第4話 メタモルフォーゼ
私たち魔族の使う〈洗脳魔術〉は、単純で強力だ。
儀式を承諾した相手との“契り”を交わせば、あとはこっちが相手の自我を消して、私への忠誠心を植え付けて従順にさせていくだけ。『洗脳』の最中に追加で刷り込みを行えば、支配はより強固なものになるらしい。
それは例えるなら、「コーヒーに砂糖をたくさん入れて苦味を限界まで薄めるようなもの」だって、師匠が言ってた。あたしはコーヒー飲んだことないからわかんないけどね。
でも、その「苦味」が消えづらいこともあるわけで。
それは例えば、自分の命よりも大事なものがあったりする場合。
家族とか恋人とか友達とか……人間はそういう他者とのくだらないつながりを、何故か大事にしようとする。自分を二の次にしてまで、その人を想ったりする。ただの他人だっていうのに。あたしには理解できない。
まあ要するに、そういう強すぎる感情が残ってると邪魔になるって話。
人格をかき消して支配するにも時間がかかるし、最悪洗脳後でも記憶が蘇って支配から逃げようとするかもしれない。それはやっぱり、こっちとしては面倒だ。
ただ、アルクくんの場合、それが自分の妹だった。
彼の中で妹の記憶が残っている限り、生半可な洗脳だと多分すぐに解けてしまう。彼が自分の身を捨ててでも守ろうとした存在だから。彼女のへの想いは、あたしにとってこれ以上なく邪魔だった。
だから、あたしはこう考えた。
――あたしが、アルクくんの妹になればいい。
その手順は、思ったよりカンタン。
まず、刷り込みの段階で、あたしのことを妹だと認識させる。
それはいわば、彼の中の妹――セリカとかいう女――のイメージを上書きすることと同じ。一度あたしのことを妹だと思ってくれれば、もうこっちのものだ(彼の愛情もあたしに向くわけだし、一石二鳥!)。
次に、外見上の問題。
彼が目覚めたとき、人間のはずの自分の妹が魔族だったら、当然怪しがる。洗脳で記憶は消せても、そういう根本的な知能までは無くせないから。
だからといって、あたしは人間になんてなれない。
だったら、彼を魔族にするだけだ。
なるべく色んな人の肉を食べさせて、体内の魔力を混ぜる。
多少身体に無理は出るだろうけど、うまくいけば、魔力が反転反応を起こしてアルクくんもあたしと同じ魔族になれる。種族の壁なんてものは、あたしたちの愛の間には不要なんだ。
妹、なんて形ばかりの関係が必要かどうかはわからない。
あたしだって、妹としての接し方なんて知らない。
それでも、アルクくんを支配できるなら、彼に愛されるなら――。
あたしは、兄妹のつながりを選ぶ。
あたしが、『セリカ』になってやる。
「好きだよ、
あたしは、あなたと……キミとのつながりがほしい。
あたしがキミを好いているように、キミにもあたしを好いてほしい。
たとえそれが、偽りの関係だとしても。
だから――
「早く、起きてね」
あたしは、待ってるから。
***
瞼の裏から、淡い光が差し込む。
重だるく深い微睡みから抜け出して、目を見開いた。
「ん……ここは……?」
何やら、薄暗い部屋だ。
壁際に据えられたランプたちだけが、この部屋にある唯一の灯り。やけに重く感じる身体をベッドに横たえて、俺は眠っていたようだった。
無造作に伸ばした左手には、誰かの手が重ねられている。
「あれ? お兄ちゃん……目、覚めたの?」
「え? その声、お前……」
俺は上体を起こし、声の主の少女と対面する。
だがその瞬間、彼女は勢いよく俺の胸に飛び込んできた。
「――アルクお兄ちゃん、おっはよー!!」
「ぐへっ!?」
そのまま抱きつかれるようにして、俺はその少女に押し倒される。華奢なその身体で俺の胴をがっちりホールドした彼女は、自分の頬を胸にすりつけながら両足を嬉しそうにばたつかせた。
「おはようお兄ちゃん! セリカ、お兄ちゃんが起きるのずっと待ってたんだよ〜!」
「あ、ああ、そうだったんだな……」
「ねぇねぇ、どっか痛いとこない? お腹は空いてる?」
やたらキラキラした目で俺を見つめながら、その少女は訊ねてくる。
雪のごとく真っ白な髪に、血のような深い赤を宿した瞳。
それらを圧倒して目を引く、漆黒の角。
彼女はたぶん、魔族なのだろう。
でも、特にそこは問題じゃない。
お兄ちゃん、というワードをとりわけ強調しているが、彼女は俺の妹なのだろうか。彼女の姿もうっすらと見覚えはあるし、なによりこの懐き具合からしてそれで間違いはなさそうな気もするが……。
記憶が曖昧で確信が持てない。
色んな種類の記憶が重なって、混在している。
「お兄ちゃん? ぼーっとして、どうかした?」
「いや……その、キミは――セリカは、俺の妹だったりするのか?」
「うん、そうだよ! セリカはアルクお兄ちゃんの“大事な”妹で、あなたはセリカの大好きなお兄ちゃん! セリカたちは魔族の兄妹だから、ダンジョンの奥にあるこの住処で暮らしてるの。もちろん、二人っきりでね!」
セリカと名乗る少女は、嬉々として俺にすべてを明かしてくれた。
思ったより細々と状況を説明してくれて、何だか助けられた気分だ。
彼女は俺の魔族の妹で、その兄の俺も魔族。
宿敵である人間からは身を隠し、人間の街とは遠く離れたこの場所――ダンジョンの奥底に居を構えている。それも、誰にも邪魔されない二人暮らしで。
徐々に、沈んでいた記憶が浮かび上がってくる。
というか、うっすらとそんな気がしてくるような感覚だった。
「そっか……そうだったな。ありがとう、セリカ」
「ううん。思い出してくれたみたいでよかったよ!」
そうだ。紛れもなく、俺たちは二人は兄妹だ。
何年も前から、ずっと。
***
大きな鏡をじっと見つめる。
正確には、そこに映る自分の姿を。
「これが、俺……」
少し伸びた髪は病的に白く、瞳の色は赤。
ただ、右目だけ白目の部分が黒に反転している。
そして、額の左側から生えている黒い角――。
そんな歪で異形な自分の容姿に、違和感を覚えなかったわけではない。それでも、俺は今の自分を意外とすんなり受け入れることができた。
やっぱり、俺とセリカは兄妹だ。
セリカの兄である俺も、魔族なんだ。
「――お兄ちゃん、見て見て!」
狭い部屋のリビングから、セリカが俺を呼ぶ。
一旦考え事はやめて鏡から離れ、俺は素直にセリカのもとへ向かった。
「なんだ?」
「ほら見て、冒険者たちがダンジョンに入っていったよ!」
セリカはそう言って、壁に“映し出された”光景を指差す。
彼女が〈眼〉と呼ぶ、奇妙で万能な魔晶石。その力によって中継されたダンジョン内の『現在』が、そこには広がっていた。様々な階層で起きている事象が、一手に俺たちの視界に入ってくる。
画面の端に映る一階層の入り口には確かに、暗い通路を歩く武装した人間たちの姿が見受けられる。彼らは行く手を阻む魔物たちを蹴散らしながら、我が物顔で先へと進んでいく。
「……こいつら、どうする? 俺たちがやっつけに行くのか?」
俺たちが魔族なら、人間たちに見つかった場合まずいことになる。
いくらここがダンジョンの最下層だとはいえ、だ。
「ううん、大丈夫。魔物と罠がなんとかしてくれるよ」
焦りを感じる俺とは対照的に、セリカは冷静に答える。
たしかに、ここは腐ってもダンジョンだ。一介の冒険者が簡単にここまでたどり着いてしまうほど、ヤワな造りはしていないはず。
「あたし――セリカたちは、ここでコイツらが苦しむのを観ていればいいの。もし万が一何かあったら、また魔物と罠を配置すればいい話だしね」
「そう、なのか……」
思ったより、やることは簡単……というか、それじゃ暇だ。
自分たちを守る要塞を作って、それに苦しむ人間たちの顔を俺たちは安全地帯から眺めるだけ。安心安全この上ないが、これじゃあ高みの見物もいいところだ。
少し退屈しそうになった俺に、セリカは首を傾げて訊いてくる。
「もしかしてお兄ちゃん、血とか嫌い?」
「血? なんでだよ?」
「だって、もしコイツらが魔物に負けたら、ここで死ぬんだよ?」
――死。人間の迎える最期。
それを俺はこれから、この画面を通して観ることになる。
「人間が、死ぬ……」
それから画面に視線を戻すと、十階層あたりでひとつのパーティが窮地に陥っていた。
既に仲間の援護は望めず、残った者はただ死を待つのみのどうしようもない状況。腹を裂かれる致命傷を負って瀕死となった冒険者の苦悶と絶望に満ちた表情が、やたらと目に焼き付く。
そんな彼の最期を、画面越しに傍観する自分。
心が痛まないのかと言われれば、それは――
「でもまあ、これが普通か……」
特に、何も感じない。
感じないことが、普通だと思う。魔族であるならば。
人間はそれぞれ顔も性格も違うが、みんな俺たちの敵だ。
俺の味方は魔族――それも、妹のセリカだけ。
セリカさえいれば、今の俺はそれでいい。
それで、いいんだ。
§
同時刻。
アルクたちが見つめる画面のうちの一つに、ひとつの人影が映った。
真紅のマントを羽織った金髪の青年は、片手剣を手にひとりダンジョンを歩く。青年の放つ英雄然としたオーラに気圧されたのか、下級の魔物たちは彼を見つけても襲おうとはしなかった。
数時間前セリカと出会ったフェルディナンドは、彼女の不安を晴らすために一人ダンジョンへと赴いていた。目的は勿論、セリカから聞いた朝の状況からして、ダンジョン内で行方不明になっている可能性の高いアルクの“捜索”。
ただでさえ心細いはずのセリカを一人にはさせまいと、残りのパーティメンバーは屋敷で彼女と待機させている。戦力的には心許ないが、フェルディナンドの気遣いが勝ってしまった形だ。
「アルク……君は今、どこにいるんだ?」
独りごちたフェルディナンドは、その場で立ち止まる。
そして、『セリカ』によって頭上に取り付けられた〈眼〉を彼は見上げた。
「――本当に妹を、一人にしていいのか?」
誰に聞かせるわけでもなくそう呟くと、彼はまた歩き出した。
重い彼の靴音は、刻一刻とアルクたちのいる住処へと近づいていく。
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