『Blessing feat. VOCALOIDS』をYouTubeで聴いて、鏡音リンちゃんの「最後の一秒まで前を向け」というフレーズを聞いて思い浮かんだ一場面。

──『例え明日世界が滅んでも

   最後の一秒まで前を向け(Blessing)』──

☆☆☆


 2024年5月28日(火)。21時18分。


 Blessingという曲に昨日の夜に出会いました。


 こんにちは。井上和音です。


 冒頭言から書いています。


 『例え明日世界が滅んでも

  最後の一秒まで前を向け』


 いいですね。特に『最後の一秒まで前を向け』を二回目のサビで鏡音リンちゃんが歌っているのがまた良いですね。


 娘から怒られている感じ。もしくは妹から怒られている感じ。


 別にロリータコンプレックスというわけではないのですが、年下で、まだ未成年、というか、小学校高学年くらいのピュアな子どもから『最後の一秒まで前を向け』と言われたらぐっと来るものありませんか。ありませんか。


 こんな感じで。


☆☆☆


 「ごめんね。もう良いんだ。父さん。これからは母さんと一緒に生きていくんだよ。じゃあな」


 全ての借金を背負い、自殺する決意を固めた。


 自分ほどの不孝者もいないだろう。親には迷惑を掛けるが、せめてもの一人娘だけには苦労を掛けたくない。


 全ての賭けは終了した。私の敗北で人生は幕を閉じだ。


 娘は、茫然と前だけを見ていた。


 最後に、娘の髪を撫でた。


 しゃがみこんだ。娘と目が合った。娘の唇は震えていて、もろそうな瞳からは涙が零れ落ちそうになっていた。


 娘の瞳が揺らぐ。


 娘の気をまぐらわせようと、にっこりと笑顔を見せた。


 その嘘の笑顔は。


 娘の右手によって、崩された。


 パチンッと音がした。


 は。え。貼り付けていた笑顔が急に強張る。右方向へと顔をじらせて。


 なぜ。殴った?


 「最後の一秒まで前を向け」


 その言葉だけしっかりと、はっきりと私に伝わるように大声で娘は叫んだ。


 その後、私が乗せていた手を振りほどき、娘もしゃがみこんで小さな声を漏らしながら、こらえていた涙が数滴、両目からこぼれ落ちた。 


 私が不幸だと思っていたことがどうでもよくなった。


 私が死のうと思っていたことがどうでもよくなった。


 私が不幸だろうが、他人にとっては関係がない。しかしながら、私の不幸をなすり付けて、一人娘を泣かすことだけはしてはいけない。


 絶対にしてはいけないことを私はしてしまった。


 娘はもう。嘘の大人に騙される年齢ではなくなっていたらしい。馬鹿なのは私だった。死ぬこと以外考えていなかった私は、成長した娘から、生きることとは何かを教わることとなった。


 最後の一秒まで前を向け。


 死んだほうがマシな人生でも。死ぬほど苦しい人生でも。それがあるのが生きるという、無作為に生み出された私たちの生きる苦しみなのだと知った。


 苦しい、それゆえに喜びが愛おしい。


 そういう、例えどん底の人生でさえ、小さな幸せを感じられるのは、生きているからこそなのだ。当たり前だ。死んだら天国へ行けるなんて冗談は、必死で生き抜いた者のみが辿り着く結論なのだから。


 生き抜いたのか私は?


 生き続ける選択肢があるのならば、生き続けるべきではないのか。


 娘は当たり前の一言だけを残し、後は何も言わずに泣き続けている。


 生きることしか知らない人生。


 苦しいことも受け止めなければいけない人生。


 ある意味で子供の生きる世界は残酷だ。


 それゆえに、私のような戦わない大人にとっては、忘れていた生きるという本質を思い出させてくれた、その一言。


 嘘の笑顔を張り落とされた私は、自己へのいましめの涙が自然に溢れてきた。


 生きたい。


 娘の力を貰わなければ、そんな当たり前の純情すら辿り着けなかったということか。


 申し訳ない。申し訳ない。申し訳ない。申し訳ない。


 娘に申し訳ない。


 娘の頭を抱き締めて、言った。


 「ありがとう。成長したな。父さんももうちょっと頑張ってみるよ」


 その後は、しばらく二人でお互いの温もりを感じ合っていた。


 生きることそのものを、感じ合っていた。


☆☆☆



 みたいな。


 こんな感じをBlessingという曲の、鏡音リンちゃんの『例え明日世界が滅んでも 最後の一秒まで前を向け』という唄声から思い付いた一場面でした。正確に言うと、リンちゃんが歌うのは『最後の一秒まで前を向け』のフレーズだけなのですけれど。YouTubeだと素朴な絵のリンちゃんが厳しめなことを言うギャップがたまりませんね。たまりませんねえ! ロリコンではありません。こんな一場面を思い付いていてロリコンだと言う人はいないでしょう。純情で当たり前しか知らない子供が放つ一言が好きなだけです。それをロリコンと言うのならば私は黙ってロリコンの称号を受け入れましょう。


 多分、本当に違うと思う。実際の子どもってこんなに強いものなのかな。兄妹でもいいんだけど。なんか知らないけれど、妹を溺愛している人の多くがアイマスとか好きよね。Twitter調べです。Pさんになる人の多くは本物の妹をようしています。偏見ですね! 私はプロデューサーさんになったことがないので分かりませんが、年下の女の子を育てていくのって楽しいのでしょうか。


 今日の日記みたいなの書いていいですか。


 職場の別の先輩が大学では『すいもんがく』をやっていたそうです。脳内で『水門学』と翻訳された井上さんは、「(川の管理とかする学問なのかな)」とか思っていたそうですが、正しくは『水文学』でした。多分、天文学の仲間でしょう。風呂場で「水文学とは天文学と文字が同じなので、水文学は天文学のように、数理の力を使って水の流れや性質について地質学的観点から研究していく学問」と定義付けしてみました。水文学って本で学べる分野なのでしょうか。


 明日は休みなので、鉱物図鑑でも眺めながら水文学のすの字くらいは話せるようにしたいですね。

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