第7話

 一瞬、電車に頭を打ち付ける未来が脳裏を過り、即座に振り払う。いま、ここに来た理由を思い出す暇はない。

 その場で素早く女子中学生に向き直り、立ち上がりながら両手で肩を受け止める。

 だが、小柄な体は止まらない。次々と人が押し出されてくる。

 群衆に向けて、言うだけは言っておく。

「ホームからはみ出している! いますぐ後退しろ!」

 一度、完全に立ち上がり、ホームのギリギリに後ろ足を置いて踏ん張る。

 すぐさま警笛が大きく長く鳴り響く。

 怒鳴り声は収まったが、押し出される勢いは止まらない。

 雪で滑るホームから後ろ足が大きくはみ出してしまう。

 とっさに女子中学生の肩から手を離し、後ろの男子中学生の肩を支える。

 同時に、横から小木さんの手が伸びてきて、一緒に男子中学生を支える。

「大木、踏ん張れ!」

 それで体勢に余裕ができて、なんとか後ろ足を引っ込める。

 直後、背後を勢いよく電車が通過する。

 人の勢いも押し戻す流れに変わる。

 ……どうやら危機は脱したらしい。

 なにかあると思って警戒していたが、ギリギリで踏ん張れたのは小木さんのおかげだ。

 火事場の馬鹿力だけでは、いまごろ電車に頭を打ち付けていただろう。

 男子中学生に会釈えしゃくをして、小木さんに向き直り、二人でほっと息を吐く。

 すると、体から小柄な女子中学生が離れ、顔を上げる。

 その申し訳無さそうな顔は、思わず恋に落ちてしまいそうなほど美しく整っている。

「あ、あの、すみませんでした。なんとお礼を言ったらいいのやら……」

 もしも、こんな顔でまめまめしく病院に通われでもしたら、なるほど結ばれる未来もあったかもしれない。

「お気になさらず。どこか痛むところはありませんか?」

「はい……私は大丈夫です」

「それは良かった」

「あの、あなたこそどこか痛むところは――」

 不意に、小木さんにバシッと背中を叩かれる。

「大丈夫、大丈夫! 大木は丈夫なのが取り柄だから。それより、貴方がケガをしなくて良かったわ」

 小木さんは小柄な女子中学生の肩をポンポンと叩く。

「櫟高校でまた会いましょう。それじゃあ!」

「は、はい! ありがとうございました!」

 小木さんに手を引かれて歩き出す。

 小柄な女子中学生に会釈だけして前を向く。

 電車がようやく停車し、一番近いドアから乗車する。真っ先に反対のドア付近に陣取り、なだれ込む受験生の波を眺めながら、ひと心地つく。

 車内がすし詰めになる前に、桜色のハンカチのことを思い出す。

「はい、これ。さっき落としたやつ」

 小木さんは緩慢かんまんとした動きでハンカチを受け取る。

 それから、ぼんやりした顔で微笑むと、なぜか一筋の涙がその頬を伝い落ちる。

「そう……こうあって然るべきだわ」

「え?」

 思わず目を瞬かせると、世界は小雪が降るように白んでいく。

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