第35話 19時配信


 ふと僕は。目を開いてしまう。


 酔いが残ってたのか…夜中に起きてしまった感じだ。


 そのとき、誰か黒い人影が僕を見下ろしてる気がした。




 早紀…? 目が覚めたのか…?




「さ………」


 呼びかけようと思ったが、再び酔いが回ってき…て……そのまま寝た。



 ……


 …そして…朝を迎えた。窓から光が差し込んでいる。…穏やかそのもので。平和な、朝だ。


 僕は…静かに立ち上がり、ベッドで寝ている女性に目を向ける。



 早紀は…安らかに息をしている。その寝顔をしばらく見つめてるうちに…次第に……早紀のまぶたは上がっていく。


「謙吾くん…? おはよう…」

「あぁ、おはよう」

「…う…っ」


 早紀が頭を押さえる。


「早紀…! 大丈夫か…?!」

「えっと…ズキっとして。まだ酔いが残ってるっぽいねっ」

「水でも飲む? 一応、みそ汁も用意してるけど…」


「みそ汁?」

「あぁ。昨晩、僕が作ったもので…」

「…謙吾くんの手作り…! 飲むよ…♪」


 そう早紀が言ってくれたのもあって、僕は冷蔵庫に入れていた鍋を出して火にかけて、十分に温めたところで…お椀に入れて、早紀のところへと持っていった。



「ありがとう、謙吾くん…」


 そして早紀は…静かに口にしていく。


「ん……。おいしい…。…頭痛も…とれてく感じ…っ」

「そっか、なら…よかった」



 正直、料理の腕に自信はなかったんだが。その言葉を聞いてホッと安心していく。


「そういえば…謙吾くんの手料理を味わったの、初めて…」

「あ、確かに」

「役得っていうのかな……ホントありがとね謙吾くん。嬉しい…」

「そう言ってくれて…僕こそ嬉しいよ…っ」


 …心が温まっていく感覚がして。


 僕もまた、お椀にみそ汁を入れて口にしていき……心身ともに温まって……




 そうして落ち着いたところで。ふと僕は思い出し、尋ねてみることにした。



「昨夜、僕を見下ろしたりしてた?」

「…え?」


 もしかしたら。お手洗いに行こうとした早紀が、床に寝てる僕の存在に気づき、踏まないように気をつけようとして、僕を見つめたという感じかな。



 ところが――


「見下ろすも何も…そもそも夜中に起きてないけど…」

「…起きてない…?」

「うん…さっきベッドで目を覚ましたばかりだよ」


「……」


 それって…つまりどういうことなんだ…?


「…もしかして謙吾くん…。酔ってて…夢でも見てた…とか?」


 その言葉に、僕はすぐさま納得。



 あれは夢だった。なんだ、そうだったのか。しっくりきた。



 そうだよな、それに昨日はカギもちゃんと閉めてたんだし外部からの侵入なんてあるわけ――


 ……そういえば昨日は…


 …早紀の介抱に意識が行くあまり、玄関にカギをかけ忘れてたことに気づいた…。



 じゃあ本当に…?? 何者かが…玄関から侵入し…僕の枕元に…立ってた…?




 いや、僕の考えすぎだよな…



「け、謙吾くん。大丈夫…??」

「え…」

「凄く、不安そうな表情してる…」

「あ、その…」


 どうやら僕は、考えてることがすぐに顔に表れてしまうみたいだ。


「もし、何か不安に思ってることがあったら…遠慮しないで話して?」

「早紀…」


 僕は…その厚意に甘え、昨日…感じていたことを伝えることにした。


「誰かに…後をつけられてる感覚が…?」

「あぁ…。それに…玄関のカギもかけ忘れて。だから…夜中に誰かが部屋に…?」

「……」


 早紀は無言になる。おそらく、この事態について考えているのだろう。


 い、いけない。僕の単なる気のせいかもしれないのに心配かけてしまっている…!


「ところで、早紀」

「…ん?」

「今日はゆっくりする?」

「ん…そうだね!」


 そうして…団らんしていく。他愛のない話だったけど、早紀との時間はやっぱり楽しかった。




 それからしばらくして、早紀が言う。


「すっかり具合も良くなったよ」

「そっか…よかった…っ」

「介抱してくれて…ありがとう。何かお礼したいな…」

「そんな、お礼だなんて」


「あ、部屋の掃除とかどう?」

「そりゃ…もちろんありがたいけど。いいの??」

「ん♪」


 というわけで掃除機を持って、電源をONにして…床を掃除し…


 それから数分して、次は僕の寝ていた場所へと掃除機を向かわせたところだった。




 床を見つめて…


 早紀は…微動だにせずにいた。


 まるで…時間が停まったかのような感じで…


「早紀…? 大丈夫?」

「え」

「なんか、ボーっとしてたから」

「あ、うん。大丈夫だよ」


「それならいいんだけど、まだ調子が悪いとかなら無理しないで」

「うん。気遣ってくれてありがと♪」


 ―――――――――――――――


「それならいいんだけど、まだ調子が悪いとかなら無理しないで」

「うん。気遣ってくれてありがと♪」


 謙吾くんにお礼を言って、あたしは…


 もう一度 床を見る。


 ……


 …


 あたしは……。


 さっき謙吾くんから昨日、誰かに後をつけられてる感覚がしたって話を、聞いたとき……



 あの…例の男の人が死亡した今となっては一体、誰が…謙吾くんの後をつけてるんだろ…。誰がそんなことしてるんだろ…って考えた。




 そのとき。…ふと、思い当たる人物がいて。


 けど、あくまでそれは憶測で、はずれてるに越したことはないと考えていた。



 でも…今…


 床に落ちてるもの…


 ………


 ……



 …長い黒髪が 一本……



 …本当は、もう少し謙吾くんとともにいたかったけど、あたしには、確かめないといけないことがあった。


「またね。謙吾くん…!」


 掃除が終わって、しばらく時間が経って…あたしは名残惜しさを感じつつも、そう言って、部屋を出て……




 そして、ある場所へと着く。



 よく知るマンションの405号室の呼び鈴を鳴らした。…ドアが開く。



 その人物はあたしを部屋に入れた後、椅子に座って背を向けて、パソコン画面に向き合っていく。



 あたしは…その人物に呼びかけた。


「…お姉ちゃん」

「何? 今、編集してるんだけど」


 …そう、編集中。お姉ちゃんは…いつも、ゲーム実況等の配信が数時間を超えた場合には、それを数分にまとめたダイジェスト動画も作って投稿してる。いわゆる見どころをまとめたやつで。


 それは…単に動画の切り貼りだけでなく、場合に応じて効果音を入れたり、テキストを挿入したりと工夫もこらしてる。今はまさにその編集の最中なのだろう。


 …こういうこまめなところは本当に尊敬してるし、それを中断させるのは心苦しいけど、あたしは真実を知るためにも、敢えて尋ねることにした。


「今日さ。朝に配信してたよね?」

「だったら何?」

「いつもは夜に…19時に配信するのに。それでいつもは日中は寝てる…はずなのに」


 お姉ちゃんはVtuber活動を今までほとんどおろそかにしたことがなかった。


 顔の石像が送られたその翌日ですら、配信を休むどころか、いつも通りに19時配信を断行していた。


 だから、しなかったのはよほどのことだとあたしは思った。


「昨日、どこかに出かけてたの?」

「何が言いたいの?」



「…お姉ちゃんなんでしょ? あたしたちの後を、つけてたの…」


「……」


 マウスを操作する動きを止め、お姉ちゃんは言った。


「…それだけの理由で、そう思ったの?」

「他にもあるよ。長い黒髪が一本落ちてたのもだけど…」


 言葉を続ける。


「…あたしの、勘っていうか」

「…勘?」

「…もし自分がお姉ちゃんの立場なら。妹を守るために何かするかもしれない」


 一呼吸置いて、言った。


「そう、思ったから」


 …そこで…。お姉ちゃんが、ついにこちらへと体を向けて。目線が交わって。



「さすが、姉妹なだけあって、考え方は似るのね」



 ふふふと小さく笑みをこぼしながら、表情に影を落とし……口を開く。



「ま、別に隠す必要もないか」

「じゃあ…」

「そうよ。私が後をつけてたの…。部屋に入って、あの男の枕元に立ってたのも…私」

「…それって…監視…のつもりなの…?」


「当たり前でしょうよ!?!」



 大声が 響き渡った



「近頃…早紀の様子がなんか変だったから。後をつけてみれば…あの男がいたっていう。びっくりよ」

「それは…」


 確かに、驚きの事実だと思う。客観的に考えても。


 だって、自分をストーカーしていた男が、自分の妹と会っていたわけで…


「ねぇ早紀…。脅されてるんでしょ?」

「え…?」


「脅されてるから…付き合わされてるんでしょ? …おおよそ…言うことを聞かなければ、お姉さんに手を出すとか言われて…。早紀は優しい子だから、泣く泣く命令に従ってるのよね…」


「え、いや、違――」

「自分のことだけなら我慢もできたのに!!! 妹にまで好きにしようっていうなら、それは本当にもう…許せない…!!!」


 ガンガン!!と、こぶしを握りしめ、机を何度も叩くお姉ちゃん。

これを、激怒と言わずして、なんと言うのか。


「昨日なんか…本当に許せなかったのよ…!? 酒に酔わせた早紀を家に持ち帰って……私の妹に何するのって?!? だから、あの男を夜中ずっと監視してたのよ…。坂島謙吾を…」

「お姉ちゃん…名前知って…」

「そうよ。部屋を調べてるうちに運転免許証を発見してね。それで名前が…にっくき男の名前が坂島謙吾だって分かったの」


「…お姉ちゃん…!」


 あたしは、何から言おうと思ったけど――


「結局、あたしは何もされてなかったでしょ?? お姉ちゃんの思ってることとは違ってて――」


 さらに事情を話そうと言葉を続けようとしたけど――大声で遮られた。


「そんなの結果論でしょ!?! 変なことするつもりが、あいつも酔って寝てしまっただけでしょ?!」

「ま、待って…。ベッドじゃなく床で寝てたでしょ?」

「そんなの早紀を油断させるために決まってんでしょ!?」


「落ち着いてお姉ちゃん!!」

「そもそもさぁ…!! 今、私のとこに来たのだって、あいつに脅されて、説得しにきたんじゃないの???」

「違うよ! あたしは脅されてなんてない!」

「そういうことまで言えって…脅されてるの? あいつ…妹を何だと思ってんの…!?」



 もはや完全にお姉ちゃんは…あたしが自分の意志ではなく坂島謙吾に脅されての行動だと思っているようだった…



 でも確かに、お姉ちゃんの立場だと、そう考えてもおかしくは…ないのかもしれない。


 自分は散々異常行為を坂島謙吾にされてきたわけで、ゆえにそんな危険人物のことを妹がかばうなど、普通に考えたらありえないと。



 なら、今のあたしの行動は自発的なものではなく、坂島謙吾に脅されてのものと解釈するのも不思議ではなかった。


 あの男が…思うように自分の妹に、無理やり命令している…と…。


「…早紀。私ね、覚悟が決まったから」

「え」

「むしろ…もっと早く決断すべきだった」


 お姉ちゃんは一度台所に立ち寄り、そして外へと飛び出していく。




 あたしは… とんでもなく嫌な予感がした




「お姉ちゃん…!! 待って!!!」



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