【論考:個人消費】人間にとって、資産1億円の差よりも月収20万円の差の方が大きい差だと思っているのです。

──『したいことをやるんじゃなくて、できることをやろうかなあって』──

☆☆☆


 2024年5月29日(水)。21時27分。一日中休みの日。


 こんにちは。井上和音です。


 統合失調症だから何か起こったのかと言われたら、特にこれと言って特別な何かが起こったわけでもありませんが、こういう平日のど真ん中に一日中布団にこもって休みをぬくぬくと満喫できるのも統合失調症になったからかなあと思いながら、打っています。


 幻聴で「こういうのやめない?」って聞こえてくるんだよな。


 午前中は朝ご飯を食べた後は、布団にこもって何もできませんでした。統合失調症です! 陰性症状です! と大袈裟に言うこともなく、多分、うつ病に近い精神疾患なのでしょうか。


 同じような症状が出ていれば統合失調症の陰性症状だろうが、うつ病だろうが、同じ苦しみには変わらない、とか言ったら、散々統合失調症には本物と偽物がいるとか言ってしまっている私の定義から外れてしまいますね。私は偽物のうつ病患者です。うつ病と診断を受けたわけでもないです。


 ただ、朝ご飯の時間には起きれて、その後は、ぼーっと布団で寝てしまうの、別にきつくはないけれど、もうちょっと人間が活動していい時間帯に空が真っ暗になってほしいですね。日光が出ていたら「働け!」って言われているみたいできついですもんね。きつい人生を送ってきたら、日光が嫌いになってしまう症状とか出るのでしょうか。


 今朝は寒かったですし。多分、ちょうどいい気温。地球沸騰化で私の体温調節が狂ってしまっただけ。


 布団にこもっている中でも出来ることがAmazonShoppingですね。新時代の主役。インターネット。布団にこもりながら本を、Kindleを買えるってなかなかの時代の進歩だと思います。長崎次郎書店が休業に追い込まれたのも分かりますね。本屋に行かなくても本を定価以下で買えるもの。新品を売る本屋さんに行く意味が無いよ。


 秀和システムのExcelの本と、キクタンサイエンス一冊と、キクタンメディカルの一冊をごろごろしながら買ってしまいました。秒で7000円くらい消えたんじゃないの。そのあとまた寝るという。


 いつ読むんだろう。


 午後にキクタンサイエンスとキクタンメディカルを読んで、聞いてみましたが、例文が無いので聞く意味なくない、とか思ってしまいましたが、聞く意味は多分あるのでしょう。ところで何で私は英単語なんかしているのだろうか。どこかで英語を話す機会でもあるのでしょうか。


 ダメだ。


 一ページしか見ていないけれど、結局覚えきれていない。私に勉強の才能は無いんだよ。本当に無い。記憶力の才能が特に無い。忘れる才能しかない。勉強の意味が無い。


 ほぼ無くなっていた自動車のガソリンを入れに外に出たら、爽やかな風と真っ青な空。ああ、青春って感じ。あれ? 今日の空いつもより青くね? みたいなやつですね。元ネタは目卍さんです。今日の空いつもより青くね? ってなかなか意味が分からない。人を笑顔にする力を持つ人は特別な存在なのだろうなと思っています。


 ガソリン代、満タンで入れたら500円くらい高かったのだけど。政府の補助金が終わったみたいですね。ウクライナ情勢を鑑みての制度なのに、ウクライナ情勢はそのままで静かに補助金は消え去っていきました。うう。苦しい。


 帰って、カレーヌードルとチキンラーメンを食べて、Fit Boxing 2をして、なんか色々インターネットをやって、一日が終わりました。青春って感じ、しませんね。ただの惰性。あれ? 今日の一日いつもより眠くね? って感じの一日でした。


 水文学とか、思い立ったが吉日でやってみたかったのですが、鉱物図鑑を開くことなく終わりました。一日でどうこうなるわけではないし、そもそもが自分の好きなことをやったほうがいいのではないかと思います。私はそう思います。


 偶然性を広げる旅もなかなか厳しい。夜のほうが得意なので、365日アルバイトも何もなく、一人暮らしでお金が潤沢にあれば、夜通し本か、漫画でも読むのですけれどね。日中は眠い。もうダメだ。Kindleが溜まっていく。溜まっていくというよりも貯まっていくというほうが的確な表現なのかもしれません。1500冊って小さな小学校の図書数くらいはありますよ。最強になりたい。敗北を知りたい。秋田書店の漫画半額ポイントセールはあるのでしょうか。刃牙が来たら買いたいですね。


 半額ポイントセールを待たずして買えるくらいのお金持ちになりたい。半額ポイントセールがやってきて、既に買ってしまっている私は「敗北した」と宣言しながら悠々と刃牙シリーズ全巻読んでいるのですわ。敗北を知りたい。


 頭の中がBlessingという曲でいっぱいいっぱいになっているのですが、そのピアノの音源をYouTubeMusicのオフラインに入れれただけでも、人生は少し進歩したのでしょうね。サブスクに入っていれば無料で出来ることはいっぱいある。


 私は親近者からニックネームでどぐらと呼ばれているのですが──どぐらとは、熊本弁で怠けものという意味です──「出た。どぐらの理論」と言われたのを最後に紹介して終わろうかなと思います。


 私は資本主義が嫌いです。なら投資信託もやめろやと言われそうですが、なんで嫌いかというと、原理的に、人間って生活していく以上の資金って別にいらなくないですかと、そういう主張を持っています。これがどぐらの理論です。昼ごはんにカップヌードルか、コンビニで1000円以内で充分な栄養をって、夜は宅食と白いご飯。これさえあって、残りはKindleを買う。それ以外は3万円くらいは投資信託に回す。今の生活がこれなのですが、別にこれ以上を求める気はさらさらありません。私に追加の余剰資金が生まれたとしたら、Kindleに使うか、ただ貯金するか。余剰資金が定期的に増えたならば、積立投資額をもうちょっと、2万円から3万円くらい増やしてみるか。もっとあれば上限の10万円まで増やすとか。強いて言うならば、政治資金規正法とか話題になっていますが、国会議員の年収以上に何に使うのかが疑問なわけです。政治資金パーティーを開いて票を固める必要性があるのは分かりますが、誰かさんみたいに5000万円分を書籍代で使うとかするのがよく分からないのです。生活以上の必要資金って一体何に使うのだろう。2億円あっても3億円あっても使いきれないならば同じのような気がします。2億も3億も同じって感じで、そこには1億円の差があるのですが、1億の差よりも、月収10万円と月収30万円の差のほうが人間にとっては生活をしていくうえで大きな差だと考えています。1億円の差よりも20万円の差の方が大きい差だと思っているのです。生活していくうえで必要以上の給料っていらなくない? どぐらの理論は正しいのでしょうか。生き抜いてみて振り返って見ましょうか。

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