生死、人妖、二つ境界

登場人物

マコト...主人公。賢く常識的な性格。ホラー映画が好きだがオカルトは信じていない。

マサト...マコトの友達。短慮で臆病な凡人だったが、極限状況にあって覚悟を決め、仲間に甘えず泣き言を堪える成長を見せた。

アユミ...マコトの知り合い。極めて聡明であるが常軌を逸している。利口な彼を“使える”と言う程度に信頼しているが、“普通”ばかりを語る彼のことを嫌っている。道徳、社会、常識という感覚を持たず、やってはいけないと言われていることをしでかすのが好き。

ユウヅキ...上記三人が住んでいた辺境の村において、古くから守り神と呼ばれていた妖魔。とある山を住処としていたが、その霊力から常夜の大御神の蒐集対象にされ、山諸共に広大な山脈へと移動させられた。自力では生存できぬ彼らを山頂へと導く案内者となる。守り神であるゆえに村人である彼らを助けているのだろうか。

カヴィヤ...霊峰に迷い込んだ妖魔の一つ。少女の姿を取っているが、本来の姿は異形の獣。料理が得意で、積極的に他者に振る舞う。アユミとは仲が良く、人外の料理に興味を示した彼女に、『自分と友達になれば人肉を食べさせてあげる』と言って“常夜”へ堕ちるよう誘った。


~~ ~~ ~~ ~~ ~~


 漢らしい麗人。彼の容姿は端的にそう表現できる。

 歩く挙動だけでも絵画に描けそうなくらいの品格。しかし背に帯びた荒々しい圧力が激怒を思わせ、一歩でも遠くへ離れたくなる。ユウヅキ様と並んで歩いても見劣りしない。彼女を静粛で神秘的だと表現するなら、彼は真直ぐで歪みのない強かさを、情動と共に持っている。

 変わった装いを見慣れたことで、服はまだ単純な方だと思う。着物であると一言の説明で事足りるかもしれないが、決して地味という訳ではない。無地の衣は血の様にどすのある真紅であり、その色彩は下手に柄を凝らすよりも華美である。ユウヅキ様の黒い無垢仕立てと同じく穢らわしい凶悪を感じさせながらも、黒と赤は神聖な色であるのだと、異なる文明の価値観が自然と心に入ってきた。赤は人型が流す血であり、敵に与える死を。黒は妖魔の生きる闇であり、絶対的な力と究極の孤高を象徴している。

 襟は鱗のあるベルトを複数巻いて留めている。首に掛けたチェーンには幾つかのドッグタグが下げられており、一つずつ名前らしきものが刻まれていた。

 短い袖から露出する腕は逞しくも艶やか。ただ、二の腕から前腕に掛けて糸の刺繍がある。綺麗だけれど、皮膚を刺して縫い付け綾なすなんて痛々しい。自傷に近いその行為を想像しただけでゾッとする。お洒落のためとはいえ、何てことを...。


「つたなしかし、シルヴィヲ。通り掛かりしばかりに、え読まぬ災禍に遭ふなど」


「お前は嬉しそうだな。あの神格に選ばれて、山を献上できたから?」


 歩いている間、することは前を行く二人の会話を聞くだけだ。内容はよく分からないが、今、青年の名前が出たのを逃さなかった。外国人風の名前だけど、発音が微妙に違っている。僕とマサトは既に名前を尋ねていたのだが、無視されており、彼が言わない以上、ユウヅキ様から紹介されることもなかった。


「ところでなあ、お兄さん。私らはどれだけ歩けばいいんだ?」


 恐れ知らずも甚だしいアユミの態度に、後方組は凍り付いた。カヴィヤでさえ目を見開いて、非難がましく彼女を見つめる。

 これまでユウヅキ様の言葉にのみ応じていたシルヴィヲさんが、苛立たし気に振り返った。岩を背負わされたかのように足が動かなくなって、僕とマサトは立っていることもできずに膝を付いてしまう。


「ヒト風情にしては、殊勝な度胸じゃねえの。妖魔に成るのが相応しい精神病質者だが、芽を摘まれたくなけりゃ行儀良くなさい」


「行儀と。清楚な淑女がお好きかしら?では斯様に、礼儀を弁えると致します」


 ふざけて口調を変えるアユミは、普段とのギャップが不気味なほど、様になっていた。『話しかけるな殺すぞ』と婉曲に脅されているのに、臆さないどころか煽っている。相手が自分を害さないと分かっているかのよう。


「...いいだろう。答えてやるから淑女はやめろ。その類には碌な思い出がない」


 彼がこちらから目線を逸らすと、身が軽くなり立ち上がることができた。やれ、相対したのはアユミだというのに、傍にいる僕たちまでこんな圧力を受けるなんて強烈な敵意だ。


「ユウヅキ、山脈の最高峰は、直近の更新で標高いくらだ?」


「四十万二千尺と見定められたり」


 ...一尺は、確か30センチくらいだったな。今の数字を掛けると、12万メートルだぞ!?そんなに高い山、地球上にはおろか、太陽系を探しても存在しない。シルヴィヲさんは少し黙って、計算するように頬を指で叩いた。


「正しい“経路”を踏めたとしても、二十四時間は越えるだろう。付いて来れるかお嬢さん?無理なら遭難して妖魔の餌食だがな。全身が弾け飛んでも、即死を赦されずに意識が残存して、発狂に至る激痛が一瞬の間に襲う。酷い死に方がいくらでも考えられるぜ」


 悍ましい例示に吐き気がする。彼の声音は悪意ではなく、アユミの意力を試しているように聞こえた。僕とマサトにとってはとばしりの絶望だ。平穏な現世が途方もなく恋しく、掛け離れていると感じる。


「大変な旅路なのは分かったが、だからと言って、悲観するのは無意味だろ」


 軽く言い捨て、彼女は薄ら笑う。僅かばかりある恐怖を紛らわせるためでもあろうが、本気でこの旅を楽しんでいるらしい。


「惨たらしくくたばるとしてもだ、平穏な世界で腐るよりかは、ずっと私らしい終わりだろう」


「成程な。お前は既に怪物だよ。誇るといい。有象無象のヒトの中にも、極々稀に異物と呼ぶべきモノがいると聞く」


 振り返ったシルヴィヲさんの目はカヴィヤへと向いた。再び僕たちは圧力を受けて、彼と相対したカヴィヤは身体をふらつかせ足を止める。


「そこの若輩、こいつに誘いを掛けたのはお前だな」


「...ええ。アユミちゃんなら大丈夫です。強かな器を持っているから」


 僕とマサトはいないものとして会話が進む。有無を言わせない、上位から命令する高慢な口ぶりで、彼は、僕が未だ心の底で恐れていたことを言い放った。


「この怪物に妖魔の身を与えろ。お前の血肉枯れるまで贄としてでも」


 は...。不味い!今、この場で、アユミが妖魔にされてしまう?


「させんぞ化け物ども!こいつは人間や。地獄には行かせへん!」


 声を荒げたのはマサトだった。彼女への友情を捨てたつもりだった僕よりも、情が深かったようだ。無謀なのは分かり切った上で、今にもシルヴィヲに殴り掛かりそうな勢い。それ程の怒声も妖魔たちには無視されて、アユミからは厭わし気に睨まれるだけ。


「ご心配どうも。ちょっと黙れや」


 マサトへ歩み寄ったアユミは、手加減のない拳を彼の鳩尾みぞおちへ見舞った。

 息を詰まらせ力無く倒れ伏した彼を冷たく見下ろした後、目を僕に向けて嗤う。


「私を止める気は、もう失せただろ」


「っ...!」


 必死で庇ってくれた奴にこの仕打ち。お前のことを仲間とは思っていなかったが、最早同じ人間としても見れねえよ。“其方”に行きたいなら勝手にしろ。怪物は真暗な在処へと堕ちればいい。

 憎悪を込めて睨もうと、意に介さない様子で彼女はカヴィヤと向き合った。いよいよ一線を越えるつもりだ。


「一時待たれよ。妨げ者あり」


 言葉による警告は一瞬だけ遅れていた。先より周囲に浮かべられていた防護の火の玉だけが素早かった。眩く燃え盛るや否や、護りの外側で炸裂が起こる。

 襲撃したのは研ぎ澄まされた沢山の破片。一つだけでも殺傷性を生み出すだろう速度で火を打ち消し、照らされ煌いた。衝撃で細かな微粒子となって、もやのように前方の見通しを悪くする。

 誰もが隙を突かれた急襲だった。火の玉を破って飛び来た破片は、先立つユウヅキ様とシルヴィヲが手をひるがえして払ったことで、僕は無傷で済んだ。倒れ込んでいるマサトも無事だ。続いてアユミを確認して...堪らず目を逸らし、瞑った。


「駄目っ!逝っちゃだめよ、一緒に来てよ!どうか起きて!!」


 泣き叫ぶカヴィヤが、目を開いたままで動かなくなった彼女を揺さぶっている。身を挺してアユミを庇ったのだろう、背は深い切創により紫に染まっている。だが献身も空しく、アユミの身体は切り裂かれてしまった。

 脚と腹に滑らかな切創、手足が片方ずつ切断、胸元は肉が削ぎ落されている。内圧によって零れ出る腸や露になった肋骨を見れば、致命傷として十分過ぎることはどんな医者にも明白だ。僕も立ち位置が一歩違っていれば、惨殺死体になっていたかもしれない。

 カヴィヤは揺すったり、頬を優しく叩くことを止めない。そうしていれば、目を覚ますようにして彼女が生き返ると思っているのだろうか。妖魔は強靭な生命力を持つがゆえに、些末な事で死んでしまう儚いヒトの命を理解できないのか。


「アユミは決して助からないよ。う、ぐっ...失血で、ショックを起こしているだろう」


 仲間ではないが、流石に見ていられず、彼女の死を突き付ける。言いながら僕も気分が悪くなってきて、吐き気を堪えた。聞いているのかいないのか、カヴィヤは独り言を呟く。


「この怪我じゃ、ヒトは耐えられない。治療も効かない。でも大丈夫、やることは変わらない」


 そして前方の二人に向かい、胸の前で五指を交差させて、短くも厳かに懇願する。


「時間を下さいまし」


 何かをするに当たって、脅威から時間を稼いで欲しいという要請だった。ユウヅキ様とシルヴィヲは顔を見合わせ、またすぐに前を見据える。


「強者に尽くすのは当然のことだ」


「注ぎ得る器にはついでを与へむ」


 静かな、だが重々しい足音が靄を払い除け、巨大な有蹄ゆうていの獣が姿を現す。カヴィヤの初めの姿よりもずっと大きくて、気配は圧倒的に膨れ上がっている。ユウヅキ様とシルヴィヲでさえ、この妖魔の前では等身大の人型であるように見えた。全身が羊の様に豊かな体毛に覆われているが、その上からでも分かる隆々とした体格。毛の中から骨らしき硬質な器官が数本、太く鋭利な棘状に突き出している。


「何て事ないからねアユミちゃん。貴女はこれから始まるのよ」


 カヴィヤが裂かれた胸元に両手を突き入れると、アユミの身体が煮え滾る様に泡立ち、真っ黒な液体が全身を覆う。それは濃厚で人型の輪郭すら分からなくなってしまった。物々しい施術だ...痛くなければいいのだが。


『道行の良きこと。神性と、それに同等な力、喰らえば頂上に至る糧となろうや』


 雑音混じりのざらざらとした女性の声音で有蹄類が言葉を話した。僕たちを、否、ユウヅキ様とシルヴィヲに襲い掛かった理由だろうか?対する二人は言葉を返さない。きっと、衝突が避けられないということか。戦闘は今にも始まってしまいそう。

 大丈夫、ユウヅキ様の強さを見たじゃないか。勝って僕たちを護ってくれるさ。根拠もなく、自分に言い聞かせる。


「二方、生死の境です」


 敵に臨みながら、ユウヅキ様が僕とマサトに言葉を掛ける。只ならぬ危機感を覚え、咄嗟にマサトを無理矢理に助け起こす。至近に迫った死への恐れが肌から伝わってくる。


「あの妖魔の後方へと駆けなさい」


 疑問を抱く猶予は一瞬も無かった。起き上がったマサトと共に無我夢中で走る。有蹄類の傍を越えて戦闘が始まる一点から遠ざかって行く。幸い有蹄類が動くことはなく、僕たちには目もくれない。

 随分走ったような気がする。だが実際は100メートル程度だろう。振り返ることなく走り続けて、やがて激突の瞬間が訪れる。


 一帯を吹き飛ばすような轟音と閃光。目と耳に走る痛み。衝撃で頭が真っ白になる。

 続けて叩き付けられる風圧。台風が微風に思えるくらいの勢いで僕たちを転げ飛ばした。坂道であるにも関わらずだ。

 範囲こそ狭いが、数トンの爆薬が降り注いだような威力。それが十数秒の間に50発は振るわれたのだ。意識が朦朧として、身体が動かなくなり、目を開けているのか閉じているのか分からなくなって、何処までも深い夢に堕ちて行く。ああ。これで死ぬんだと、僕は安らぎの逃げ場へと魂を委ね――


「寝てるんやない!まだ立てるやろマコト!!」


 叱咤と共に、頬が強く張られた。生き返るような心地で意識が急浮上し、起き上がって、戦いの結果を眺め遣る。


「終わりだ...」


 少しばかり流血を帯びながらも、立っていたのは有蹄の妖魔。ユウヅキ様とシルヴィヲは地に倒されていた。折れた薙刀と、こちらも武器であろうか、砕けた管楽器がそれぞれの手元に転がる。全身に破片が突き刺さって、致命的な出血が血溜まりを作っている。僕たちを護ってくれるユウヅキ様が負けてしまった。これ以上足掻く余地は無くなったように見える。

 しかし倒れる二つの後ろで、カヴィヤが勝ち誇った笑みを浮かべていた。傍には内臓の様にグロテスクな形状で脈動する黒い物体がある。


「時間を稼がれた、貴女の負けよ」


『ソレは何だ?ヒトの器に血肉を注いで何に成ると...』


 どうしてか、有蹄類の声音には警戒の気が混じっていた。勝ちは決まった筈だというのに。力尽きたのだろうか、座り込んでいることもできずにカヴィヤが倒れた。その様は奇しくも、偉大な存在の到来を前に伏して礼賛する弱者を思わせる。


「血が繋がった。私の姉さん。さあ姿を見せて」


 畏怖と同時に愛おしむカヴィヤの呼びかけ。

 応えるように、黒が、弾けた。

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