第5話 下級生のいたずら


「アイツ、本当に運動神経ないな」


 これも、よく言われた言葉。球技は小さい頃から苦手だった。体育の授業のときも、からっきし下手くそだったなぁ。バレーボールではサーブが相手に届かなかったし、ソフトボールの時間ではバットが重すぎて振り遅れ。守備では外野を守ることになって、返球するボールが内野に全然届かなくて、投げてる姿もほんと無様で恥ずかしいほど。よく男子にも女子にも笑われていた。そんな思い出ばかりなので、今でも球技は自信がない。


 でも中学の時の部活はダンスに興味があったこともあって、バトン部を選んだ。でも実は、本当の理由はかっこいい先輩がいたから。それは誰にも秘密だった。イケメンでやさしかった年上の先輩。わたしの初恋の人だ。


 彼はブラスバンドチームでトランペットを吹いていた。小中高一貫の共学私立校だったから、バトン・トワラー部で練習を積めば、いつかあの先輩と一緒のチームで演技ができると夢を見てた。浅はかな、わたし…


 中学の部活動は週に2回ほどで、お稽古ごとの延長でしかなく、上下関係は緩かった。身体を鍛えるというより、仲良しクラブに近い感じ。3年生になった時には、同学年の部員は3人しかいなくて、わたしが部長に選ばれた。しかも、バトンの技術が長けてたからじゃなくて、脚が細長くて顔が小さいからだったんだって。その方が試合とかでは見栄えが良くて点数が上がるらしい。


 結局、肝心のバトンの技はそんなに上達せず、目的だった先輩にもお近づきにもなれず、ましてや同じ舞台に立つなんてことは、夢のまた夢のまま終わった。


 けれど、別の経験はさせてもらった。嫌な思い出、「試練」のひとつだ。


  *  *  *


「部長、バトンを持つ手がそんなに細くて、大丈夫なんですか?」


 部長の仕事の中に、新入生への「手本演技」というのがあった。一貫校ならではの、いわゆる育ちのよい、おっとりした性格の部員が多いなか、新1年に、珍しくバトンを本格的にやりたいと言って入部してきた子がいた。N村だ。12歳にしてすでに立派に身体が成長していたのを鮮明に記憶している。新入生である彼女は、仮入部のとき、わたしの手本演技が終わったタイミングで屈託なくこう尋ねてきたのだ。


「部長、もうちょっと基礎練をきちんと、長めにできませんか?」

「え、どういうこと?」

「私たち、もっともっとうまくなりたいんです。少し、練習時間が短すぎると思います。すぐ、『ミーティング』や『休憩』じゃあ、やっててつまらないです。前の部長は、もう少しきちっと長くやっていたって聞きました。あと部長、余計なことかもですが、バトンを持つ手がそんなに細くて、少しやばくないっすかぁ。もう少し鍛えた方がよろしいのでは?」


 口調は丁寧でも、喧嘩をふっかけてきたようだよね。こんなこと言われて腹が立たないわけがないけど、まぁ相手はまだ子どもだし大目に見ておこうと、咎めなかった。でもそれが後に響く。


 この後「プチ下剋上」というあまり思い出したくない事が起きたのは、中3の夏合宿の最終日だった。


 

 *  *  *


 


 バトン・トワラー部の夏の合宿で泊まったホテルの脱衣場には、大きな体重計が置いてあった。昔の学校の保健室にはどこにでもあった、ぐるっと針一周で100kgまで測れるアナログな秤ね。それに無防備に乗っかったりすると、近くの人に簡単に体重を知られてしまう恐れがあるというわけ。


 合宿の最終日、わたしは用心深く、タイミングをずらして一人で大浴場に入っていたの。身体を人に見られるのが本当に嫌だったから。


 そしたら、決められた時間よりも早く、N村たち下級生がズカズカと浴場に入ってきた。わたしは大き目なバスタオルで上半身をすっぽり隠していた。でも彼女たちは何もまとわず、すっ裸のまま、ニコニコはしゃいで湯舟に飛び込んでいく。初めて目の当たりにした後輩たちのピチピチして発達したカラダ。胸はすごく立派としかいいようがなかった。


 次の瞬間、わたしの背中にイヤな予感がうごめいた。わたしのこの貧弱な裸を、この子たちには絶対に見せたくない。早く終わらせようとそそくさと身体を洗って、湯舟にも浸からずに脱衣所に戻った。すぐにジャージに着替えないと、と急いでね。


 ところが、彼女たちは入ったばかりだというのに、風呂場から上がり、微かな薄笑いを浮かべながら、こっちへ向かってくるわけ。

 N村は、まだ髪を乾かしきれずに慌ててるわたしに笑いかけた。


「部長、合宿どうもお疲れ様でした。私たち、この合宿で何キロのダイエットができたか、ご褒美のアイスを賭けてるんです。今日が最後の日なんで、部長に証人になってもらってもいいですか?」


 ダイエットの証人? んん? なんのこと??


 わたしはあっけにとられた。その傍らで、N村が裸のまま体重計にぴょんと乗った。針はブルブル震えながら、50kgくらいを指して止まった。「よっし! 2キロ減ったぞ」と無邪気に喜ぶ。あとの二人も続けて乗っかった。針は、同じようなところを指して止まった。「やっぱ合宿に来ないと、痩せられないね〜」と、高らかに嗤う後輩たち。


 わたしは無言のまま、その場を離れようとした。その瞬間に飛んできた一言がこれだ。


「部長、いまの体重見てましたよね。証人になってもらえますね」

「さあ、今度は部長の番です」

「部長って、背は高いし、脚は長いし、スタイル抜群だから、みんなの憧れの的です。みんな、部長の体重が気になってるんです。みんなの投票で、一番多かったのは、えーと45kgでした。部長、さあ、ここで計ってみてください!」


 これは下剋上だ。上級生に対する「いじめ」なのだ。中学生のわたしはとっさにそう悟った。


 ここで、下級生たちの挑発にのるわけにいかなかった。ただでさえ、自分でも4月の検診で量った体重(確か41kg)から減ったように思えていたから。普段からあまり体重計には乗らなかったので自分のカンなんだけど、なぜか結構な確率で当たる。ある意味わたしの特技と言って良いかも?嫌な予感があたるなんて、嬉しくないんだけどね(苦笑)。


 それにしても、後輩たちのスイカのように豊満なおっぱいを目の前で見せられたのにはほとほと参った。初めての大きな屈辱だったと言える。わたしは自分のからだの貧弱さを嘆くとともに、激しい劣等感に襲われた。


 とはいえ、事の顛末は喧嘩などにはならずあっさりしたものだった。顧問の先生が脱衣所に忘れ物をしたとかで中に入ってきてくれたおかげで、それ以上の追及は受けずに済んだのだ。


 けれどそのあとの部活ではこの子たちに「他校生から、『おたくの部長さん、ホッソイねー』と、馬鹿にされてましたよ。ひどいですよね?」とか「もし体重が40kg前半なら、うちの小学生の妹と同じですよ」とかイジられて、辛かった。


 太っている人が、同じ様に馬鹿にされることはあると思う。


 そして痩せていても、やっぱり馬鹿にされたりはする。結局、「普通」じゃないってことで、阻害されるのだ。わたしはとにかく『普通』になりたかった。でもそれが叶わないのなら、せめて「特殊」ではなく「特別」になれる機会があるのなら、そうなりたいと願った。


 それがモデルの仕事を始めた理由の一つ。でもそれはそれで、茨の道でもあったんです……。

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