第21話 限界
またがって上からまじまじと見つめてたとき、こいつが純粋無垢な顔をしてることに気づいた。
もしこいつが記憶がまっさらな状態で、ストーカーや殺人未遂といったこともしでかしてない状態で…あたしと出会っていたら。もしかしたら…普通に接することができていたのかな。
ま…考えても意味のない仮定だけど。
「……ん…」
そのときだった。こいつの眉がピクリと動いた。もうすぐ目を覚ますのかもしれない。
あたしは彼女らしい笑顔を作って、目を徐々に開いたこいつに…言った。
「おはよ。起きて?」
「いつからそうしてるんだ?」
「さっき来てから」
もしどうやって侵入したと聞かれたら、カギが開いてたからとか答えとこうと思った。
「何やってるんだよ…」
「彼女なんだから別にいいじゃん」
「…そうか」
…だって、これも彼女だと信じてもらうための行動の一環だったから。
朝、部屋に来て、またがって……デートに誘う。そんな女をどう思うかはともかく、少なくとも、彼氏に対して積極的な彼女……ってふうには映るでしょ? 良くも悪くも。…本当はこんなことしたくなかったけどね…
激しい葛藤を感じながらも…あたしたちはデートに出かけることに。
その途中だった。坂島謙吾が、妙な挙動をした。
…不安げな表情で…なんだかあたりをキョロキョロしている…。直後、立ち止まった。
「…謙吾くん?」
あたしも歩くのをやめ、様子を尋ねる意味もあって、この男に呼びかけたのだった。
すると…いきなり後ろを振り返る。明らかに普通ではない。
あぁ……そういうこと……?
こいつは…被害妄想に陥り始めてるんじゃない? 疑心暗鬼とでも言えばいい?
だとしたら、双眼鏡で覗いたりピンポンダッシュした甲斐があったと思った。こいつの精神を確実にむしばんでいる……
あたしの精神も限界だった。こんな男の彼女を演じて…デートみたいな行為もするとか耐えられないし…
「そろそろ…いいよね…?」
あたしはそう、こいつには聞こえないような小声を出しつつ、ナイフをカバンから取り出す…。この場で…背中にブッ刺せば終わる……
「……」
いや…ダメ…まだ殺すわけにはいかない……ナイフをしまう。こいつの精神的苦痛だってまだ始まったばかり。まだ…まだ苦しめないといけない…。そうじゃないと、ここまで彼女の振りをしてきた意味も…なくなる……
彼女の振り…。不安そうな彼氏を見たとき、彼女ならどうするんだろうね?
「手…つなごっか?」
心配してるような、優しいと思わせるような笑みで…手を差し伸べる。そういう彼女を演出した…
それから公園に二人で行き、ベンチで会話をしていた最中だった。坂島謙吾は言った。
「…なあ早紀。教えてくれないか」
「教える?」
「記憶を失う前の僕は、何かをしてしまったんじゃないか?」
「…だから、誰かにストーカーされてる…ってこと?」
「あぁ…。何か心当たりはないか?」
こいつの今の発言はまさに核心をついていた。
その通りだよ?? 記憶を失う前のあんたはお姉ちゃんに酷いことをしたから、あたしがストーカーのような報復行為をしてるわけで…。
でも、まだそれをバラすわけにはいかない…
「…いや、ないけど」
黙秘した。
その後… 坂島謙吾の希望でショッピングモールに行った、その矢先のことだった。
「…ごめん早紀。ちょっと用があるから、ここで待ってて」
「え…?」
「すぐ戻るから」
「う、うん…分かった」
急にどうしたんだろうね?
……待っててと言われた手前、動くわけにもいかないし……
あたしはそばにあったベンチに座ったけど……暇だったのでスマホをいじることにした。
…あ、せっかくだし、坂島謙吾のVtuberとしての進捗状況をチェックしてみよっか…?
そう思い、こいつのチャンネルにアクセスすると、今日の分の配信もすでに予約投稿してることを確認する。へー…ちゃんとあたしが言った通り、Vtuber活動はやってるみたいね?
感心感心と適当に思ってると、あの男がこっちに近づいてきてるのが見えた。
「あ、謙吾くん…!」
あたしは急いでスマホの画面を真っ暗にし、ポケットにしまって坂島謙吾に近づいた。
でも。よく考えたら、別に今の行動を隠す意味はなかったね。彼女が…彼氏のVtuber活動をスマホで調べてるって、別におかしいことではないからね…。
そうしてあたしたちはその後、ウィンドウショッピングしたり、飲食店に入って食事をとったりした。もちろん彼女のように…振る舞った。
そして翌日。奴からの電話は突然だった。
「えっと…早紀について知りたいと思って…」
どうやら…あたしのことが知りたいらしい。
ただ、これは。…好きな女性だから気になるというより、白谷早紀という人間の素性を…確かめておきたい、というニュアンスに思えた。
ともかく対処した。
「…あたしの何が知りたいの?」
「早紀は今……どういうことをしてるんだろうと思って」
「…もしかして職業の話?」
「あぁ」
職業、ね。そういった情報でも知ってれば、こいつは安心してくれる? あたしが…素性の分からない人間じゃなくて、ちゃんとした彼女だって…
なら都合がいい。あたしは正直に答えた。
「美容師やってるよ」
ついにこいつに…美容師やってること教えちゃったか…別に知られたいとも思わなかったけど…
そう思いながら部屋をふと見渡してると、頭部の模型が目に入った。
あたしが美容師駆け出しの頃、練習に使っていた頭部の模型…
……今使える……
「…あ、せっかくだから…謙吾くんにプレゼントしちゃおっかな」
この頭部の模型ってさ…あたしのように見慣れてる人間でも、夜中の薄暗いときなんかに見ると、結構不気味だったりするんだよね…
ましてや美容師でもない人なら…もっと耐性ないんじゃない…?
つまり…あまり見たいものじゃないんじゃない…?
こうして夕方過ぎに…あの男の家に行った。
「もう使わないから。謙吾くんにあげようと思って」
模型を全部であたしは7つ持っていて、全部こいつに渡した。…それらを…7つとも部屋の棚に飾らせた。なかなかにインパクトがあった。
…怖がればいいよ…
「あ…。そういえばもうすぐ…配信の19時だな」
「…ねぇ。今日はあたし、後ろで見守ってていい?」
「え。今日は早紀がいてくれるの?」
「うん。…ダメかな?」
「そんなことないよ。むしろ心強いし」
もちろん優しく見守るつもりなんてない。
そうはいっても こいつの部屋に居続けるなら…配信中は見守るって言ってたほうが、ある意味で彼女らしい言動ではある…から……
「今日もやっていきますよ。…あ、もう待機してくれてる人がいたんですね。とても嬉しいです」
そう言う男の姿を、後ろから眺めるあたし。優しい笑みを装って…。
……ふと思った。あたしはいつまで…こいつの彼女を演じてればいい…?
そりゃ…こいつが苦しみに苦しみを重ねた後で…だよね…
その思いを改めて確認した。
…やがて配信は終わる。
「謙吾くん頑張ってるし、今日はあたしが夕飯作ってあげるね」
「え… いいの?」
「ん。任せて?」
あたしは持ってきていたエプロンを身につけて、キッチンに立って…料理を始める。
元々あたしは今日…料理をするつもりでいた。
そのうち夕飯はできて、こいつは…食していく。
「う…うまい……。とてもおいしくて……」
「ふふふ」
おいしい料理でこいつから好感持たれたのなら、彼女としてより信じてもらえるんだろうし…こいつを今後も油断させられるから……
「謙吾くん、髪ちょっと伸びてるね?」
「え、そう?」
帰り際に。いっそのこと今日は、信用を得る方向で行こうと開き直った…
「せっかくだし、今から切ってあげる…」
「今から…?」
「うん。さ、行こ?」
「え…どこへ??」
「あたしの…職場」
自分が以前カミングアウトした職業が本当であることを示すために、職場である美容院に連れていくことにしたのだった。
本当に美容師だと確信できたら…あたしの言葉にもより信憑性は増すから。それはつまり、「あたしが彼女」って言葉にも信憑性が出る…よね…?
そうして……やがてたどり着いて、建物の裏口から入る。
「おぉ、白谷さんじゃないか」
「あ、店長。夜遅くまでお疲れ様です」
事務仕事をしていた。
「ん。…久々に顔を見れた感じするよ。休暇は楽しんでるかい?」
「はい」
あたしは坂島謙吾に専念するために、つい数日前に有給休暇を取ったばかりだった。
「…あの、すみません。前触れもなく、いきなり有給を取ってしまって…」
「いや、いいんだよ。白谷さんはよく働いてくれてるし。それくらい全然OK」
こうして店長のご厚意で、あたしが連れてきた男性…つまり坂島謙吾の相手をしてもいいってことになって。この男を美容院の中へと案内した。
やがて店長も事務を終え、あたしに戸締まりを任せて去っていった。
「じゃあ…まずは髪を洗おっか?」
水しぶきが飛ばないよう男の顔に…タオルをかける。
…好都合だった。あたしの表情が見えないわけで……
「かゆいところは…ありますか?」
丁寧な声色とは裏腹に…おそらくこのときのあたしは、とても強烈な目をしていたんじゃないかって思う…
当たり前だよね…?
好き好んでストーカー野郎を気持ちよくさせるようなことすると思う…??
……それから。洗髪が終わって、顔にかかっていたタオルを取る……
あたしは再び彼女のような笑顔を作った。
…ドライヤーをかけた後、指でこいつの頭を揉みほぐして……
…ついに髪を切ることに。
その最中のことだった。
手が止まる。
…気づいた。この男は…目を閉じ、背中を向け、完全に無防備な状態で………
………ハサミを首に突き立てたら、こいつ絶命するんじゃない?
「早紀…?」
その一言で 我に返った。
しまった…
ただならぬ様子を、こいつは感じたのかもしれない。
まだ殺すわけにはいかないって、分かってたはずなんだけどね……。でも仕方ないよね?
「…あ、ごめん。ボーっとしてて。彼氏の髪を切ってるんだって思うと、感動しちゃってさ…」
とりあえず取り繕った。
…そうして、しばらくして。
「ありがとう…早紀…」
「ん。喜んでくれてあたしも嬉しい…」
無事、散髪が終わり、あたしはホッとしたのだった。なんとかこいつに悟られずに済んだ……
…そして美容院の戸締まりを終えて、あたしは家に帰ってきた。
すでに時刻は深夜だった。
でも……あたしにはまだやることがあった……
あたしは坂島謙吾の家の前に来た。
合鍵を使って侵入した。
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