大学時代に様々なジャンルをエアプして、偶然性を広げ、自分史上最も仲の良い友人が職場で出来ました。異動してもこの仲の良さは続いていくのだろうかと不安になっています。

──『点と点はいずれ繋がる』──

☆☆☆


 2024年5月26日(日)。11時01分。


 馬鹿なので、不安になってきたことを語る。短めに終わりたい。


 こんにちは。井上和音です、って挨拶を交わす必要性も無いくらいに、どうでもいい話なのかもしれない。こういうのはLINEで、見たことのある友人に相談するべき事柄なのだろうし、そう思ってLINEで相談したりした。


 誰からも返事が来なかった。


 こんにちは。井上和音です。


 職場の話である。仕事の話なのかいと言われたらそうではない。どちらかというと人生の話。プライベートの話。


 職場で仲の良い先輩ができた。どれくらい仲が良いかというと、この前二人でサシ飲みに行ったくらいだ。それだけでも充分に、自分としては革命のように心が救われるような出来事だった。


 その人以外とは特に仲がいい関係ではない。職場はそんなものだと思っていた。社会人ってそんなものだと思っていた。


 だが、毎日昼ご飯を食べながら相手のほうから話しかけてくれるくらいには仲が良くなっていた。その果てにサシ飲みがあって大いに盛り上がった。


 一言で言えば、私がちょろいだけで、深く人間関係を築けるだけの経験をしたことが無いだけなのかもしれない。宗教とかマルチ商法とか簡単に引っ掛かりそうなぐらいに、自分はあっけなく人に心を開く。その人に対して宗教だとかマルチ商法だとか、そういう話は今のところ一切ない。


 というか、多分、今後も一切ない。そういう話が出れば、怖くなって他の職員さんにでも相談したら、不利になるので、そういう話は一切ないだろうと、今後も一切ないだろうと思われる。


 人間関係を築く上でのリスクなどはどうでもよくて。


 言ってしまえば、仲良くしてもらっているので、結構依存度も高く、気持ち良く出社している。ここまで話が合う人も珍しい。


 言ってしまおう。その人が異動になったとして、そのときに自分は耐えきれるのかが小さく不安としてある。


 他にも色々と不安はある。漫画などのサブカルで、鬼頭莫宏先生などで仲良くなって、お互いに否定しない関係を築けて、これ以上にないくらい、自分にとっては歴史の一ページに刻まれるくらいに仲良くなっている相手なのだ。しかしながら、このような関係性を築けたのは、自分が大学時代に「美しいものを見つけていきたい」もしくは「偶然性を広げていきたい」という、そのことを信じて濫読らんどくをして、熊本では辿り着かなかったであろう鬼頭莫宏先生のなるたるやらぼくらのやらを読んでいたから、仲良くなったという経緯がある。


 偶然性を広げていきたいという、投機のような時間の使い方。統合失調症の前に濫読をした結果、遂に繋がる人とは繋がったと言えば分かりやすいか。


 結局、投機が上手く行ったと言えば、何か打算的で嫌な感じがする。しかし、上手くいった。計画も何もないので打算ではないのかもしれない。PokémonGOをしていたのも、ただの投機。誰かとPokémonGOの話が出来ればいいなと、いつか来るであろう人間関係の拡張を見据えてのゲームへのハマり方だった。


 話していて面白いと言われたし、前にも言ったが、甲子園にでも行きませんかとか、一緒に勉強をしませんかとか、ロードバイクで迎えに行きますよとか、色々言われて、要は初めての、社会人になってからの友人で、それは。それはそれは、嬉しいものがあった。


 偶然性を広げていった結果である。


 しかしながら、現実はそこそこ残酷で、お互いに否定しないくらいの仲の良さだが、社会人あるあるで、異動してしまったらそこで人間関係は途絶えてしまうのかなと思ってしまうことが、今になって思うようになってきた。


 「得意なことはエアプです」と言いたくなるくらいにすそ野を広げていっていた。今日も偶然性を広げようとして、キクタンのスペイン語をやってみたりした。まず文法が分かっていないので、内容がよく分からない。おやびん、まずは大学で習ったフランス語のすそ野を広げたほうがよくないですかと言われそうだが、もうとにかく手を広げて、偶然性を広げていきたいなと思う。


 そんな反面。


 FIRE MAX で本は1500冊以上あって、その中から知りもしない理系文系語学漫画小説関係なく、濫読しようとしていた矢先、不安にはなる。


 大学に受かったのが2浪したので20歳だった。それから自由にすそ野を広げていったが、23歳で統合失調症。新幹線のように濫読していた時期は終わり、障害年金を貰うまで、もしくは職に就くまでは結局のところ長い孤独な生活を余儀なくされた。


 20歳から始めた、感動を探す旅は一切実を結ぶこともなく。旅も終わった。


 しかしながら、このブログ、とうおこなり、何かを始めてみようと再開したのが2022年くらい。そこから2年くらい毎日何かを書いている。ここ2年くらいで周りのインフラも整えて、さあ自分の人生を歩んでみようかと、自分の使いたいようにお金を使うようになった。


 その上で思うことは、このお金を掛けた濫読は、時間をかけたこの執筆は、将来の自分に役立っているのだろうか。幸せに繋がっているのだろうか。


 そもそもが、Kindleを開いて読書をするだけでも充分にきつい。更に言えば、冒頭でも言った通り私は馬鹿なので、勉強をしたところで深いところは何一つ分からない。覚えきれない。色々な資格に挑戦したとことで分かったことは、自分には才能が無いとただそれだけだった。


 時間の使い方が有益なのかどうか。そんなの誰も自分のことでさえ分からないと思うが、その怖さは誰にだってあるものだろうと思われる。時間という名の貯金額がどんどん減っていく怖さは誰にでもあるものだろうと思われる。


 自分がそうだ。せっかく仲が良くなって、互いに頑張りましょうねと、楽しい人生を送りましょうねと笑い合いながらも、簡単に疎遠になってしまう現実は往々にしてある。お金が大量にあれば、延々と無駄な投機、偶然性を広げる訓練をしていても何も感じないとは思うが、お金もパートタイマーなのでほとんどない。一人暮らし学生時代とは違い、一応は働いているので、時間も昔ほどはない。


 こうやって、現実問題としてどうしようもない、解決策もない悩みで、自由な時間を潰していくのも、マッチポンプのようで悲しくなるが、悩んだ時には書いておくのが、自分にとっては一番の解決策なのかなと思い、何も考えずに書き残した。


 異動になって疎遠になるまでは、楽しめればいいのかなと、誰でも分かるような解決策を自分に提示して、この件は終わりたい。


 本音を言えば、一生仲良くやっていきたいくらいの、友人、先輩、世代を超えた人間関係だと私は思っている。

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