【論考:人生】人の生きる意味は全ては投資なのだと思われる。幸せになる秘訣は偶然性と継続性の二つしかない。

──『貴方はあなたに興味がないのよ。

   自分だったら、もうちょっとやれたって、

   時間が経てば経つほど、理想の自分との幅は大きくなっていくから。』──

☆☆☆


 2024年5月4日(土)。9時51分。みどりの日。国土緑化。


 みどりの日ってなんなんだ。


 こんにちは。井上和音です。


 何で朝っぱらから書いているのだろうかと思われるが、やる前に、「何をするのが一番正解なのだろうか」と考えていたら、ぼーっと窓の外を眺める朝になっていた。


 「何をするのが一番正解なのだろうか」。この問いは、大抵の面倒くさがりの人が何かをするときに最初に思い至る壁だと思う。


 私は予定が嫌いで、時間を大切にしたくて、人との予定で勝手に時間が消えていくことを恐れている。


 単純に友達がいないというだけかもしれないが。マッチングアプリとかジモティとかで同性だろうが異性だろうが、友人を作ろうとする気持ちも起きない。


 こうやって、ぼーっとしている時間のほうが好きだ。どうせならごろ寝でもいい。


 自分が高校生くらいに定めた定義集があるが、その中に「人は何を買うかによって人生が変わっていく」というものがある。その人が本にお金を費やせば、知らない日本語を知っているかもしれない。なんか共通の話題についていけるかもしれない。音ゲーにお金を使えば、音楽に詳しくなるのかもしれない。地元の友人と遊ぶことに費やせば、新しい地元の情報が手に入って、人生は何かが変わるのかもしれない。


 要はお金を何に使うのがベストなのか。それは人それぞれ、千差万別、正解はないと思う。


 お金を何に使って、それが将来的に有用に働くとなれば、「今、自分は何をするのがいいのだろうか」と考えるその問いは、「この時間を投資して得られる将来の自分の像とはどのようなものになるのだろうか」という問いに変換することができる。


 投資。


 何にお金を使うのか。何に時間を使うのか。何をして、何かを貯めて、それが何になるのか。


 誰であろうとこの問いにぶつかると思う──瞬間的に、起きたらすぐにニンテンドースイッチの電源を入れてゲームをするのが日課で迷いもないという人は、考えもせずに投資をしていることになるが、それこそが理想なのかもしれないが、それでリターンが得られれば、それが最高なのかもしれないが──まあ、何をしても楽しくないと感じてしまう人はごまんと居て、家族も何もいない人からしたら、子どもとどこかに行くとか、そういうことも特に無く、ぼーっと家で過ごすことが多いのかなと思ってしまう。


 こうやって、「何に時間とお金を費やすのが正解なのだろうか」という問いをいちいちしていたら、ずっと止まったまま考える羽目になるので、大半の人は孤独を避ける。そうやって、学生時代とは異なった、投資の時間を考えるのを省くために、とりあえず正解となる行動を共に行っていけるパートナーを探そう、と考えることから逃れるために、異性との同棲、あるいは会話を望む大人の恋愛やスピード婚に繋がっていくのかなと考えてしまう。


 働いていて、その中で仕事があるときは、家庭を忘れて仕事ができる。ただ来ただけで、仕事も何も無ければ「この時間をもっと有用に……」とか考えてしまって気が病んでしまう。結局、何をやるのがベストなのかと考えてしまう人間の本能は、幼い頃から人間には、投資の欲が存在していることがあることを見て取れるのだと思われる。


 投資だろうと、人生だろうと、似ていることは積み上げていったら何に化けるのか分かったものではない点がある。漫画を1000冊くらい読んだ人は、その人にしか分からない人間の機微が分かるかもしれない。語学を学んだ人は、人よりも的確で、その場にあった格好の良い発言ができるのかもしれない。例えば、Pleasure quarter と言われて、「喜びの四分の一? どういう意味だ」と思う人が大半だと思うが、さらっと歓楽街のことを Pleasure quarter と呼んだら、イギリスやアメリカの人から英語に詳しい人として見られる可能性はある。これは別に英語を勉強したからこの単語を知ったわけではなくて、GRAVITY DAZE というゲームを PSvita でやって、そのゲームの中の音楽を YouTube Premium で聞いてみたら、タイトルが pleasure quarter という曲名が出てきたという、ただそれだけである。


 点と点はいずれ繋がると、Two dods(これもまたゲーム。ソシャゲ)だか、スティーブ・ジョブズの名言だかで、誰もが聞いたことがあると思うが、この点と点が繋がる体験も、結局は、「あれをやったからこうなった」という、投資目的ではないにしろ、遊んでいたら将来的に有用に働くことになったという、いわば目指してはいないものの、それが結果として投資となった事例など、人間生きていて数えきれないほど存在する、投資の種なのだと思われる。


 積み重ねと偶然性。投資には二つのことが重要だと誰もが知っていて、誰もが投資家なのかもしれないと考えたならば、株券などの証券取引以外にも、人間は本能的に投資家であり、投資こそが人生なのかもしれないと考えたならば、その積み重ねの果てこそが人生の幸せなのかもしれないと考えられる。「何をやっても幸せ」という人は点と点が繋がった、偶然性の高い運の良い人だけだろうと思われる。「何かをやり続けて幸せ」という人は、人間が持つ本来の投資家としての幸せを幼い頃から知っていての、確実に手に入る幸せを手にしているのだろうと考えられる。


 偶然性ばかりはどうしようもないので、継続して何かをやり続ける、投資としての幸せならば、偶然性が無くても幸せになれる可能性は高まっていく。そうやって人生を生きて、締まっていくのが最も幸せな人生なのかもしれないと若造だが思いをはせている。

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