第二話 ヘラ~嫉妬深いだけじゃない~

 今回は、牛の眼の君ボオーピスこと、結婚と出産、そして貞淑を司る女神ヘラについて語っていきましょう。彼女は、最高神ゼウスの妻にして、あらゆる神々の女王、最も年長な女神で黄金の御座におわすお方です。

 ですがその一方で、あらゆる英雄――特にゼウスと愛人の子供――を苦しめた超絶嫉妬深い女神でもあります。さて、彼女が愛人や英雄たちにどんなことをしたのかというと……


・催眠で自身の妻と子供を殺させる(計二回)

・愛人を牛に変え虻をけしかけ拷問

・臨月の妊婦を追い掛け回す(ように部下に命じた)

・純朴な青年に狂気を吹き込み発狂させる


などなど、ここには書ききれないほどです。

 このように、えげつない方法で復讐を遂げているヘラ。そのせいで、現代に至るまで彼女は嫉妬深い女神であり、あらゆる英雄の悲劇の元凶とされています。なぜ彼女は夫ゼウスではなく、英雄に罰を与えるのでしょうか? 

 その答えはやはり、神話に隠されているのです……


①ヘラの嫉妬~英雄にとっての試練~


 突然ですが、英雄を英訳すると何でしょうか? その答えはHeroです。ここで「ん?」と思った方、いらっしゃるのではないでしょうか。

 女神ヘラ(Hera)と、英雄(Hero)ってなんだか似ていますよね? 実は、まさしくHeroの語源は、女神ヘラに由来するのです。


 そもそも、ヘラは古代ギリシャ語のヘーロースの女性形とされています。この『ヘーロース』という単語の意味は、いろんな解釈があるのですが、中でも有力視されているのが


『ヘラに捧げられた男という意味説』

『君侯に着けられる尊称(Mrのようなもの)説』


の二つです。

 思い出してみてください。前話にてゼウスの血を引く者は、各ポリスや王家の祖とされていましたよね? つまりヘラの与える罰、ないしは試練に耐えられた者が王家の礎となり、英雄(Hero)となったのです。 

 ヘラに苛め抜かれることが試練であり、英雄や王家の祖になるために必要な過程ならば、彼女は嫉妬深く、えげつないことを人間相手にできる性格でなければなりません。それ故に、神話では彼女の非道な言動が目立っているのです。


 ですが、このままでは彼女が『ただの嫉妬深い女神』で終わってしまいます。それを防ぐために、彼女がギリシャでどういう立場にいたのかも語りましょう。



②ゼウスの『姉』にして『正妻』である意味


 そもそもギリシャの神々は、二つに分類することができます。『元からギリシャにいた神』と『後からギリシャにきた神』です。女神ヘラは、前者にあたります。

 しかもその神格は最も古い部類に属し、元々ギリシャにいた先住民族たちは、彼女を主神のように崇めていたといいます。ですがそこに、ゼウスらを崇める民族が侵入してきた結果、彼女は主神から『主神ゼウスの妻』に引き下げられてしまったのです。


 前話にて『ゼウスと女神』の婚姻話には、別の背景があると述べましたが、まさにこれです。農耕神デメテルや狩猟神アルテミス、花女神コレーやゼウスの愛人たちは、元々先住民族から『主神』や『大地母神』として崇められていました。

 しかし、ゼウスを主神とする民族に征服された結果、彼女たちはゼウスの姉妹、あるいは娘や愛人として変えられたのでした。

 ですが、主神から引き下げられたとはいえ、ヘラは姉として正妻として、唯一ゼウスと対等な存在です。面と向かって文句を言ったり、反乱を起こしたり、色仕掛けをしてゼウスを騙したりなどなど、他の女神では考えられないようなことをしています。


 また、古代ギリシャの女性たちにとっても、ヘラは強い味方でした。未婚の少女から夫を失った未亡人に至るまで、あらゆる女性を庇護する者として崇められたヘラ。

 現代とは違い、家に閉じこもって目立たず、家事を黙々とこなし夫に尽くすことが、当時の理想の女性像だった古代ギリシャ。そんな時代に生きた女性たちは、夫になびかず正面から文句を言い、出し抜こうとする姿を見て憧れを抱いたのではないでしょうか。そうだとすれば、彼女は単に嫉妬深い女神ではなく、女性が抱く理想の女性像だったのかもしれませんね。



 

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