第5話 魔族の愛し方

 ただ、茫然と画面を眺める。

 映し出された景色の中で、人間が死んでいく。


 血。肉片。悲鳴。断末魔。


 その全てが、つまらない。


 

「暇だな……」

 


 割と刺激的なものを見ているはずなのに、面白くもなんともない。一人、二人と積み重なっていく屍を観察しているうちに、そういう場面にも慣れてしまった。俺は別に、人間が死のうが喚こうが何も感じないらしい。


 俺は今朝、魔族として目覚めて。

 そして、その一日も終わろうとしていた。


 今日俺がしたことといえば、食って寝て、暇なときはダンジョンの“監視”。頑張っている人間を見下す、魔族の最低で最高に楽な生活を始め、それにも最早慣れてきてしまった。


 

「セリカも帰ってこないし……」


 

 せめて話し相手がいれば、少しは違っていたはずだ。

 妹との二人暮らしは、一人の時間をより味気なくさせる。


 セリカはさっき「外へ出かけてくる」といって、ここを出ていった。つまり俺は留守番とダンジョンの監視を任されたわけで、当然のことながら外出はできない。


 というかそれ以前に、セリカから「何があっても一人で外に出ないで」と言われてしまっている。兄としての信用が薄いのは寂しいところだ。


 でもセリカは、俺を愛してくれている。

 俺が妹としてのセリカを好きなように、彼女も兄としての俺を好きでいる。


 だから、この生活には不満はない。

 

 セリカさえいれば、俺はそれでいい。




       ***




 深い闇の降りた道を、あたしは下っていく。

 

 ここはダンジョンの最下層。陽の光なんてものは届かなくて、真っ暗な通路は小さな灯りが照らしているだけ。魔族わたしたちは夜目が利くからいいけど、人間はそうはいかない。


 もっとも、ここに辿り着ける人間なんていやしない。


 

(お兄ちゃん一人にしてきちゃったけど、大丈夫かな……)


 

 人間に襲われることはまずないから安心だけど、何より今のお兄ちゃんの精神はまだ脆い。何かのきっかけで人間の頃の本能が目覚めても、ぜんぜん不思議じゃない状態だ。


 まあ、そのときはそのときでまた洗脳すればいい話だけど。


 

「――やあ、セラ。久しぶり」


 

 変な心配をしていたあたしを、誰かが呼び止めた。

 あたしよりもずっと背が高くて細身で、奇抜な模様の入った仮面で顔の半分を覆っている、そんなあの人こそ――

 

 

「あっ、こんにちは! お久しぶりです!」


 

 あたしの洗脳魔術の師匠、〈ヒュプノクラウン〉。

 世界で一番信頼できる、上級魔族の一人。


 

「聞いたよ。人間の洗脳に成功したらしいね。すごいじゃないか」

 

「えへへ……あたしが本気を出せば、ちょちょいのちょいでしたよ!」

 

「そうかそうか。さすがは私の弟子だ」

 

 

 師匠はにこやかに微笑んで、あたしの頭を撫でてくれた。これまでは儀式をするにも失敗ばかりで褒められたことなんてなかったから、何だか新鮮で嬉しい。


 

「これで君も、一人前の〈洗脳師ヒュプノシスト〉だ」

 

「! あたしもついに、一人前に……!」

 

「ああ。ただ……その人間の言動には、常に目を光らせておくようにね。――もし洗脳が解けたら、すぐに殺すんだ。迷ってはいけないよ」

 

 

 舞い上がっていたあたしは、師匠の忠告で我に返る。

 冗談かと思って師匠の目を見たけど、やっぱり本気だった。


 殺す……? あたしが、アルクくんを……?

 

 

「こ、殺さなきゃいけないんですか? もう一度洗脳を行えばいいんじゃ……」

 

「セラ、前にも教えただろう。一度洗脳の支配から脱した人間というのは、我々の洗脳魔術自体に免疫を持っている場合がほとんどだ。今回はうまくいったとしても、セラ、君の技術ではは無理だ」

 


 ――殺される前に、殺しなさい。


 師匠はそう告げて、あたしの肩に手を置いた。

 

 たとえ洗脳が解けたとしても、アルクくんを手放したくはない。正気に戻ったアルクくんがあたしを襲っても、彼を返り討ちになんて出来っこない。洗脳が解けようと、魔族から人間に戻ろうと、彼はあたしの好きなアルクくんだから。

 

 でも……あたしは、師匠の命令には逆らえない。

 逆らっちゃ、いけない。

 


「わ、わかりました……」

 

「そうかい? まあ、最善策は今の状態を維持し続けることだ。君のいうことを聞いている限りは、特別心配はいらないさ」

 

 

 ――彼と末永く、嘘と欺瞞に満ちた幸せな日々を過ごすようにね。

 

 最後にそう残して、師匠は暗闇の奥へと帰っていった。

 師匠の忠告が、まだ頭の中をうるさく駆け巡っている。

 

 

「そうだよ……今はまだ、大丈夫」


 

 アルクくんは、お兄ちゃんは、裏切らない。

 今の彼ならきっと、あたしの愛に応えてくれる。


 だから、あたしも早く帰ろう。

 今は早く、あたしを愛してくれるお兄ちゃんに会いたい。


 


         §




 早朝、セリカが家を飛び出してから、数時間。

 既に日は暮れ、青白い月が煌々と夜空に浮かび上がっていた。

 

 ただ、兄に会いたい。兄の無事を確認したい。


 その一心で突き進もうとしていたセリカが、フェルディナンド一行――アルクのパーティメンバーの面々でもある――に出会えたことは、不幸中の幸いであった。人徳に長けた青年フェルディナンドは、彼女の話を聞くなり早急に行動を開始したのだ。


 ダンジョンで遭難している可能性が高いとみて、行き先はダンジョンに決定。

 かといって兄以外に身寄りのないセリカを一人にするわけにもいかず、彼女はフェオリアたちに任せて、フェルディナンドは単身ダンジョンへと潜ることを決意した。自分の身に降りかかるであろう危険を、一切厭うことなく。


 そして、彼の出発からも時は流れ。

 彼の捜索活動は、丸一日に及んでいた。



 

「なんか遅いわね、フェルド……」

 


 落ち着かない様子で歩き回っていたクレアが、静かに呟いた。

 

 ここは、フェルディナンドとその仲間の少女らが身を寄せる屋敷。

 一人残されたセリカを温かく迎え入れた彼女らは、皆揃ってフェルディナンドの帰りを待っていた。あわよくば、アルクの無事を知らせてくれることを信じて。


 

「ダンジョンで、何かあったんでしょうか……」

 

「そんなわけないわよ。アイツに限って、そんな……」

 

「でも……フェルド先輩、私たちの援護もなしで本当に大丈夫だったんでしょうか……? やっぱり、回復役の私だけでもついていった方がよかったんじゃ……」

 

「――っ、今更そんなこと言っても遅いじゃない!」

 

「だって、このまま本当に先輩が戻ってこなかったら、私……!」 


 

 帰りの遅いフェルディナンドを巡って、クレアとセシリアは不安から諍いを起こし始める。既に手遅れな議論を交わしながら、二人の感情は昂り出し、やがて。


 

「――そもそも、なんでこんな急にアイツはいなくなってんのよ!」



 混乱の元となるアルクに、ついに怒りの矛先が向いた。


 だが、その一言にしびれを切らしたのは。


 

「――クレア、セシリア、くだらない喧嘩はやめて」


 

 率先してセリカの面倒を見ていた、フェオリアだった。

 ソファに座ってセリカをなだめていた彼女は、静かに怒りを露わにする。


 

「焦る気持ちもわかるけど、今一番不安なのはセリカなんだよ」

 

「っ、それは、そうだけど……」

 

「私たちは……そんなことで喧嘩してる場合じゃない。ただこの子のそばにいて、一緒に不安を癒やすのが、あたしたちの役目」

 


 フェオリアは自身も不安を抑えながら、セリカのそばに腰掛けていた。

 不安からか震える彼女の左手に、フェオリアはそっと右手を添える。

 

「ごめんね、セリカ。本当は、私たちがちゃんとしなきゃなのに」

 

「いえ……いいんです、フェオリアお姉さん。わたしは、みなさんがこうして一緒にいてくれるだけで、十分気が紛れてますから」


「そっか……なら、よかった」

 

 

 フェオリアの一言で、張りつめていた場が一旦緩む。

 クレアとセシリアも顔を見合わせ、ふっと微笑んだ。

 


「そうね。アタシたちも大人しく、フェルドとアルクの帰りを待ちましょう」

 

「ですね。もし二人が帰ってきたら、まとめてお尻ペンペンの刑に処しましょう!」

 

「セシリア、あんたねぇ……」

 

「ふふっ、そうですね。兄さんが帰ってきたら、わたしが……」


 

 そうして少しづつ場が和み、セリカにも笑顔が見え始めた頃だった。

 玄関の方で、重たい扉が閉まる音がした。


 少女らが一斉に振り向くと、そこへ一人の青年が現れた。



 

「――皆、すまない。遅くなった」




 フェルディナンドが一人で帰還し、フェオリアたちは複雑な心境に陥った。負い目を感じている様子の彼に事情を察したのか、セリカも期待の表情から一転、気を落として目を伏せる。

 

 

「……フェルド、おかえりなさい」

 

「ああ……ただいま。それで、アルクのことだけど……」


 

 落胆するセリカに配慮して、フェルディナンドは少し間を置いた。

 唇を噛みしめながら、彼は申し訳なさそうに告げる。


 

「……見つけられなかった。できる限りの捜索はしたけど、姿はもちろん、手がかりも何も……」

 

「そう、ですか……」

 

「すまない、本当に……オレの力不足だ」



 そう言って深々と頭を下げる彼に、セリカたちは黙り込む。

 行き止まりとなってしまった状況に、誰もが口を閉ざしかけていた。

 

 

「……で、でも、もしかしたら家に帰ってるかもしれませんよ?」

 

「そ、そうよ。アタシたちと入れ違いになってるかもしれないわよ」

 

「うん……家の方も捜そう。アルクのことなら、きっと大丈夫……」

 


 セシリアを筆頭に、少女らは僅かな希望に縋りつこうとする。フェルディナンドも彼女たちの意見に賛同して行動を起こそうとするなか、一人悲痛な表情を浮かべていたセリカがようやく口を開いた。



 

「わたしも、ダンジョンに連れて行ってください」



 

 彼女の突飛な発言に、フェルディナンドたちは咄嗟に振り向いた。

 一方のセリカは、澄んだ翡翠色の眼差しをまっすぐ彼らに向けている。


 揺るぎない意志を、その瞳は宿していた。


 

「……わたしを残していけないから、フェルディナンドさんは一人でダンジョンに行ったんですよね? だったら、足手まといかもしれませんけど……わたしも皆さんについていけば、探索できる範囲だって、もっと――」


 

 セリカは両の手で、悔しげにスカートを握りしめた。

 幼い少女が見せた覚悟に、フェオリアたちも気圧される。


 

「待って、セリカ……そんな、セリカが危ない目に遭うなんて、アルクは望んでない……」

 

「……そうだとしても、わたしは嫌なんです。兄さんは今、もっと危ない目に遭ってるかもしれないのに……わたしだけこんな、役立たずのままなんて――!」

 

 

 セリカは再び顔を上げて、彼らに訴えかけた。



 

「わたしも冒険者として、ダンジョンに行きます。

 皆さんと一緒に、兄さんを探したいんです! お願いします!!」




         §




「お兄ちゃーん、晩ごはんどうだった?」

 


 片や、アルクたちのいるダンジョンの住処。

 二人だけの夕食を済ませた彼らは、早々に就寝の支度をしていた。


 

「晩ごはん? んー……別に、普通だったかな」


 

 未だ自分の身体にも慣れきっていないアルクは、セラ――もとい偽セリカ――よりも先にベッドに潜っていた。身体は魔族のものとなったとはいえ、人間だった頃の感覚が残っている以上は動くにも負担がかかる。


 上品な食器類を片付けていたセラは、彼の返答に首を傾げた。


 

「普通? さっきの料理、何か物足りなかった?」

 

「いや、そうじゃなくて……さっき食った肉、全部人間のだろ?」

 

「そうだよ。ダンジョンで生け捕りにして、保存しておいたやつ」

 

「そっか……やっぱそうだよな」

 

 

 煮えきらない回答を返す兄に、セラは言いしれぬ不安を覚えた。

 片付けを終え、静かに彼のベッドに歩み寄る。


 

「お兄ちゃん、もしかして人の肉きらい?」

 

「嫌いってわけじゃないけど……何か、合わないっつーか」

 

「セリカが頑張って作った料理なのに?」

 

「んー、まあ……」

 

「お兄ちゃん、セリカのこと……きらい?」

 

「はぁ? そんなわけないだろ。セリカのことは……好きだよ」

 

 

 淡白に進んだやりとりに、セラは一旦口を閉ざした。

 そして、声色を変えてさらにベッドに横たわるアルクに詰め寄る。


 

「――本当に?」


 

 彼女の瞳から、光が徐々に消え失せていく。

 身につけた装飾品を外し、厚手の上衣を脱ぎ捨て。


 下に着ていた薄い一枚のインナーすらも、するりと脱ぎ去った。


 

「……は? 待っ、セリカ、何して……」

 

「逃げないで、お兄ちゃん。楽にしてて」


 

 一糸纏わぬ姿で、彼女は白い素肌をさらけ出してアルクに迫り、馬乗りになって彼を押さえつけた。全裸でのしかかってくる妹にアルクが頬を染めて戸惑うなか、セラは妖艶な微笑を湛えて言い放った。

 


 

「好き同士なら、もできるでしょ?」




 

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