第34話 パラドックス


 ただの錯覚から来る、ただの夢だったのである。僕とは何の関係もない。


「そうだと分かれば安心だな」


 …それにしてはリアルな夢だったな…。





「早紀……。ありがとう……」


 この日、僕は家に来ていた早紀に…改めてお礼を伝えたのだった。


「え…どうしたの?」


 早紀が尋ねる。僕は答えていく…昨日刑事が来て…いろいろ説明してくれたことを。


 僕は連続殺人犯から命を狙われており、早紀がそばでナイフを取り出してくれたことで…犯人が迂闊に動けなくなり、そのことが僕の命を救ったのだということを。


「え…マジで…?」

「あぁ。ありがとう…」

「……いや、お礼を言うのはおかしくない…?? だって…」


 早紀の言いたいことは分かった。



「まぁな。だってあのときの早紀って、僕を殺そうとしてナイフを出したんだよな」


 僕は何かおかしくなり、笑みがこぼれてしまった。


「笑いごとじゃないよ…。…あのときはホントごめん…」

「いいって。でも、そのおかげで…僕に殺意を持ってたことが、結果として…僕の命を救うことになったんだ」


 なんとも逆説的だと思った。


 早紀の行動が、犯人の牽制になってたんだ…。

その後も、僕と一緒に行動をともにしてたことが…犯人が手が出せなかった理由になっていたわけで…。早紀がいなかったら、僕はどうなっていたんだろうかと思う。殺されてても全然おかしくない。


「…謙吾くん。………あたしがこんなこと言うのもおかしいかもだけど、無事で…よかったよ…」


 早紀が…僕を静かに抱きしめる。…温かいぬくもりを感じた。


「早紀…」

「…あたし、今では謙吾くんに…生きててほしいって思ってる」

「…早紀…。ありがとう…」



 …正直、自分がしでかした罪の重さを、今でもいろいろ考えることはあるが。早紀がそう言ってくれるのなら…


「…ね。デートしたい」

「あぁ。行こっか」


 こうして僕と早紀は、外へと繰り出すことになったのだった。


「謙吾くん、行きたい場所ある?」

「うーん…適当に歩いてみる?」

「いいね」


 そうして…のんびりと歩いてたときだった。


 ……



 …視線を感じた。



 ……



 …足音が聞こえる。



「……?」



 何だこれ? まるで、誰かにつけられてるようである。



 そんなバカな。僕は笑いそうになった。



 いくらなんでも気のせいだろ……?


 だってあの男はすでに死亡してるわけで、じゃあ誰がこの期に及んで後をつけてるんだって…。


 そんな人間、さすがにもういるはずない。僕はそう片付け、早紀とのデートを楽しんでいった。


 ……


 …やがて、夜になる。



「あ、19時過ぎてる…」


 僕はスマホで時刻を確認した。


「もう帰る?」

「あ、そうじゃなくて…」

「?」

「最近、19時配信してなかったって…」


「…あ、そっち?」


 おかしそうに、早紀は小さく笑う。


「…謙吾くん。もう、いいんだよ? だって…あれを始めたのって、あたしが…」

「あぁ…そうだったな」

「だから、もうする必要はないの」

「あぁ」


 改めてそれを胸にとどめ、そして早紀の顔を見つめた。


 周囲はもうすっかり暗くなっていた関係で、街中ではネオンが光っている。



「早紀。送ろっか? それとも…まだどこかへ行きたい?」

「謙吾くんこそ大丈夫なの?」

「僕は大丈夫だから」

「…んー……そういうことなら…」


 こうして僕たちは、夜の繁華街へと歩みを進めて。



 …やがて…早紀の目的地へと着いた。


「ここって…」

「あたしがね、たまに行くバーなの」

「そうなんだ」

「謙吾くん、お酒飲むって聞いてたけど、どうかな?」


 …前、カラオケ店に行って僕が過去話をしたとき、早紀には伝えていた。会社員をやってた頃、頻繁にバーに通って酒を飲んでいたことを。


 そのことを踏まえた上で、ここを選んでくれたんだと分かった。


「いいよ。久々に、飲んでみたい」


 バーに来るのもだが、そもそも酒自体を最近飲んでいなかったな…と。




 というわけで中へと入る。


 そこは…ムーディーなバーで。落ち着いた雰囲気のある場所だった。


 僕と早紀はカウンター席へと座る。


「あたしね、今日はロングカクテルを飲もって思ってるけど…謙吾くんはどうする?」

「じゃあ僕もそれで」


 僕が以前飲んでいたショートカクテルは、アルコール度数が強く、マンハッタンはまさにそれで…。


 けど、ロングカクテルはアルコール度数が低いのが特徴で。

ゆえに飲んでても酔いが回るのは遅く、その分、長い時間楽しむことができる。早紀と一緒なら、こういう類いのカクテルも決して悪くないと思った。


「何かオススメとかある?」

「……気分は、カンパリオレンジかな」

「じゃ、僕もそれを飲もう」


 注文し、やがて目の前へと置かれ……口にしてみた。


 甘酸っぱくて…おいしい。結構…何杯でもいけるな。僕の好みに合ってるようだった。



「ね、謙吾くん。カクテル言葉って知ってる?」

「あぁ」


 以前、バーテンダーから、カクテルにはそういうのがあると教えてもらったことを思い出した。


「…この、カンパリオレンジにもあるの?」

「うん」


「どういう意味があるんだ?」

「…えっと、秘密」

「え、教えてくれないのか」

「だって、後で調べれば分かるでしょ?」

「まぁそれもそっか」


 そうして他愛のない話をしながら二人で飲んで楽しんだ。


 早紀とのバーの時間は…とても新鮮だった。




 そして、時間を忘れるくらい飲んで――




「う…」


 外で、僕の肩に寄り添う早紀。顔は上気していた。足元がおぼつかない様子だ。


「だ、大丈夫?」

「オッケー…」

「いや、大丈夫には見えないが…」


 いくらアルコール度数が低いとはいっても、さすがに量が過ぎれば、酔ってしまうのは避けられない。まぁこれは、隣にいながら止めなかった僕にも責任があるのだが。


「どうする? タクシー呼ぼっか?」

「ううん…」


 早紀は顔を横に振る。


「謙吾くんの家がいい…」


 まぁ、ここから近いといえば…近いが…。


 本当は、早紀の自宅までタクシーで向かわせたほうがいい気もしたんだが。結局、流れ的に僕の家へと来てもらうことになったのだった。



 ……



 …そして自室へと入り、ベッドの近くまで来たところで……早紀は床にぺたんと座った。


「ん……」

「早紀…大丈夫か…?」


 意識はあるようだが、やはり、かなり酔ってるようだ。


 そのとき。早紀がふらつき…床に倒れそうになったので、僕は急いで肩を支える。


「…謙吾くん……少し…このまま…」


 そんな早紀のそばに、僕もまた座り……早紀の頭が僕の肩にこつんと当たる体勢へとなった。



「…ん……っ」



 そんな小さな吐息も聞こえるくらいに、近くにいる。



 …酔っていたため…衣服が少し乱れている。



 僕はそんな早紀を見て、欲情に駆られたりはしなかった。タイプの女性ではないこともあって。


 けれど…


 けれど…


「早紀……」


 こんな…無防備な姿をさらしてる時点で…

僕に気を許してるということがまざまざと分かり、僕は……




 気づけば 頬を涙が伝っていた




 こんな、僕みたいな異常者に……気を許して……



 …しばらく涙が止まらなかった。



 そして…落ち着いた頃に。早紀は寝息をたてていた。


「早紀…寝たのか…」


 僕は…それを確認してから、体勢を変えて……


 お姫様抱っこでベッドへと運び……


 毛布をかけた。寝てるときは体温が下がるし、特に酔ってるときは、気をつけないといけないからな…



 さて…。他に早紀のために何かできるだろうか。


「…みそ汁を…作ってみるか…」


 二日酔い防止のためもあって、家にあった食材を工夫して、なんとかみそ汁を作ってみた。それを、冷蔵庫へと入れる。再び鍋を火にかければ、いつでも口にできるようになっている。


 …そろそろ僕も寝ようか…?


 僕は、床で寝ることにした。早紀のいるベッドではなく。


 もし、夜中に早紀がお手洗いに行きたくなったとき、僕がそばで寝てることで移動しづらくなってはいけないと思ったのが、理由だった。


 そう思って、ふとベッドにいる早紀の寝顔を見て、僕も……




 あ、そういえば。カンパリオレンジのカクテル言葉って、何だったんだろうと思い、スマホで検索して調べた。


 すると……


 初恋、と出てきた。


「……早紀……」


 僕はもう一度早紀の寝顔を見た。そうしたいって…思ったから。そして…静かに消灯をして眠ったのだった。


 ………


 ……


 ふと僕は。目を開いてしまう。


 …僕も結構飲んでたから…酔いが残ってたのか…夜中に起きてしまった感じだ。


 そのとき、誰か黒い人影が僕を見下ろしてる気がした。




 早紀…? 目が覚めたのか…?



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