第22話

「え」

 幼い時に、会っている?

「どこで……」

「十二年くらい前だったか、この近くの王立庭園で君が迷子になっていた。泣きじゃくる女の子をどうしたらいいのか分からなくて、ダメなんだが近くに咲いていた花を折って、手渡したら泣き止んで喜んだ」

 ルーカス様は微笑んだ。

「あの時の笑顔に一目惚れしたんだ。名前も知らないし再会しても分からないだろうと思っていたけれど、笑顔は変わっていなかったな」


 ルーカス様は三歳年上だから、八歳くらいだったろう。

 そんな頃に、私らしき子に一目惚れ……?

「それは……私なのでしょうか」

 幼い時の記憶は全くない。

 家族に聞けば私が王立庭園に行ったことがあるか、分かるだろうけれど……。

「あの時の女の子がレベッカかどうかは、正直どうでもいい。今はレベッカの笑顔に惚れているんだから」

 ルーカス様の言葉に顔が赤くなる。


「そう……ですか」

「とはいえ、同一人物ならば嬉しいが。記憶はもう戻らないのか?」

「戻す魔法はあるらしいのですが……思い出すと、誘拐された時や魔物に襲われた時の記憶も戻るのでやめておこうと言われました」

 かつて師匠にそう言われた。

 思い出さない方がいい記憶もあるのだからと。

 魔物には耐性があるから平気だとは思うけれど、誘拐の記憶は正直、思い出すのが怖い。


「ああ――そうだな、では思い出さなくていい。レベッカに辛い思いはさせたくないからな」

 ルーカス様が私の頭を撫でる。

「さっきは不快な言葉を聞かされて、気分が悪かっただろう」

「アグレル侯爵ですか? ……身分が釣り合わないのは事実ですから」

 身分不相応なのは自分が一番よく分かっている。


「それでも、誰もレベッカのことを悪く言ってはならない。選んだのは俺だし、レベッカが悪く言われるならば、それは俺の力不足のためだ」

 ルーカス様は私の顔を覗き込んだ。

「守ってやれなくてすまない」

「ルーカス様のせいではありません!」

 大きく首を横に振る。

「あの侯爵は娘を王妃にさせるのが狙いなのですよね。そういう意図を持っての発言なのですから」

 黒髭司祭が言っていたように、皆の前で私に恥をかかせる。

 そうして自分の娘の方がルーカス様に相応しいと認めさせたいのだろう。

「ルーカス様は侯爵から私を守ってくれました。力不足なんかではありません」

 あの発言後、私へ送られる視線が明らかに変わった。

 逆に恥をかかされた侯爵の目論見は失敗したのだ。


「婚約者を侮辱されたんだ、庇うのは当然だ」

 ルーカス様は私を抱きしめた。

「俺はレベッカ以外望まない。それは何があっても変わらない」

「……はい」

 気にしていないつもりだったけれど、少しは傷ついていたのかもしれない。

 ルーカス様の体温と言葉で、身体の奥から温かくなるのを感じる。

(私……この人のことが好きなんだ)

 強くで、優しくて、私を大切に思ってくれる。

 流されるまま婚約者になったけれど、ルーカス様と婚約できて、本当に良かった。


(でも、記憶をなくさなければ……誘拐されなければ、もっと早くにルーカス様と出会えていたのかな)

 ふとそんなことを思った。


 けれど誘拐されなかったら、魔力に目覚めることもなかったし、師匠たちとも出会えなかった。

 ギルドでの生活や訓練は大変だったけれど、とても楽しくて。

 私にとって大切で、かけがえのない日々だった。

(そうね、今の私があるのは魔術師時代のおかげだもの)

 魔法が使えなければ、ドリス様と出会うことも、それがきっかけでルーカス様と会うこともなかったのだ。

(伯爵家の私が王子と婚約できた理由の一つに、魔法が使えるというのもあるだろうし)

 この国で火の魔術師は貴重だ。

 魔法が使えることは、私にとって大きなメリットなのだ。



 ルーカス様が身体を離した。

「レベッカ。誰に何を言われようと気にするな」

「はい、大丈夫です」

 私はルーカス様を見上げて笑顔を向けた。

「ルーカス様が側にいてくれますから」


 私の知らない過去と、今の私を作り上げた過去。

 それらを全て受け入れてくれるルーカス様が支えてくれるなら、私は大丈夫だ。


「そうか。……そうだな、レベッカは大丈夫だ」

 微笑んだルーカス様の顔が近づく。

 目を閉じると、唇に何かがそっと触れた。

(……思ったより、柔らかい……)

 そんなことを思いながら目を開けると目の前に緑色の瞳があった。

 強く輝いてまるで宝石のようだと思っている間に今度は強く、唇が塞がれる。

 永遠のようにも感じるほど長く口付けられて、ようやく解放されると自分でも驚くほど熱い吐息が漏れた。


「――口紅が取れてしまったな」

 ふっと笑ったルーカス様が、私の唇をなぞった指で、赤く染まった自身の唇を拭った。

 途端に恥ずかしさが込み上げてくる。

「な、直してきます!」

「俺も行こう」

「いえっ大丈夫です!」

 男性と化粧室はさすがにどうかと思うし、何より恥ずかしい。

「では護衛をつけよう。――アンナ、一緒に行ってくれ」

 バルコニーから中へ入ると、ルーカス様は扉の側に控えていたアンナに命じた。

 今日のアンナは目立たないように護衛をするためドレスを着ている。

 長身で美人のアンナはドレスもよく似合っていて、貴族令嬢のようだ。


(アンナにバレていないよね)

 私とルーカス様が、ベランダで……その、キスしていたこと。

 顔が赤いのを誤魔化すように俯きながら早足で化粧室へ駆け込んだ。



 中途半端に取れてしまった口紅を、見た目がおかしくないように直して。

 顔の赤みが引いているのも確認して、外へ出るとアンナが直立姿勢で待っていた。

「……ルーカス様は過保護過ぎると思うの」

 ドレス姿と合わない、騎士らしいアンナの立ち姿に思わず笑みがもれてしまう。

「王宮の夜会に護衛なんて、必要ないと思うのに」

「それだけレベッカ様のことが大切なのですよ」

「それにしても、大げさよ」

「そうですね。――殿下は、レベッカ様とお会いになられて変わりました」

「変わった?」

 私は思わず聞き返した。


「はい。以前の殿下は自身にも他人にも厳しかったのですが、最近は優しさが出てまいりました。皆、これはきっと恋のおかげだと言っています」

「恋……」

「人は恋をすると変わるというのは本当だったんですね」

 アンナは微笑んだ。


 ゲームには出てこなかったし、前のルーカス様がどんなだったかは知らないけれど。

 確かに、最初の印象より柔らかくなったように思う。

(私がルーカス様を変えた……)

 そうだったら嬉しい、と思った。

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