第15話 タイムリング
だが、リアンの身体にステラが念を送り出した途端、彼女の手はパチンと弾かれてしまったのだ。
「えっ!? 何で?……」
ステラは、軽い痺れの残る手を眺めながら、思案顔を作っていたが、
「リアン、貴方の中に居る何者かが、正体を探られるのを嫌がっているようなの。ごめんなさい」
と、お手上げのポーズをとった。
「なんじゃ、分からんのかい!」
女神にも物怖じしないシルフが、ツッコミを入れる。これで、リアンの力の正体はお預けかと思われたが、
「あまり強引にすると、リアンの身体に悪影響があるかも知れないから、無理しないでおくわ。でもね、一瞬だけど魔法陣のようなものが見えたの。これよ」
ステラは、自分が見た映像を、皆が見えるように空間に映し出した。それは、古代文字や絵図が刻まれた、黄金の魔法陣のようだったが、全体がぼやけて分かり辛かった。
その時である。映像を見ていたリアンが、「うっ!」と、右手を押さえ顔を顰めた。それは、彼の右の掌が、突然、痛いほどに熱くなったからだ。リアンが、恐る恐るその手を開くと、そこには、空間に映し出されたものと酷似した黄金の魔法陣が、鮮明に浮き出ていたのである。
「な、何だ、これは!?」
我が身に起こった不思議な現象に、驚きの声を上げるリアン。その右隣に居たローマンが、リアンの掌に浮き出た魔法陣を覗き込み、
「ん、この魔法陣は!?」
と、大きく目を見開いた。
「ローマン様、何か心当たりがあるの?」
リアンの左隣から、同じように覗き込んでいたステラが、興味津々の顔をローマンに向けた。
「確か、ノアの書いた本の中で見たような気がします。お待ちくだされ」
ローマンは、部屋の奥にある、沢山の書物が並べられた書棚の前に足を運ぶと、一冊の古びた分厚い本を取り出し、机の上でパラパラと捲り始めた。その本は、四百年も前のものらしい。
懸命に本と睨めっこするローマンを、リアン達が囲むようにして見守っていると、ページを捲る乾いた音が、ピタリと止んだ。
「ん?」と、皆がローマンの顔を見た途端、彼は目を輝かせて叫んだ。
「あった! これじゃ、タイムリングの魔法陣じゃ!」
「タイムリング? 何です、それは?」
聞きなれぬ名前に、リアンが怪訝な顔を寄せた。
「待て待て、もう少し読ませてくれ。ふむふむ、なるほど」
ローマンは、また、本に顔を埋めていたが、やがて顔を上げ、口を開いた。
「タイムリングというのはな、光魔法具師ノアが創った、時を旅する魔法具のことじゃ。時の神クロノスを召喚して、過去と未来、如何なる時代でも自由に行く事ができると書いてある。
おそらく、円形の魔法陣がリング(輪)に似ている事から、タイムリングと名付けられたのじゃろう。
そして、リアン、お前の手に浮き出ている黄金の魔法陣こそが、タイムリングの形なんじゃよ。実際は、もっと巨大で立体的なもののようじゃがな」
「……この魔法陣が、タイムリングの形?」
急な展開に、気持ちが付いて行けないリアンは、改めて自分の手の魔法陣に見入るが、それが、時を旅する魔法具だとは、俄かに信じられるはずもなかった。
「……しかし、ローマン様。未来や過去に行ける魔法など、聞いた事もありません。本当にそんな事が可能なのでしょうか?」
リアンは、かなりの興奮状態にあったが、平静を装って訊いた。
「信じられないのも無理はない。だが、ノアという魔法具師は天才じゃ。儂は彼を信じる。現に、四百年前の本にそのことが載っていて、理由は分からんがリアン、お前の掌にタイムリングの魔法陣が浮き出ているという事実は、動かし難いではないか。もうこれは、信じるしか無かろう!」
ローマンの確信の声が、部屋に響き渡った。
「……」
(確かにこの二つは疑いようの無い事実だ。では、タイムリングが本当の事だと仮定して、実際に過去へ戻れるとしたら……)
話を一歩前へ進めたリアンの思索は、当然のようにイベリスへと向かっていった。
「では、タイムリングを使えば、アーロンによって殺された人々を助けることも可能なんですか?」
「彼らが殺される前の過去に戻り、アーロンを倒すことができればな」
「ということは、死んだイベリスを生き返らせることもできるんですね!」
今迄、どれだけ死んだイベリスに会いたいと涙を流し、夢に見てきた事か。リアンは、それが現実になると聞いて狂喜せずにはいられなかった。だが、
「リアン、落ち着け! 気持ちは分かるが喜ぶのはまだ早い。タイムリングの起動方法も、アーロンを倒せるかどうかも、まだ、何一つ分かっていないんだからな」
冷静なルークの言葉に、天にも昇る気持ちだったリアンは、一気に現実に引き戻された。
「それにしても、そのタイムリングとやらの魔法陣が、何故、リアンの手に浮き出ているのじゃ?」
ルークに抱っこされて、本を覗き込んでいたシルフが、肝心なところを突いてきた。
「それは儂にも分からん。ただ、リアンの不思議な力の正体は、時の神、クロノスに違いあるまい」
ローマンが、リアンの力の正体をクロノスと言い切ると、皆の視線が一斉にリアンに注がれた。ところが、当の本人は何のリアクションも示さなかったのである。
自分が一番知りたかったこととは言え、時の神クロノスを知らぬリアンにとっては、実感が湧かないのも無理はなかった。
「タイムリングがクロノスを召喚するんじゃから、当然と言えば当然か……。だったら、その二つを持つリアンは、何なんじゃ?」
シルフが首を傾げる。
「……」
この時、ローマンの中で一つの可能性が浮かんでいた。それは、リアン自身がタイムリングの魔法具ではないかという事だった。そう仮定するなら、全ての辻褄が合うのだ。だが、人間を魔法具とするなど、当代随一の魔法具師の彼にとっても、信じ難い事だった。
「ステラ様は、時の神クロノスを御存じなのですか?」
ルークが、女神の彼女なら何か知っているかと、期待の眼差しを向けた。
「勿論知っているわ。彼は、時間を司る神で、比較的上級の神だからね。でも、天上界で何度かお会いした事があるだけで、あまり親しいとは言えないわね。
それから、リアンのことだけど、ノアの作ったタイムリングを起動する核が、彼の中に埋め込まれているんだと思う。だから、クロノス様の力が働いているんだわ。
……信じられない事だけど、リアンこそが、タイムリングの魔法具なのよ!」
ステラが、興奮気味に言い放った刹那、リアンの中でぼやけていたものが鮮明になり、全てが繋がった。そして、自分が何者かを、悟ったのである。
(そうか、そうだったのか! 僕こそが、タイムリングそのものなんだ!)
彼は心の中で叫び、感動が五体を駆け抜けた。
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