第7話 2人っ切り


「ふふふ」




 …やがて食べ終えた僕は、改めて礼を述べ、早紀は玄関へと向かい靴をはく。


「もう夜も遅いし…送ってくよ」

「ううん。それは大丈夫だけど…」


 提案を断ったかと思うと、早紀は、僕の頭部を見つめてきた。


「謙吾くん、髪ちょっと伸びてるね?」

「え、そう?」


 そういえば、近頃おざなりにしてたかもしれない。


「せっかくだし、今から切ってあげる…」

「今から…?」

「うん。さ、行こ?」

「え…どこへ??」

「あたしの…職場」


 こうして僕は外出することになり、早紀に連れられ…たどり着く。




「あたしの家でもよかったけど。髪を切るのに一番適した場所はここだからね」

「あの……。美容院ってこの時間だと、もう閉まってるんじゃ?」


 時刻は22時を過ぎていた…。


「大丈夫だよ。心配しなくても…大丈夫だから」


 僕たちは裏口へと向かい、そこから中へと入る。「もちろん、タダでしてあげる」という早紀の言葉とともに。



「じゃあ、白谷さん。戸締まりとか、後のことは任せるよ」

「はい。店長」


 事務仕事をしていたらしい店長はそう言い残して、お店を去っていった。戸締まりを任せるあたり、よほどお店は早紀を信頼してるのだと伝わる。オシャレな見た目に反し、早紀は真面目な店員なのかもしれない。


「これで…二人っきりだね?」

「あ…あぁ…」




 …二人っきり。その言葉を聞いて、僕は緊張した。


 この緊張とは、恋人と二人っきりになれてドキドキするっていう、そんなロマンチックな感情から発したものじゃなかった。


 …何か…不安なものを覚えた。原因は不明で。



「じゃあ…まずは髪を洗おっか?」


 僕は仰向けに倒れた状態で頭を洗面台のほうへ向け、顔にタオルをかけられる。


 別に、不自然なことではない。水しぶきが飛ばないように顔にタオルをかけるというのは、美容院では普通のこと。それくらいは記憶喪失の僕でもなんとなく分かる感覚だった。


 …ただ、そんな格好ゆえに。僕はこのとき…早紀がどんな表情をしてるのかは…全く分からなかった…。


「かゆいところは…ありますか?」


 優しくて丁寧な声が…聞こえてくる。…シャンプーで頭部をクシュクシュされながらの出来事。僕は早紀の言葉に応答した。


「…いや…特に。…気持ちよくていい」

「そう? だったら嬉しいな…」


 ……上手だと思った。普段のお客さんへの洗髪や、例の頭部の模型への練習で、すっかり慣れているのかもしれない。何度も通いたくなる人はいそうだ…。



 …それから。洗髪が終わって、椅子に座ってドライヤーをかけられ……。それが済んだかと思うと、早紀の指が…そっと僕の頭部に触れる。


「…ほぐしてあげるからね…」


 頭を…揉んでもらった。絶妙な力加減で。


「早紀…心地いい…」

「…ふふっ。血行がよくなるからね」


 脳に酸素が、確かに行ってるような感覚がした。



 そして、ついに髪を切ってもらうことに。


 …器用な手つきで、早紀はハサミを扱う。


 チョキチョキ、チョキンと、その感触と音に…気持ちよささえ感じた。




 ところがふいに早紀の手は止まる。


「…ん?」


 僕は「どうしたんだ?」と思い、まぶたをよく開け、早紀を見ようとした。


 …ここは美容院な関係で、椅子の目の前には鏡があって。


 その鏡に映った早紀は、僕を静かに見下ろしている。



 憎悪で、見開いたような目。殺したくて殺したくてたまらないといったような感じを受ける。僕は無防備に背を向けて座っており、彼女は僕を殺そうと思えばいつでも殺せる状況にあった。


 ハサミを僕の首に突き立てたかと思うと、肉を包丁で裂くように一気に下へスライドし、頸動脈は切られた…


「あ゛あ゛ッ!!!!」


 声にもならない声とともに鮮血が宙を舞った。床や椅子、洗面台に次々と飛び散っていく。


 …ぼ、僕は何を想像してるんだ…?? 彼女が、恋人にそんなことするわけ……


「早紀…?」


 それでも僕は動揺を隠せず、早紀に呼びかけた。

だって、先ほどの殺気立った目は…何だったのかと気になったから…。


 僕の見間違いなら…それに越したことは…ないから。


「…あ、ごめん。ボーっとしてて。彼氏の髪を切ってるんだって思うと、感動しちゃってさ…」


 恥ずかしそうに舌をペロっと出す早紀が鏡に映った。…今のは、素直に可愛いと思った。



 ……まったく、僕ってやつは。…見ず知らずの他人に対してならともかく、彼女に対して切られる云々の被害妄想を抱くなんて、僕はどうかしてるな……。



 …そうして、しばらくして。


「謙吾くん。こんな感じで…どうかな?」


 散髪が終わったようで。僕は目の前の鏡を見て、自身の髪を改めて確かめてみる。


「あ、凄く…いい…」

「なら、よかった。髪をバッサリってよりは、イメチェンって感じにしたんだけどね」

「ちょうどいいよ。ありがとう…早紀…」


 見映えも以前と比べてよくなったし、すっきりして気持ちよかった。


「ん。喜んでくれてあたしも嬉しい…」


 鏡に映った幸せそうな表情をした早紀が…印象的で。


 もしかしたら世の中の…美容師の彼女を持つ男性は…こういう経験をしたことがあるんだろうか…。


 こうして家に帰って、僕はベッドで寝た。


 そして、早紀に髪を切ってもらった翌日。なぜか僕はこうつぶやいた。


「     」



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