神の縛り

「………………」


 ヤナギから自分が生まれた本当の理由を聞かされた私は、何も言えなかった。

 言い知れぬ感情が渦巻いて、言葉が出て来ない。

 ママがもうすぐ死ぬことによる悲しみ。今まで本当のことを教えてくれなかった怒り。自分が楽をしたいが為でなく、この世界を想って私を神にしようとしていたことによる安堵。

 一気に色々な感情が湧いてきて、処理しきれていないのが自分でも分かる。


「要は自分の主に毒を盛ったってことだろ? 十六年も前に」

「その解釈で間違ってはいないね」

「神ってのは誰が自分に毒を盛ったかも分からないほど、マヌケなのか?」

「いいや。イザナミは犯人を特定したよ。そして、制裁を加えた。神子である私が」

「ああ、そう言うことかよ。自分の手は汚さずに他のやつにやらせたのかよ。とんだヘタレ野郎だな」


 初めて会ってから今まで、ヘラヘラと緊張感のなさを醸し出していたはるとんがイラついているのが、ひしひしと伝わってきた。


「目的のためなら手段は選ばない。私はそう決めたんだよ」

「あ? 目的? ミコトを売って金を手にすることがか? 随分ちんけだな」

「いいや、彼女を攫ったのは目的のための手段でしかない。私の目的はイザナミから解放され自由になることだ」

「自由って、またそれかよ。何? お前ら縛りプレイでもしながら生きてんの?」

「貴様、さては神子がどういった存在なのか知らないな」

「知るわけないだろ。義務教育で習わなかったんだよ」

「神子とは神に永遠に縛り付けられる存在だ。神子になった日から不老の体となる。そして、死ぬまで神に仕えなければならない」

「死ぬまで? 辞めますって言えばいいだろ。それか退職願でも書いて叩きつけてやれ」

「言えば辞められるようなものではないんだ、神子と言うのは」

「え? パワハラでもされてんの? 目の前で退職届破られたとか? 最近そう言うのよくあるって聞いたことあるぜ。お前、それは相談した方がいいって、弁護士とか? 後はコウセイロウドウショウ? ってとことか」


 話が噛み合っているのかいないのか分からない会話を続ける二人。恐らくだけど、はるとんは何か勘違いしているように思う。


「相談したさ。した結果がこれさ」

「どこに相談したら、こんなことになるんだよ。神様毒殺して、娘誘拐とかやり過ぎだぞ。どうせ、あれだろ? 相談したって言ってもネットの掲示板とかだろ? ダメだってああいうの真に受けちゃ。無責任なことばっか言う暇人の集まりだって、凪が言ってたぜ」

「いいや、違うよ。私が相談したのは、そうだな、言うなれば転職先と言ったところか」


 認識の齟齬が出ていることに気がついたヤナギの方がはるとんの方に話を寄せていった。

 ……あれ? 今までシリアスな感じだったのに、はるとんが素でおかしなこと言うからコメディ感出てきちゃってるんだけど。大丈夫?


「転職先ぃ? やめとけって絶対そこブラックだって。人殺したり、攫ったりすんのを薦めてくるとかやべぇって」

「ブラックかどうかはさておき、非人道的な組織であることには間違いない」

「それを分かっていて、何でそんなとこに行こうとしてるんだ?」

「そうまでしないと、逃れられないからだ。イザナミの呪縛からは」

「どうせ、大げさに言ってるだけだろ。こういうやつに限って数か月で音を上げるんだ。せめて、三年は我慢しろよ。最近の若い奴は根性が足りないんだよ」


 一体、はるとんはどの目線で喋っているのだろうか?


「百年だ」

「は?」

「私がイザナミの神子になってからの年数だ」

「いやいや、嘘だろ。百年ってお前、そんなよぼよぼのおじいちゃんには見えねぇって」

「言っただろう? 神子は不老だと。死ななければ何千年と生き続ける」

「マジ?」


 はるとんは信じられないと言った様子で、私の方を見て来た。

 私はヤナギの言うことが真実であると、首を縦に振ってこたえた。

 神子になれば、永遠に老いることのない体となる。そして、死ぬまで神に仕えなければならない。

 だけど、それは神子になる前に伝えられているはず。だから、それが嫌なら断ることも出来た。それに中途半端な覚悟や上っ面だけの忠誠では、神子になることは出来ない。

 ただの人間であれば考えや信仰が変わることなんてよくある話だ。でも、神子になるほどの忠誠心があれば、たかだか百年程度でそれが揺らぐことなんてあり得ない。

 考えられる可能性があるとすれば――。


「最初からママを裏切るつもりだった……?」

「裏切る? そんな上っ面の忠誠だけで神子になることは出来ない」

「うんん、記憶を書き換えていたなら、その忠誠が本物になることもあるはず。違う?」

「ふっ」


 私の問いには答えず、ヤナギは小さく笑うだけだった。


「こんなことをして、無事で済むと思っているの? ママが力を発揮できないとしても、他の神子たちがあなたを捕まえに来る」

「他の神子? それはあり得ない。なぜなら、彼らはもう全員殺した」

「…………え?」


 ヤナギが事も無げに言ったその言葉は信じられないものだった。


「死体は既にこの船に積み込んである。神子の死体は色々と利用価値があるらしくてね。持ってくるように言われているんだ」

「そんな……、ウソ……」

「残念だが、君たちに希望はない。諦めることだね」


 勝利を確信し、優越感に浸るヤナギに対し、はるとんは嘲るかのような笑みを浮かべた。


「それはこっちのセリフだ」

「何?」


 取り乱さず冷静で落ち着いている天道さんをヤナギは訝しんだ。


「お前は俺たちがいなくなってから、ミコトを誘拐するべきだった。焦ったな」

「貴様、何を言って……」


 その時だった。けたたましい警報音が響き渡った。


「え? 何?」

「なんだ、何事だ!」


 その警報音に取り乱した私たちとは違い、はるとんは変わらず笑っていた。


『船を何者かにハッキングされました。制御が効かず、出航できません!』


 どこからか声が聞こえた。恐らくスピーカーか何かで放送しているのだろう。


「ハッキングだと? あり得ん、この世界にこの船をハッキング出来るほどの技術力はないはずだ。……いや、まさかっ!」


 自分で言って何かに気付いたヤナギははるとんの方を見た。はるとんはそれに笑って応えた。


「っく!」


 ヤナギは何か言いたげだったが、それを飲み込んでどこかへ走り去っていった。


「ねぇ、はるとん……」

「大丈夫だ。お前は必ず助かる」


 はるとんは私の言葉を遮った。


「だから、お前は助かった後のことを考えとけ」

「助かった後……? あ、……」


 そこで私は気がついた。私が神にならないと、ママが死んでこの世界は滅びる。

 はるとんが言いたいのは、この世界を見捨て自由の身になるのか。それとも、自分を捨てて神になり、この世界を維持するのか。


「………………」


 事の真相、ママの真意を知ってもなお、神になると即答できない自分がいた。

 私はどうすればいいのか。その結論はまだ出なかった。

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