第20話 フェイク
「彼は、記憶喪失になってしまったみたいです…」
予想外のことが起こった。
医者から記憶喪失の話を聞いて――
予定が、変わった。
「記憶が無い、ってことは…」
こいつは今、まっさらな状態で。つまり、もし……
「記憶を失う前のあなたはこんな人間でした」「こんなことをしていました」と言えば、それを信じるのでは? 自分の思うように…この男を誘導できるのでは?と思った。
それなら。当初あたしが考えていた肉体的苦痛だけでなく……
「Vtuberをしながらストーカーにあうという状況……」
精神的な苦しみも加えた上で。殺そうと思った。
お姉ちゃんが受けた苦痛……それを加害者であるこいつに……
状況的にも味わってもらう……
再現……
けれど、簡単な話じゃない。
いくら記憶喪失といっても、他人が…「あなたはVtuberに実は興味がありました」「今からやってください」と言ったところで、すぐには信じられないよね……?
なら。そういう言葉を信じさせるには。他人ではなく近しい関係の人間でないと…説得力を持たせられないように思った…
例えば…彼女とか……
彼女の言うことだったら、こいつも信じるよね…?
「………彼女?」
自分で言ってて凄まじく激しい頭痛がした…!! こんなストーカー野郎の彼女になるなんて…
たとえ偽の彼女だったとしても、演技でも、表向きでも……
そんなこと……
でも。Vtuberをさせるよう誘導するためにも……背に腹は替えられない。そのためにも“彼女”という関係は、あたしには都合が良かった……
「あたしは…坂島謙吾の彼女…」
彼女の演技ができるように自分に言い聞かせ……これから自分がすることを考えた。
お姉ちゃんと同等…の、というより…それ以上の恐怖を抱かせる……彼女という関係を利用して………
一旦家に帰り、見舞い用と称してリンゴや紙皿を持っていくことにした。ナイフを持っていても違和感がないように……。
たとえ今すぐ殺さないとしても。いつでも殺せる準備はしておきたかったからね…。
…そういうわけで。こいつの…病室の前まで来る。
「あたしは…彼女…」
……深呼吸をしてから。中へと入った。
「やっほー。元気?」
「キ、キミは……?」
「あ…そっか。記憶を失ってるんだよね? 忘れられたのは悲しいけど…」
いかにもあたしは。彼氏を元気づけようとするあまり、“いつも”と同じような感じで話しかけようとした彼女を演出する。
「えっと…」
坂島謙吾は動揺したような表情を見せる。
そりゃそうだよね。見知らぬ女性がいきなり親しげに来たらさ。
というか、記憶を失ってなくても……あたしは見知らぬ女性なわけだけど…。
「…あたしはね。あなたの…彼女なの」
「彼女…」
「あたしの名前だけど、
「サキ…」
「それで、あなたの名前は…
「ケンゴ…」
そうやってあたしは、丁寧にこいつに話しかけていく……
そのとき、「う…」と男は言い、頭を押さえた。
まさか。下手に名前を教えたから、それがきっかけで記憶が戻りそうになってる…??
「大丈夫…?! もしかしてだけど、何か思い出そうとしたの?」
「あぁ…」
「…ダメだよ? 今は、安静にしとかないと」
…まだ…思い出さなくていいよ…? こいつには精神的な苦しみも…これから受けてもらわないといけないんだから……
「…安静って、僕に何かあったのか?」
「…あたしとデート中にね。ころんで…頭を打ったの」
「そ、そうだったのか」
「うん。幸い、骨に異常はなかったんだけど、まさか記憶を失うなんてね」
そのときの状況をふいに思い出した。
こいつを気絶させたんだよね…
お姉ちゃんを殺そうとしてたから…それを止めようとした。
殺そうとしてたんだよね…怖い思いをさせた上で…さらに……
よくも…
ナイフを取り出し…坂島謙吾を見下ろした。
それを受けて、こいつは目を丸くしていた。
……いけない。とっさに取り出したけど、今はまだ…こいつを殺すわけにはいかない…。
「あ…ゴメン。出す順番を、間違えたかも」
そうしてあたしは、お皿やリンゴも出していく。あくまで、リンゴをむくためのナイフだったと示すために…。
「ホント、ゴメン。記憶喪失になったのがショックで、ボーっとしちゃってた」
「あ、いや…気にしてないから大丈夫」
なんとかごまかせたようで。
よかった、と思った、その数秒後のことだった。
「キミは本当に彼女なのか?」
……
…へぇ。想定してなかったわけじゃないけど、予想よりも早い指摘だった。さっき、あたしが殺気を放ったから…? だとしたら、何でもない風に取り繕わないとね…
「…急にどうしたの?」
「だってキミは、僕のタイプの女性からは…明らかにかけ離れている」
あぁ……見た目や雰囲気でってこと?
「……どういうふうに、かけ離れてるの?」
「どうも何も、見た目的に…体を売ってそうに見え――」
直後、納得した。
いや、体を売ってそうって表現はもちろんアレだけど。…言いたいことは伝わったっていうか。
確かにあたしとお姉ちゃんは…全くタイプが違う人間。
お姉ちゃんに好意を寄せていたであろうこの男が、タイプが全然違うあたしのことを…本当に彼女なのか疑うのも当然のように思った。
「ご、ごめん!! 今のは、ち、違――」
男がそう否定しようとしたときには。「ふ…ふふ……」と、あたしはおかしくなって笑っていた。
だってこの男は、体を売ってそうというトンデモナイ表現を使うくらいに…あたしがタイプの女性ではないと言ったようなもので。
そんな男の彼女を……あたしは名乗ってるっていう。
「…なんていうかさ。ひどすぎて、逆に笑っちゃった」
「あ、そういう…」
けど。だからといって、ここで正直に「はい…あたしはあなたの彼女ではありません」と言うわけにはいかない。
「…えっとね。謙吾くんの好みの女性じゃないってのは、分かったよ。でも、それでもあたしは…謙吾くんの彼女なんだよ」
彼女のような微笑みを…男に向けた。彼女だって信じてもらうために…ね…
その後あたしは、何かしら恋人のような会話を続けることで…こいつの不安を少しでも解消させ、警戒心を解こうと思った。油断させるために…
そうして年齢を知らせたり、下の名前で呼び合うことも確認したりした。
もちろんその間、従順な彼女を演出した……
そして翌日、こいつの家に行き――
「じゃあ、さっそく Vtuber(ブイチューバー)やってみようよ!!」
ついにあたしはそう告げた。
けど、どうにも本人はVtuberをやることに…納得してない感じだったから。記憶を捏造して言ってやった。
「だって謙吾くん… Vtuber、凄くやりたがってたし…」
「…僕が…やりたがってた…?」
「うん。それで、生計立てていくんだ!って」
「…ちょっと待ってくれ。僕が言ってたの?」
「そだよ。記憶を失う前の謙吾くんは…確かに」
“彼女”の言葉なだけに、信じてくれた様子だった…。
その勢いで…あたしはこうも告げる…
「そうそう。個人情報は、出しまくったほうがいいよ」
…特定されていく恐怖を…
味わえばいいと思うよ?
…味わえばいいと思うよ?
「…リスナーからの質問には何でも答えて。そっちのが印象いいからさ」
個人情報を聞いてくる質問にも絶対答えて…
後はモデリングを済ませ、Vtuberの操作をこの男に教えていく…
お姉ちゃんの手伝いを以前したこともあって、そのへんは…なんとなくならあたしも分かってたから。
「……」
そうして、あたしが説明したことをもとに、この男が自らいろいろいじってる最中だった。
隙だらけだった。あたしは坂島謙吾のスマホを操作し、電話帳に自分の連絡先を追加した。彼女なのに無かったら…不自然だからね…
そして…日は暮れる。
「ホントは、もっと一緒にいたかったけど。…用事があるから…今から、帰らなきゃいけなくて」
「初配信、頑張ってね♪」
「…じゃ、またね」
それらの言葉を述べて、あたしはこいつの家から立ち去った。なぜなら、実際に用事があったから。
あたしは急いで走って……急いで…急いで……
やがて向こう側にあるアパート4階へと着く。
すぐに…用意していた黒コートを羽織り……スマホであの男のチャンネルにアクセスする。
そして初配信が始まったあたりで、適当にNo Nameという名前で書き込みをした。
『窓からはどういう光景が見えてる?』
あたしは双眼鏡で…坂島謙吾がいる504号室の部屋の窓を覗く。
スマホからはあの男の声が……
「窓から見える光景……ですか。ええっとですね。わりと遠くまで見えますね。商業施設やマンションとか…あぁ、左側には川が流れてますね。少し遠くには…4階立てのアパートも――」
そこまで聞いたあたりで、あの男と目が合う。
男は硬直したような表情をしたかと思えば、すぐにカーテンを閉めた。
ちゃーんとあたしの言うこと聞いてくれたんだね…
「リスナーからの質問には何でも答えて」の通り。
その流れで『窓からはどういう光景が見えてる?』って言われたら、窓を見るに決まってるよね…
目を合わせることにも成功した。向こうは…こっちをどう感じたんだろうね…
あたしはしゃがむ。
今日のあたしの出番はこれで終わり。
…もしかしたらストーカーされてるかもしれないという漠然とした恐怖をあげようと思った。
じわじわと精神がむしばんでいったらいいよ…?
…翌日。あたしはこいつの玄関の前に立っていた。
「昼過ぎだし…さすがにこいつも起きてるよね…」
だからこの時間を選んだ。呼び鈴の音を聞かせるために…
あたしは呼び鈴を鳴らした瞬間、すぐに逃げた。ドアを開けられる前に即行で……
…いわゆるピンポンダッシュってやつで。これ自体はたいした行動じゃない。でも、こういう一つ一つの積み重ねが…真綿のようにあの男の首を絞めていくことを願った…
…そして数時間後の夜。再びあたしは、向かい側のアパートの4階廊下にいた。けれど…
「カーテンが開く気配がない…」
あたしが配信の19時前に来たときには、すでに閉められていた。
…そっかあ。これじゃ、双眼鏡で覗いて怖がらせることはできない。
…何で閉めてるんだろうね? 不気味な何かを見たくないから?
だとしたら意味はあった。確実にこいつの精神を削ってるってことだから…
ともかく、これ以上ここにいてもしょうがない…あたしは立ち去ったのだった…
……翌朝。あたしは合鍵を使って、坂島謙吾の部屋に侵入し……ベッドのほうへと近寄った。
あたしは静かに……この男の体にまたがる。
「ここで殺せたら楽なんだけどね…?」
心臓にナイフを突き立てて終わり。
それで何もかも終わり。
でも…この男に精神的な苦しみも含めて味わってもらうためには…まだ殺すわけにはいかないんだよねぇ…。その上で死んでもらうって決めたんだから…そのために彼女を演じるって決めたんだから…
「……」
またがって上からまじまじと見つめてたとき、こいつが純粋無垢な顔をしてることに気づいた。
もしこいつが記憶がまっさらな状態で、ストーカーや殺人未遂といったこともしでかしてない状態で…あたしと出会っていたら。もしかしたら…普通に接することができていたのかな。
ま…考えても意味のない仮定だけど。
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