第24話 手出せないでしょ…?


 抱きしめた体勢のまま、僕も早紀同様に眠りについた。


 やがて朝に…なった。


 僕は静かに部屋を見渡す。




 床に落ちたナイフ、切られたロープ…


 それは、昨日起こった出来事を物語っていた。


 結局早紀は… 僕を殺してはくれなかったんだ。


「ん…」


 早紀の吐息が漏れる。どうやら目を覚ましたみたいで。


「まだ…こうしてたの…?」


「あ…ごめん…」


 僕はようやく腕を離した。


 早紀は…立ち上がって、言った。


「あたし昨日…大泣きしちゃったから。一旦家に帰る」


 そして…去っていった。

僕は部屋に一人取り残される。


「……」


 床に座ったまま、いろいろ考えた…


 これからのことを…



 そうしてるうちに、数時間が経って。玄関で音がした。


「まだ…そこに座ってたの?」


「あぁ…」


 早紀が戻ってきていた。


 ……僕は。

早紀のお姉さんに酷いことをしたという罪悪感で、僕は早紀から目をそらしてしまう。


 けれど。早紀に言わなきゃいけないことがあるんだ…


 僕は再び目を合わせ…口を開いた。


「あれから考えてみたんだ」


 そして言った。


「キミが殺してくれないなら…自ら幕を下ろそうと思う」


 この言葉を受けた早紀は、数秒、表情が止まったようになり……やがて、尋ねる。


「…ちょっと待って。自殺するって言いたいの?」

「あぁ」

「…本気?」


 僕は頷いた。…飛び降りたり、首を吊ったり、ナイフで刺したり方法はいろいろあるのだろうが、とにかく死のうと思っていた…。




「……一つ聞きたいんだけど。お姉ちゃんへの付きまといは…やめるんだよね?」

「あぁ…」

「でも死ぬってこと?」

「…あぁ。僕が僕である限り、もう……。だから…死ぬ」


 した事実は変えられないし、それに僕は、過去の異常な自分をもはや信じられない。再び、何かしでかすんじゃないかって恐怖がある。だから、この世から消えたほうがいいと思って。


「……目、閉じて。…じっとしてて……」


「え…」


 一瞬、早紀の言葉の意味が分からなかったが、すぐに…悟った。ようやく…僕を殺してくれるんだ…と。目を閉じてる間に、やるということなのだろう。


 これで…ようやく…。僕は身を任せるように、目を閉じた。


 ……座った状態の僕に、目線を合わせるかのように早紀も…床に座るような音がした。


 おそらく準備は整ったのだろう。

今から…至近距離でナイフで刺されるのか、それとも…ロープで絞められるのか…


 いずれにしても、僕は受け入れた。


「……っ!」



 ところが。僕が受けたのは、ナイフの感触でも、ロープの感触でもなかった。


 …温かくて柔らかい…


 まさか…これは…


 僕は驚きのあまり、目を開ける。そこには…早紀の…染まった顔…



 ……キス……されていた……



 衝撃のあまり思考が追いつかず。


 早紀は…僕を憎んでいたはずでは…


 ……やがて唇は離れ、早紀は…言った…


「これでお姉ちゃんに…手出せないでしょ…?」




 そこで理解した。今のは…自己犠牲だったんだと…


 こんな…僕みたいな異常者の対象に…なるつもりでいるのか…お姉さんに代わって…


 ……そういう……ことだよな……??


 僕は思わず声を発していく。発せざるをえなかった。


「キミは…自分を犠牲にしても…お姉さんを守ろうと…」


「犠牲だなんて言わないで」


 早紀は僕に背を向けて言う。


「だって…今のキス…あたしの初めてのキスだったんだから」



 ……


 …初めて…?


 その言葉に…僕は…パニックになりそうになった。


 いや、だって……


『どうも何も、見た目的に…体を売ってそうに見え――』


 それが、早紀に最初に抱いた印象だった。見た目から…そういう判断をあのとき下していた。



 つまりそれは、いろんな男と交わった、というようなイメージで。

当然、キスくらい慣れているものだと思っていた。



 それが…初めて……?


 今…僕としたキスが……?



 「そんなはずない!!!」と以前の僕なら否定していたのだろうが…。


 このときの僕は……見た目から来る印象と…事実は異なっていたということを……受け入れていた。


 たとえ写実的であってもリアルの見た目で人を……推し量ることは…――


「ねぇ。謙吾くん…」


 振り返って、早紀が言う。


「僕が僕である限り、って言ってたけど、謙吾くんは…変わったと思うよ」


「え…変わったって…」


「刺されたときに抵抗しなかったのもだけど…。抱きしめてるとき…凄く力を弱くしてたよね…。いつでもあたしが…抜け出せるように…それで…あたしに殺されてもいいように…」


 …数秒間を置いて、早紀は口を開く。


「それだけお姉ちゃんに酷いことをしたって…そう考えてるのも…分かった」


「早紀……」


「なんか…変わったよね。お姉ちゃんにナイフで迫ってたあの頃の謙吾くんとは…違うって思うから」


 ……


 …もし変わったという印象が本当なのであれば。


 …もしかしたらそれは…



 一時的にでも記憶喪失になったおかげなのかもしれない、と思った。



 そのおかげで…一時的であっても過去の嫌な自分を忘れることができ…白紙の状態で世界を見つめることができた。


 …それは…美術的に言うのなら、真っ白な彫刻に色をつけていくような…真っ白なキャンバスに色を塗ってくような…そんな……



「…早紀。…ありがとう…」



「…は? いきなり何?」

「いや、何でもない」

「何それ」


 なんともいえない表情をする早紀。


 …僕が今、ごまかしたのは。このお礼が、自己満足の類いでしかないからだ。


 言うまでもないけれど、あのとき早紀が僕を気絶させることになったのは…お姉さんを守るためだ。決して、僕を記憶喪失にするためではない。



 何かバツが悪くなった僕は、「…その、今日はいい天気だな」と言った。それを受けて早紀は、「ホントにどうしたの?」と小さく笑っていた。


 そうして…僕を見つめてから。早紀は…言葉を紡いでいく。


「……ね。謙吾くんのこと、もっと知りたい」

「…僕の?」

「ん。一緒にいることで、分かることも…あると思ってるから」

「…早紀……」



 そういう時間の積み重ねが、相手のことを知る、ということにもつながっていくのだろうと思った。


「一緒にいろんなところ、行ってみたい」


 タイプの女性ではない。けれど…。


「早紀がよければ。…行ってみようか」


 僕は身支度を整えた後、早紀とともに外へと出るのだった。



 このとき僕は。


 早紀が犯人だったと分かったことで、全ての真相は明らかになったと…思っていた。



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