
俺をからかうように無邪気な笑みを浮かべると、セリカも隣のベッドに飛び乗りそのまま潜った。してやられたと不意に顔を上気させつつ、俺もしぶしぶ寝床につく。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「……ああ、おやすみ」
色々と納得はいかなかったが、ひとまず瞼を閉じた。
たしかに、俺たちの仲はこれくらいが丁度いいのかもしれない。
近づきすぎず、遠すぎずの健全な関係。
それが、俺たち兄妹だ。
§
翌朝。
フェルディナンドたちが住む、街の大屋敷にて。
「うん、魔力操作の基礎はもう大丈夫だね。少し休んで、初級魔法から実践始めようか」
「はい! ご指導ありがとうございます!」
屋敷のもつ広大な庭には、練習用の杖を携えたセリカと、彼女を指導するフェオリアの姿があった。
あえて言うまでもないが、昨夜の「自分もダンジョンに行きたい」というセリカ自身の要望のもと、現在フェオリアによる魔導師指導が行われていた次第だ。まだ日が昇って数時間、一日もまだ始まったばかりというところだが、セリカの熱意によって指導自体は至って順調に進んでいた。
一刻も早く兄の行方を知りたいと願うセリカにとって、少しの時間であろうと無駄にすべきではないのだ。
(この子、飲み込みが恐ろしく早い……本当にアルクの妹?)
朝食を兼ねたパンをかじりながら、フェオリアは塀の傍に座り込む。
一方のセリカは掴んだ感覚を忘れまいと、手にした杖を離さず遠方の的と向かい合っている。彼女の気合いの入りように、フェオリアの方が気圧されるような形だった。
気概と才能を兼ね備えた、育てがいのある少女。
付与魔法しか使えず、戦闘にも消極的な兄と対比してしまうのも無理はない。
(よっぽど、アルクのことが心配なんだろうな……)
彼女の必死な姿勢を他人事のように傍観しながら、フェオリアは自分にも問い返す。
(まあ、それはあたしもか……)
パーティメンバーとして、たった一人の幼馴染として。
たとえ今の関係が冷え切っているとしても、同じ村で過ごした数年間の記憶は、彼女の頭から消え失せることは決してない。フェオリア自身も、いなくなった彼に対しては心配以上の何かを抱えていることは間違いなかった。
「まだ、いろいろ話したいことあるのになぁ……」
誰にも聞こえない独り言を、地面に吐き捨てる。
顔を上げたフェオリアは立ち上がり、セリカのもとへ戻っていった。
「ごめん、訓練……続けよっか」
「はいっ! 師匠、お願いします!」
「師匠は大袈裟だってば……」
***
それから少し時は過ぎ、時刻は正午前。
セリカの魔法修行は滞りなく続き、訓練場代わりの庭では、光属性の攻撃魔法が眩い光を伴って飛び交うようになっていた。
「あれ、あの二人まだやってたの?」
屋敷の小窓から、クレアは外の様子を窺っていた。
ひたむきに修行に取り組むセリカたちを見て、呆れ気味にため息をつく。
「セリカちゃん、意外と才能あるみたいですからね」
廊下を通りかかったアリシアも、窓外の様子に目をやる。
比較的アルクとの関わりが薄い二人は、捜索にかける熱意の面ではどうしても蚊帳の外になってしまっていた。彼女たちからすれば、パーティの蛇足が一人欠けたところで何ら損失はないのだ。
「あんな可愛い顔して、もしかしたらどこかの付与魔導師よりも優秀だったりするのかもしれないわね」
「どうでしょうね。付け焼き刃の魔法が、どこまで通用するかはわかりませんけど……」
「付け焼き刃、ね……。たしかに、『基礎だけ教わったらすぐダンジョンに行きたい』とか言ってたけど、本当に大丈夫かしら?」
足手まといにでもなったら元も子もない、とクレアは冗談めかして言う。
だがアリシアは、ひとり考え込むような素振りを見せていた。
「兄弟がいる人って、みんなあんな感じなんでしょうか……?」
ふとこぼれたアリシアの問いに、クレアは訊ね返す。
「あんな感じって、何よ?」
「いえ……兄弟姉妹だったら、お互いがいなくなったときは、どんな人でも命をかけてまで探しに行くようなものなのかな……って。私、捨て子で一人っ子ですし、そういうのわからなくて」
「そんなの、人それぞれよ。アタシも弟いるけど、そこまでするかは微妙だし」
「そっか……そうなんですね」
どこか物憂げな彼女の横顔に、クレアは首を傾げる。
アリシアは窓辺に手をつき、外にいるセリカに目を向けた。
「私……羨ましいです。妹に、あそこまで想ってもらえてるあの人のことが」
本心を吐露したアリシアに、クレアははっとして振り向く。
彼女は言葉を選びながら、たどたどしく話し始める。
「私たちがなんとも思ってなかったあの人は――アルク先輩は、私たちの知らないところで家族との愛で満たされて、心配されてたんだって。そう考えると、なんだか羨ましく思えてくるんです。それに比べて私は……兄弟どころか、両親にさえ愛されてこなかったんですよ」
――あんな風に、私も誰かに愛されたい。
それは、妬みや嫉みの中に隠れた、彼女の悲痛な叫びだった。
だからこそ自分は、たとえ恋敵が多くとも、フェルディナンドという一人の青年の愛を求めてしまう。彼から向けられる愛情に飢えているのだと、アリシアは悟った。
一方、彼女の“叫び“を聞いたクレアは。
「……バカね。それくらい、誰でも思うわよ」
頬杖をつきながら、一蹴した。
「……え?」
「あれだけバカみたいに固い絆見せられたら、誰だって羨ましくもなるわ。アタシだって……ちょっとだけ羨ましいし。――それに、家族から愛されなかったからって、アンタの人生全部がダメになるわけでもないじゃない」
「そう……なんですか」
「そうよ。だって今はアタシとフェオリアがそばにいるし、アンタの大好きなフェルドもいる。アンタが寂しいと思うなら、いくらでもアタシたちにすがりついて、泣きべそかいたらいいでしょ」
年上らしく先輩風を吹かせながら、クレアは淡く微笑んだ。
思いがけず触れた温かい言葉の数々に、アリシアは不意に涙を溜めて。
「うぇぇ……クレアせんぱぁい!!」
「あ、でもその代わり、フェルドを譲るつもりはないんだからね!」
「あああっ! せんぱいのいじわるーーーーー!!」
顔を泣き腫らしながらアリシアはクレアにじゃれつき、いつも通り後輩らしく甘えようとする。普段通りの甘えたがりな後輩が戻ってきたことに安堵して、クレアも屈託なく笑った。
アルク捜索への出発が決まったのは、そのすぐ後だった。
***
今日も今日とて、俺は自堕落な日々に溺れる。
食事以外のすべての時間をセリカとともに〈眼〉が映し出すビジョンを観て過ごし、気づけばもう一日が終わろうとしていた。
退屈だが、特に不満もない。
セリカさえいればいいといった手前、文句は言えないのだ。
「……あ、新しく冒険者が入ってきたね」
画面を指さして言うセリカに、俺は適当に反応した。
彼女が指差す箇所に目を移すと、たしかに一階層の入口を数人の冒険者の集団が通過していくのが確認できた。腹立たしいことに、少女四人が一人の青年を囲むようなパーティ編成となっているようだった。
「ハーレムかよ……ムカつくな」
背もたれに身を投げ出し、視線だけはその一団を追う。
青年を囲む少女らの顔をなんとなく流し見て――
そのうちの一人の少女の姿に、釘付けになった。
「……セリカ?」
無意識に、口走る。
隣にいるはずの妹と瓜二つの少女が、そこにいた。
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