第2話 洗脳少女

 夜の帳が降りて数時間、ダンジョンに潜って数十分。

 俺は今、13階層の通路を一人で歩いていた。

 

 夜のダンジョンは、不気味だ。


 自分以外の人間の気配はしないし、何より魔物たちが凶暴化する。

 通路の明るさは昼間と変わらないが、どことなく薄気味悪さが漂っている。さっき飲んだ酒が入っていなければ、今頃この気味の悪さでリバースしていることだろう。


 

(……いや、飲んだ方が吐くか)

 

 

 ついヤケ酒で飲みすぎてしまったからか、既に頭が痛い。

 ただ、俺は親父に似て酒には強いほうだ。そう簡単には酔わない。

 

 

 まあその親父も、ダンジョンここで死んだんだけど。

 

 

(親父……)


 

 俺がまだ13、駆け出しの冒険者だった頃、親父は俺をよくダンジョンに連れて行ってくれた。もともと親父は第一線級の冒険者だったから、俺は必然的に親父の指導を受けるようになったわけだ。


 

『アルク、男ってのはな、誰かのために戦ってこそ男なんだよ』


 

 親父はたまに、そんな格言めいたことをガキだった俺に説いた。

 たとえ素面であろうと、親父は至って真面目に語っていた気がする。


 

『戦う理由があるから、守るものがあるから、戦う。戦うっつっても、魔物と戦うことだけじゃねえぞ? 一人前の男ってのはな、どんな形であれ、自分の大事なもんのために戦うもんだ』

 

『大事なもん? ……それ、俺にもあんの?』

 

『もちろん。お前にとっちゃ、セリカがそうかもな』

 

『セリカが?』

 

『ああ。アルク、お前は兄ちゃんとして、可愛い妹を守る義務があんだ。もし俺が死んでも、お前だけはセリカを守れよ。そのために戦うんだ。これは父ちゃんと、天国の母ちゃんとの約束だからな!』


 

 まるであのとき予言でもしたかのように、親父はその後すぐに死んだ。


 

 足でまといだった俺を庇って。


 最期に、俺の名前を叫んで。

 

 

(妹を守る義務、か……)

 

 

 そういう事情もあって、俺はまだあの約束に従って生きている。

 親父との約束に、縛られている。


 だから俺は、セリカのために戦う。

 セリカとの日常を守るためなら、何だってする。


 

「さて――」


 

 しんみりした回想は終了し、俺は現実に意識を戻した。

 

 視界に映った敵影に、俺は腰のククリナイフに手を回す。

 正面、程よく肉の乗った〈オーク〉が二体。幸い、二体とも開けた場所に休憩中だ。俺一人でも奇襲はかけやすい。

 

 

「今日はもうちょい稼いでいくか」

 

 

 軽く前傾し、深呼吸のあと目を見開いた。



「――【疾風の加護ラピッド】」

 

 

 短文詠唱による、両脚への“加速力”の付与。

 

 相手の反応を待たずに、俺はトップスピードでスタートを切る。

 ナイフを肩の後ろに振りかぶり、勢いのまま疾走した。

 眼前に映る景色が、急速に後ろへ流れていく。


 徐々に近づいてくる、敵の無防備な巨体。

 突撃のスピードを乗せた刃を、その肉体に滑り込ませる。


 

「――【裂閃の加護ファルシオン】」


 

 刃が入った、その刹那。

 俺はまた静かに詠唱し、今度はナイフの刃に力を宿した。


 魔法を付与し、金色に輝いた刃はそのまま敵の身体に食い込み。

 太い胴体を、一撃で両断した。


 

『ゴッ、グァアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 

 切断力を高める、攻撃用の付与魔法。この程度の加護さえあれば、このククリナイフ一本でもオークの肉を斬るだけなら容易い。

 

 緑の血液が飛び散り、俺も返り血を浴びる。一体目は致命傷だ。するとようやく、奇襲に気づいたもう一体のオークが、こちらに掴みかかってきた。

 

 俺は咄嗟に突撃の勢いを利用し、両者の間を突っ切って壁に足裏を向ける。


 

「――【疾風の加護ラピッド】」

 

 

 方向転換からの、二度目の加速。

 この程度の相手に、俺もいちいち立ち止まっている暇はない。そのまま俺は思い切り壁を蹴り飛ばし、また爆速で突貫した。ある程度離れていた敵との距離が、一瞬にして縮まる。


 そして接敵の直前、俺は踏み込んで跳躍した。

 空中で刃を構え、狙うは二体目の『頸』。


「――」

 

 サンッ、と刃が小気味よい音を立ててすり抜けた。

 空中で二体目の頸を斬り捨て、姿勢を制御しながら地面に降り立つ。


 背後で、首なしの〈オーク〉が血飛沫を上げてたおれる。

 二体分の〈オーク〉の死体が、そこには転がっていた。


 

「ふぃ……」

 

 

 一段落つき、俺は溜め息をついた。

 灰になっていく死体から魔石を回収して、軽く伸びをする。

 

 まだこれでも準備体操程度、今夜はまだやれそうだ。

 

 味方の援護なし、それどころかいつもの主力がいない状況でも、存外なんとかなる。自分で言うのもなんだが、俺は個人の冒険者としてはよくやれる方だ。ソロでこうして探索を続ける方が、俺には向いているのかもしれない。


 ただ、これだけやってもまだ、収入としては心許ない。

 あの忌々しきパーティの“おこぼれ“に預からなければ、俺たちはまだ楽はできないわけだ。屈辱的ではあるが、それが今の俺の冒険者としての現状で、受け入れなければいけない現実。


 

「ほんと、冒険者って割に合わねぇ……」

 

 

 冒険者は、仕事としてはだいぶクソだ。

 でも、それしか生き方を知らない俺はこうして縋り付くしかない。


 文句ばかり、言っていられない。

 弱者に分類される俺に与えられる選択肢は、少ないんだから。


 現実に嫌気が差しつつも、俺は眠気を払って歩き続けた。酒のせいかストレスのせいか、若干頭が痛むのも気にせずに足を動かし続けた。

 

 だが、この選択が間違いだった。





「チッ、やべ……マズったかこれ」


 

 あれから数十分後。

 ダンジョンの更に奥へと進んだ俺は、窮地に立たされていた。


 

(オークが4匹――いや5匹か……)

 


 がむしゃらに進んだ俺が足を踏み入れたのは、魔物たちの『溜まり場』。普段のパーティでも相手取りたくないような数の魔物を、俺は一人で捌くことを余儀なくされていた。



(スパイダーキャッチャーまで……これ、ピンチってレベルじゃ――)


 

 口から吐く粘液で足止めしてくる蜘蛛の魔物、〈スパイダーキャッチャー〉。オーク五体に加えこいつの足止めまで警戒するとなると、流石に一人じゃキツい。


 すべての過ちの始まりは、ギルドで買った地図も持たずにここまで来たことだ。パーティで一枚買った地図は当然俺が持っているはずもなく、リーダーのフェルディナンドが管理している。仕方がないとはいえ、ルートも確認せずに適当に突き進んだばかりに、こんな地獄みたいな場所に今俺はいるわけだ。


 つまりは、俺の自業自得――。


 

「クソっ……ざけんな!!」

 

 

 だからって、弱音なんて吐けない。

 俺は必ず、生きてセリカのもとに帰らなきゃいけないんだ。夜が明けてあいつが、目を覚ましてしまう前に。セリカにはもう二度と、寂しい思いをさせたくない。


 

「俺はっ……帰らなきゃいけないんだよ!!」


 

 自分を奮い立たせて、得物を握り直す。


 加速魔法を付与した脚で駆け回り、〈スパイダーキャッチャー〉の粘液を掻い潜りながら、丸太で武装した〈オーク〉たちを一体一体少しづつ削っていく。体力的に短期決戦に持ち込みたいところだが、回復役もいない今俺はヒットアンドアウェイに徹するので精一杯だ。


 頭が痛い。加速魔法で酷使した両脚が悲鳴を上げる。

 付与魔法の使い過ぎで、魔力残量もあと僅か。正に孤軍奮闘、どう頑張ってもジリ貧。


 

「こんなとこで……死ねるか――っ!?」

 

 

 自分を奮い立たせようと叫んだ、その直後。

 疾走していた俺の身体が、大きくふらついた。

 

 両足から一切の力が抜け、そのまま顔面から地面に転がる。

 

 

「……っ、うそだろ?」

 

 

 脚に力が入らない。

 おそらくは、予想通り魔法付与の代償による、肉体的な限界。

 

 地面に伏した俺に、ジリジリとオークたちの足音が迫る。

 たまらず死を直感した俺は、腕を使って必死に這いつくばった。


 

「くっ、そ……」

 

 

 地面を這う俺の足を、オークの大きな手が掴む。

 こうなったらもう、終わりだ。オークの握力には抵抗出来ない。


 これから俺の身体は、あの5匹のオークたちに引き裂かれて貪られるんだろう。そして、骨の一つも残らないような酷い有様となって、俺はこのダンジョンの一部と化す。ここで死んでいった数多の冒険者と――親父と、同じように。


 

(親父……、セリカ……っ!)


 

 親父、ごめん。

 俺、もうセリカを守れそうにない。

 

 俺は、弱かった。

 惨めで貧弱で傲慢で、強がりで。

 ちっとも、あいつの兄貴らしいことできなかった。


 だから、ごめん。

 殴るなら、天国そっちでいくらでも殴ってくれ。






『――――めて』

 

 




 誰かの声が、鼓膜を打った。俺は目を開けてはっとした。

 凛として澄んだその声色に、思わず振り返る。


 

『その人は傷つけちゃだめ。いい子だから、ね?』


 

 小柄な女性――いや、少女がそこにいた。

 それも、黒い角の生えた姿の“魔族”の少女が。


 白い髪の少女はオークたちにゆっくりと近づき、優しく諭すように語りかける。すると、オークたち魔物の集団は彼女の言葉を聞き入れたのか大人しく引き下がり、獲物であるはずの俺からも離れていく。

 


『ごめんね、乱暴にさせちゃって。怪我してない?』


 

 その魔族の少女は、取ってつけたような愛らしい笑みを俺に向けてきた。

 でもこれは、紛うことなき罠だ。

 

 人間に付け入るための、巧妙な作戦の一部。人間と同じように言葉を操り、表情を取り繕う魔族は、ときにどんな恐ろしい魔物よりも厄介だと親父も言っていた。


 なんとか両足に力を込めた俺は、片膝をついて立ち上がる。


 

「怪我? してねーよ。お陰様でな」

 

『そっか、よかった。じゃあ』

 

「――けど、それ以上近付くな」


 

 背中に掛けていた弓矢を素早く構え、俺はその少女に向けた。

 弦には既に矢を番えている。あとはこの手を離すだけで、矢が彼女を穿うがつ。


 友好的な態度をとる相手に、俺は明確に敵意を向けた。

 ……それなのに。


 

『すごい……今の構え、動作に全然無駄がなかった! かっこいい〜!』

 

「……はぁ? なんだお前、それ以上近付くなら、本当に――」


 

 俺が油断した、その少しの瞬間で。

 

 

『顔も整ってるし……なんか好きになっちゃいそう』


 

 たった大股一歩で、彼女は俺のすぐ目の前まで移動した。

 

 彼女は蠱惑的な微笑で、俺の顔を覗き込む。

 そのあまりの戦慄に、俺は弓矢を引いたまま硬直して動けなくなる。


 

『よし、じゃあ……決めた!』


 

 固まる俺の前で、少女は淡く微笑んでみせる。

 そして躊躇いもなく、俺に顔を近づけて。


『今日からキミは、あたしの下僕モノってことで!』



 

 無抵抗な俺の唇に、そっとキスをした。


 




       ◇◇◇


 




 あれから、どれくらいたっただろうか。 

 朦朧とする意識の中で、俺は目を覚ました。


 頭痛が酷い。散々動き回ったせいか、身体中が痛む。

 

 用意されていた椅子に座ったまま、俺は茫然と辺りを見渡した。明かりと呼べるものはすぐそばの魔石灯ランプだけで、こじんまりとした四角い部屋の輪郭がぼんやりと浮かび上がっていた。


 すると、部屋の奥から足音が近づいてくる。


 

『あ、起きた? おはよう!』


 

 視界に飛び込んできたのは、先程の魔族の少女だった。

 屈託のない笑みを浮かべる彼女に俺は身じろぐが、うまく手足が動かない。


 そこで気づいた。

 俺の手足は、いま椅子に縛り付けられている――。


 

『逃げようとしても無駄だよ? ここはもう、あたしの部屋なんだから』


 

 手足の拘束は解けそうにない。

 逃げ場のない俺を見る彼女の瞳は、静かにわらっていた。



 

『今からキミは、あたしのものになるの』



 

 底知れぬ恐怖が、じわじわと脳内を支配する。

 今度こそ俺は終わった、そう思うことしかできなかった。




 

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