超越へ堕ちる
登場人物
マコト...主人公。賢く常識的な性格。ホラー映画が好きだがオカルトは信じていない。
マサト...マコトの友達。短慮で臆病な凡人だったが、極限状況にあって覚悟を決め、仲間に甘えず泣き言を堪える成長を見せた。
アユミ...マコトの知り合い。極めて聡明であるが常軌を逸している。利口な彼を“使える”と言う程度に信頼しているが、“普通”ばかりを語る彼のことを嫌っている。道徳、社会、常識という感覚を持たず、やってはいけないと言われていることをしでかすのが好き。妖魔の攻撃によって致命傷を負うが、カヴィヤにより妖魔化の施術を受ける。
ユウヅキ...上記三人が住んでいた辺境の村において、古くから守り神と呼ばれていた妖魔。とある山を住処としていたが、その霊力から常夜の大御神の蒐集対象にされ、山諸共に広大な山脈へと移動させられた。自力では生存できぬ彼らを山頂へと導く案内者となる。守り神であるゆえに村人である彼らを助けているのだろうか。
カヴィヤ...霊峰に迷い込んだ妖魔の一つ。少女の姿を取っているが、本来の姿は異形の獣。料理が得意で、積極的に他者に振る舞う。アユミとは仲が良く、人外の料理に興味を示した彼女に、『自分と友達になれば人肉を食べさせてあげる』と言って“常夜”へ堕ちるよう誘った。自らの血肉を使い妖魔化の施術を施した後、彼女を“姉”と呼ぶ。
シルヴィヲ...威圧的な態度を常に崩さず近寄り難い風格の青年。ユウヅキの旧知として登山に同行する。強者に対する畏怖を特段に大きく持ち、アユミの異常性を妖魔と成るに相応しい特別な素質として賞賛した。そればかりか、強者の器であるアユミが覚醒するための時間稼ぎに献身した。
~~ ~~ ~~ ~~ ~~
真暗な視界に光が差し込んで、再び気絶していたことに気が付いた。目を開いた僕は辺りを見回して、傍に皆の姿を確認する。マサト、カヴィヤ、ユウヅキ様、シルヴィヲ――アユミだけがいない。
光景が一変していた。草木の一本どころか岩々の凹凸一つない殺風景な荒野が果てしなく広がっていて、白熱した猛火が天高くまで吹き上がっている。地獄の最下を想わせる災いの極みだ。地下一杯に埋めた核爆弾を起爆したかのよう。
この場の誰もが一瞬で蒸発していて然るべき威力が荒れ狂っている。どうして僕たちは無事なんだ?さっきまで山にいたのに、ここは一体...。
「こう言ってはなんだけれど、アユミちゃんは私を護ってくれているのよ」
巡らせていた疑問に答えたのはカヴィヤだった。僕と彼女以外は未だ意識が戻っていない。彼女は恍惚とした目で遠くを見つめて、現状への恐怖とは違う感情に身を震わせている。
「私の傍にいた貴方たちも、ついでに助かったということ」
「アユミは死んだろう。今だって姿が見えないじゃないか」
「そこに在るわよ。よく見てみなさいな」
意味が分からないが、彼女の他に頼れることを言ってくれる者がいない。仕方なく言葉に従って、彼女が見ているのと同じ方向を眺めた。
――まさか、“アレ”のことを言っているのか...!?
気が付かなかった。余りに巨大過ぎるから。あんなモノが、アユミの...?
「妖魔として新たに生を受けた、彼女の在るべき姿よ」
地平線の先に佇む、
巨躯だけがソレの特性ではない。人型に近い姿をしていることは、規模を考えると最たる異様だろう。とは言えど、緋色の肉体は無機物のように硬質でありながら波打って流動しており、皮膚から直に生成された衣服の様な器官を纏い、肉から突き出した骨格が鎧となって身を護る。禍々しくも気高い姿は、人間から掛け離れた怪物そのものだ。
衣服を模した皮膚の上には夥しい数の口が浮かび上がり、形を歪めて森羅万象を嘲笑っている。頭部を見れば、目に瞳が無く、髪は遍く地上の何物をも焼き焦がす熱線であり、額には角が一本、幾何学的な形状に捻れて生えている。
『何と嗚呼
苦痛に満ちた叫喚が、燃え盛る炎の音に掻き消されながらも微かに聞こえてくる。巨躯の鬼が眼前に開いた掌の上で、有蹄の妖魔が魔炎に焼かれているのだ。一息に燃え尽きることを赦されず、本来なら死んでも味わい切れない苦痛で蹂躙され、断末魔を引き延ばされている。
『
叫喚よりも遥かに大きく響く声が、それだけで暴風を吹き付ける振動となった。信じられないが、声音はアユミのものだ。彼女は元が人間でありながら、測り知れない強大な妖魔に変貌したというのか。
掌が閉じられ、虫けらを潰すよりも尚無慈悲に滅却する。地上の災害を総じても足らぬ膨大な威力が発現し、存在を破壊する。有蹄の妖魔は痕跡さえ残らず綺麗さっぱりと、世界そのものから消滅した。
「やっぱりアユミちゃんは特別だったわ!強かな彼女と血を分けたなんて誇らしいなあ」
カヴィヤは巨躯の鬼へ向かって腕を振り、何ら怖気の無い様子で親し気に呼びかける。
「もし、貴女、私を覚えているかしら?」
声は届いているらしく、極大の重圧を伴った視線がこちらを向いた。腰が抜けるとか、全くそんな次元ではない。天地が砕けたのかと錯覚する重圧に、気が付けば僕は地に伏して虫の息になっていた。
大きな小惑星くらいありそうな巨腕がゆっくりと振り上げられる。きっと不遜なカヴィヤを吹き飛ばすつもりだ。その一撃で全てが終わる。現在地が変わっていないとすれば、もしかすると霊峰諸共消し飛ばしかねない。遥かな力の下に、最期への恐怖も感慨も抱くことができず、諦念だけを得て瞑目する。
『私の妹、そして友達だ。ご馳走してくれるのだろ?』
ひらりと手が振り返された。破滅は
人格が残っているのか?じゃあ、アレは正真にアユミと呼んでいい者なのか。それは何を意味する?僕たちを助けてくれる?だとすればこの上無い頼りとなり、間違いなく霊峰を登頂できるだろうが、さすがに楽観的と言い捨てるべきだろう。元よりアユミはカヴィヤの他に関心がなかった。
「ふふ、そうしましょう。じゃあ一先ずは、この山を踏破しないとね。アユミちゃんなら、数歩の内に
『その必要はねえ』
不敵に笑い飛ばす。それに連鎖して、衣服の上に開かれた幾つもの口が声を上げて笑い悶え始めた。先を超える無盡の力が沸き上がりつつある。カヴィヤにも想定外の行動に出ようとしているようだ。戸惑いを顔に浮かべて、彼女はアユミに諫める言葉をかける。
「貴女に敵なんて無いのよ?力を振るうまでもないでしょう。誰もが逃げるようにして道を開けてくれるというのに、どうして...」
『それじゃあつまらねえ。この旅の結末は、もっと派手にしてやるよ。敵だって、いるかもしれないしなあ』
それぞれの口の中に、小さな太陽の様な物体が現れる。一つでさえこの世の終わりに十二分な熱量を有しており、発揮された瞬間に惑星の環境を
両腕を広げて昂揚を示すアユミは、狂気で震えた冷たい声で言い放つ。
『崩しちまえばいいんだよ、こんな
太陽が噛み砕かれ、核融合の熾熱が炸裂する。
大地が万熱となり岩漿に融けて激流へと変じた。炎は惑星の大気を焼き盡したとしても止まらないだろう勢いで爆撃した。常夜がどれだけ広いか知らないが、世界は本当に終わってしまったかもしれない。これだけの破壊があっても、僕たちは焼かれず、流されず、呼吸もできた。アユミがカヴィヤを護っているというのは事実らしい。
「いけないわアユミちゃん!貴女は強いけれど、ここの大御神の不興を買っては駄目!」
『会ってみなきゃあ分かんねえな。大敵になるんなら胸が躍るぜ』
「愚かしい事はやめて!」
『格上を避ける戦いなんて、雑魚の娯楽だ。違うか?』
轟音と共に、アユミの手に黒く濁った光が収束し始める。恒星に匹敵する光度で明滅し、徐々に早まっていく。放たれる恐ろしさの如何程か、曖昧ではあるが、ヒトの身でも理解できるだけの圧力が溢れ出していた。最早言語化するのも嫌になる。太陽はたった一日の輝きでも地球を融かせると聞いたことがあるから、推して知るべしだ。
『出て来いよ、大御神とやら。さもなけりゃあ、この山ぶち壊すぞ』
言い放たれた宣戦布告。それで神仏が降臨する事はなかったが、応える事象があった。
焼き払われた空に一点の星明りが現れる。月のように仄かでいて、烈火に掻き消されることのない力強い輝き。それに臨み、アユミは煌々と光を纏った鉤爪を振り翳した。星一つ星図から消すに足る一撃が、ちっぽけな天体など宇宙の露に変えてしまうと思えたが。
『それは
穏やかな声が聞こえたと同時、鈍い大音響が轟いた。
規格外の鉄槌が山脈を叩く様が心象となるが、実際は違う。星から下された深紅の雷がアユミを打ったのだ。あれだけ圧倒的だった巨躯が膝を崩して動かなくなってしまう。嘘だろう。更に上がいるっていうのか...?僕たちは一体どれだけ矮小な存在なんだ。こんな魔境が在っていい筈がない。
『はは...冗談じゃねえ。世界は広いもんだな』
乾いた声を零しながらも、アユミは愉快気に笑う。彼女の身体が溶け崩れる様に縮小していき、やがて姿は見えなくなった。そしてもう一度雷が鳴り、景色を光が掻き消した。
視界の光が収まると、辺りに炎は無く、木々が生えていて、僕たちは移動したのだと分かった。傍に皆が揃っている。意識を取り戻し、これまでの負傷が癒えて壮健な様子だ。
アユミは人型に戻っていて、寄り添うカヴィヤに身体を支えられている。先の一撃で相当な痛手を喰らったのだろう。違っているのは服装で、黒を基調に赤と金が調和し、フリルとレースをあしらった男物の和風礼装とでも言うべき物に着替えていた。
「誰か、説明を頼めるやろうか?」
最も混乱しているマサトが僕とユウヅキ様を見遣るが、首を振るしかない。答えられないということは、道を失ってしまったのだ。現在地が分からず、旅は振り出しに戻されたか、或いはもっと遠くまで山頂から離れてしまったかもしれない。泣き出したい気分になったが、涙が出ない。身体的な疲労は回復しているが、精神が廃れてしまったのだろうか。始まりは近所の山を探検しに行っただけだったのに、どうしてこれ程の困難に足掻かなければいけないんだ。いっそ一思いに死なせてくれよ。
「ようこそ頂へ。命運数奇なる迷い者ら」
既にずっとそこにいたかのような不思議な気配を帯びて、初老の男性が僕たちの前に佇んでいる。紅葉を思わせる鮮やかな色彩と、枯葉のように褪せた風情の茶色で配色した厚いコートが印象的だ。歳経た姿だが見目麗しく、老いているからこそ出せる風格があるのだと分かる。
彼は穏やかな雰囲気で、敵意はなさそうだ。しかし、ユウヅキ様の気配が急激に張り詰めた。他の面々にも警戒は最低限あるようだが、彼女は違っている気がする。
「汝は...」
「てめえが」
感嘆の呟きを零すユウヅキ様に続いて、アユミが戦意を込めた声を発した。
「百鬼の霊峰総べる神だ。俺こそが、其らを在処へ返すこと能う者」
目の前にいるのは元凶だった。そして最終的な救いの存在。僕たちの旅は、間もなく終わる。
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