第4話

「ここが、私たちの楽園よ」


サラは恍惚とした表情で、広大な花畑を見渡していた。隣には、同じように虚ろな笑みを浮かべるジョンの姿がある。


「ああ、そうだね。ここにずっといられたら、どんなに幸せだろう」


二人は手を取り合い、花々に囲まれて歩み続ける。まるで、現実世界から切り離されたかのように。


かつては火星探査を夢見た仲間たちも、今や花の虜となっていた。元救援隊の面々は、我先にと花畑を駆け回り、はしゃぐ子供のようだ。


「ねえ、ジョン。ふと思ったんだけど、ここには四季があるのかな?」


ふいに、サラが不思議そうに呟いた。


「四季?」


「ええ。だって、こんなに花が咲き乱れているなんて。ここが春だとしたら、夏や秋はどんな風景が広がるのかしら」


「わからないね。でも、永遠に春でいいんじゃないかな。こんなに心地よく、幸せな季節。ずっとこのままでいられたら、それ以上のことは望まないよ」


ジョンの言葉に、サラも小さく頷く。確かに、これ以上の幸福など、考えられない。


時間の感覚も、もはやあやふやだ。一日が経ったのか、一年が過ぎたのか。花畑の中にいると、そんなことはどうでもよく思えてくる。


ただ、まどろむように花々と戯れ、愛する人と語らう。そんな日々が、際限なく続いていく。


やがて、いつの頃からか、不思議な変化が生じ始めた。


「ねえ、ジョン、私の指先が葉のようになってきたわ」


「僕も、足が枝のように伸びてきた気がする」


二人は不思議そうに身体を見つめ合うが、もはや驚く気力も失せていた。むしろ、花の一部になれることが、無上の喜びに思えたのだ。


実際、体中から花が咲き始める者も出てきた。やがてはその全身が、一輪の花と化していく。


「ああ、なんて美しいのかしら。私もあの人のようになりたいわ」


「僕も、君と一緒に、花になりたい」


サラとジョンも、いつしか花との一体化が進んでいた。足は根のように地に張り付き、髪からは葉が芽吹いている。


かつての仲間たちも、次々と花へと変容を遂げていく。最後には、ただ一面の花畑だけが残された。


それは、静謐で美しい光景だった。


***


タリクが目覚めた時、周囲はすっかり変わっていた。


「な、なんだこれは......」


荒涼とした火星の地表。かつて一面に広がっていた花畑は、もはどこにもない。


「隊長、ご無事ですか!」


駆け寄る部下の声に、タリクは体を起こした。


「ああ、無事だ。皆は?」


「全員無事に目覚めました。ですが、第一次隊の姿が......」


若い隊員の声が震える。タリクも、周囲を見回して愕然とした。


「信じられん。あれほどの花畑が消え失せるなんて。まさか、幻だったのか?」


「いえ、あれは幻などではありません」


不意に、研究員の一人が口を開いた。


「どういうことだ?」


タリクが食い下がると、研究員は深く頷いた。


「あの花畑は、紛れもなく実在した。ですが、あれは我々人類の言う花ではなかったのです」


「では、一体?」


「あれは、生命体でした。知的な生命体が」


一同が息を呑む。研究員の分析によれば、あの花々は火星の過酷な環境に適応進化を遂げた生命体の一種だったのだ。


「もしや、あいつらは人間を......?」


「そうです。私たちの生命エネルギーを吸収していたのでしょう。第一次隊の面々は、もはや......」


残酷な事実に、タリクは目を閉じた。


彼らは、もはやこの世にはいない。


花となり、自らも新たな生命体の一部と化したのだ。


火星の惨事の真相は、こうして明らかになった。


だが、タリクは最後まで疑問を拭えずにいた。


一体あの生命体は、どこから来たのか。


そして、我々人類に、何をもたらそうとしていたのか。


彼らは、まるで人類の次なる進化の姿のようだった。

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