第11話 非常事態
「ラーメンとか食べに行くんじゃなかった……」
昨夜の後悔を引きずってマルコはハジテメノ洞窟へ向かっていた。
「さて、今日は何匹になってることやら…」
日に日に増えていくハエトリネズミのことを思う。
「餌が揃うかなぁ……?」
心配の方向性を間違えているが、本人は真面目である。
だいぶ通い慣れた道を通り、洞窟の入口が見えて来た頃、最近聞き慣れた声がする。
「チュカ!チュカ!」
声の方をよく見れば、ハエトリネズミがピョコピョコ走り寄って来る。
「どうしたっ!?」
マルコに緊張が走る。
ネズミが野原にいて何がおかしい?と思うかも知れないが、ハエトリネズミが野原にいるというのは異常事態である。
ハエトリネズミは洞窟にいる。それも余り明かりの届かない奥の方にいる。
明かりの届くところにいると、猫や狐、烏と言った野蛮極まりない猛獣に襲われる可能性があるからだ。
さらに野原などにいようものなら兎やリスなどの陰湿なヤツらが面白半分に追いかけ回して来たりするからである。
そんなハエトリネズミが洞窟の外に出て来た!
しかも、鳴き声を上げたのだ!
それがどれ程の覚悟のいる事なのか!
マルコは慌てて駆け寄ると、ネズミを優しく抱きとめ、一先ず洞窟の中に避難させる。
『危ない所だったな』と小さな勇者を労う。
しかし、ハエトリネズミはマルコの手からゴソゴソと抜け出し、『チュラチュラ』と洞窟の奥を指した後、駆けていく。
これもまた異常な事だった。
ハエトリネズミは日中は基本的に1箇所に留まって餌となる虫が飛んでくるのを待っている。
移動は夜にしか行わない。
スレプフリープの特訓初日に、マルコが手を近付けても震えるばかりで逃げもしなかったのはこういう習性による。そのことからも、日中に動くことがどれだけ異常かということが分かる。
マルコはネズミを追い掛ける。
と言っても、ハエトリネズミの全力疾走は、マルコが普通に歩くぐらいの早さなので、見た目には全く緊張感がない。
洞窟を進み、最近の特訓場所をもう少し越えた先が、ぼんやりと光っている。
「誰だ!?」
マルコがネズミを追い越して近付く。
『何だ?』ではなく『誰だ?』なのは、こんな所に明かりを持ち込むのは人しかいないからだ。
光に近付くと、たくさんのハエトリネズミが光の近くに集まっているのが見えた。
何匹かがマルコに気付いて、こっちに駆け寄って来る。
光源――ランタンだった――の持ち主は、地面に倒れている。
それを心配そうに囲むハエトリネズミ。
ネズミを数えれば、ちゃんと129匹いるのだが数えている場合はない。
1匹は今、全力で向かって来ている。
マルコは倒れている人に近付いて、声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
倒れている人は意識があるようだった。
「どうしてこんな所で?」
とりあえず、聞いてみる。
「私は…」
小さく掠れた声が返す。
「私は…こんな所で倒れる訳には行かない」
声は中性的でそれだけでは男とも女とも分からないが、必死の迫力を秘めている。
それはそうである。
こんな所――そこそこの規模を誇るヒラケタ市から歩いて15分程の距離にあり、兎よりも弱いモンスターしかいないような一本道の洞窟――で行き倒れたとあっては末代までの恥である。
「!!」
更にマルコは驚いた。
その倒れている人の格好である。
頭に被っているのは帽子というより
薄いとは言え胸当てのような鎧を付けているし、足元はしっかりと板金の入ったブーツだ。
腰には、細長い剣すらはいている。
とりあえず自分の格好を見下ろしてみる。
草で切らないように、長袖も長ズボンだが、それだけだ。どちらも普段着の薄いものだし、靴も普通のスニーカーだ。
バックパックすら邪魔に思うので、行きがけに買ったお昼ご飯の入ったエコバックを片手に、反対の手に灯りを持っている。
それだけだ。
そう、この倒れている人は全てが想像の斜め上なのだ。
例えばここが普通のダンジョンの中ならば、マルコはもう少し困らなかった。というより悩まなかった。
助ければ良いのだから。
しかし、ここはハジテメノ洞窟なのだ。
ハジテメノ洞窟で行き倒れに出会うというのは、ハチミツを舐めたらハバネロの味がしたというぐらいのことだ。
それでもマルコは、混乱の極みにあるまま、倒れている人を抱え起こす。
抱え起こす方がいいのか、寝たままにしとくのがいいのかも迷う所だったが、起こすことにした。
肩を入れて起こすと、驚くほど軽かった。
壁にもたれかけて座らせる。
エコバックから水…は持ってなかったので紙パックのカフェオレにストローをさして渡す。
ネズミたちが心配そうに『チューチュー』ささやきあっている。
「なんでこんな所で?」
カフェオレを1口飲んだ所で尋ねる。
「私は…! 私は何としてもワタリオニゴケを持って帰らねばならない…!」
「ワタリオニゴケ?」
それはこの洞窟でとれる毒草の一つだ。
「そんなもん何に?」
「昏睡薬を…! 昏睡薬を作らねば…!」
「昏睡薬?」
それは確かにワタリオニゴケの他、いくつかの材料を混ぜることで作れる薬だ。
その名の通り、服用すると昏睡に陥る危険な薬だ。
が、どう味付けしても全く消せない強烈な苦味があり、その苦味は意識あるまま必要量飲むことは不可能と言われる。
更に、猛烈に臭い。うっかりしぶきがかかるとその猛烈な臭いが一週間は絶対に取れないため、使用した人間は一発でバレる。
残念な薬として、本に紹介されるような薬だ。
「そんなもん何……に?……!!」
そこで、マルコのライトがその人の顔を照らす。そして、息を飲んだ。
やはり中性的な顔が、まるで人形のように整ったていたから、ではない。
寝ぼけたままでも、人形が逃げ出すほどに整った顔を鏡で毎日見るから。
マルコはその顔を知っていたからだ。
その人を、ではない。
目の下にくっきりと刻まれた隈。
コケた頬。
潤いのない肌。
ひび割れた唇。
よく見えないが、目は真っ赤に充血している事だろう。
進級のため、限界以上に睡眠を削ったあの頃の自分とよく似た顔をしていたからだ。
「貴方、寝ないと! ひどい睡眠不足だ!」
マルコの声を聞いて、その人は力なく項垂れる。
「私は…! いや…! 私たちクヌギのエルフは…!」
兜を取ると尖った耳がピョコンと伸びた。
「眠れないのです……!」
絞り出すような声だった。
「「「はあ??」」」
130匹と1人と1匹は揃って首を傾げた。
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