第18話 どうして私が泣いてしまうの?

「どうだ。わかっただろう、ミレ。私は自分が強い感情を持った時、望むと望まざるに関わらず、無作為にその対象、そして時として、自分までも転移させてしまうことがある」

「……」


 美玲は言葉が告げなかった。

 確かにそれは凄惨な体験であり、恐ろしい事実だった。

 荒れ果てた庭にはいつの間にか、薄闇が忍び寄っている。


「そしてそれは多くの場合、唐突に起きるのだ。いつでも必ず最善手を打てるというわけでもない。むしろ予測がつかない分、より危険だ」

「でも自分の命を救い、悪い奴をやっつけてしまったではないですか」

「違う。本当に私に正しい能力があるなら、母上をもっと安全な場所にお送りできたはずだ」

「でも目覚めたら、いきなりお母さんにしかかれて(妙なことされて)たなんて、普通ないシチュエーションだから、仕方がないのでは?」

「……それに戦では、肝心な時に逃げ出してしまった」

「それも普通ですよ。誰だって斬られる! と思ったら、身を守りたいと思うのが普通です」

「しかし、指揮官自ら戦線離脱することになってしまったのだ」

「能力は無作為に発動するって、ご自分で言ったじゃないですか? 確かに犠牲はあったのだろうと思います。でも、それは戦で、みなさん兵士さんなんだし、それなりの覚悟はあったはずです。それにあの記録によると、戦い自体は勝ったのでしょう?」

「……だが」

「これが私の客観的な意見です」

 リュストレーと美玲なしばし睨み合った。

「なんで、いちいち私の内省を吹き飛ばすようなことを言うのだそなたは!」

「いや、なんでも反省すればいいってもんでもないでしょうが! 不可抗力ってもんがあるんです!」

「我が心の弱さゆえ、不幸が起きてしまうのだ!」

「あーそうですよね! で、後悔のあまり、こんなとこに引きこもって、弱い立場の者……私のことですけど! に、つまんないわがまま言って、憂さを晴らしてるんですよね!」

「なんだと! もっと言葉を真綿まわたに包まんか! この勤労娘!」

「そこはオブラートって言うんですよ! 勤労娘がお嫌いなら、もう一度、顔を見せなくいたしますわよ!」

「それは、だめだ! 私の手の届くところにいろ! それに勤労娘は悪口ではない!」

「めっちゃ悪口っぽく聞こえました!」

「……あの、お二人とも、そろそろ屋内に入られませんか? 陽が落ちてまいりました」

 少し離れたところからおずおずと声をかけてきたのは、言うまでもなくセバスティンである。彼は大変困ったような顔をして直立していた。

「……そういえば暗いし寒いですね。ここ庭だし。お腹減りましたし」

「う……うむ。しからば……中へ」

 汗をかきながら怒鳴りあっていた二人は、セバスティンの出現をこれ幸いと、暮れなずむ庭を後にしたのだった。


「そういえば、戦いの最前線はあなたが消えてしまってから、どうなったのですか?」

 リュストレーの執務室だ。暖炉が燃えている。

 美玲はまんまと、二度とこないと宣言していたこの部屋に誘導されてしまっていた。

「先はああ言いましたけど、いきなり指揮官が消えたら、さぞ大騒ぎになったことかと」

 美玲はトーメの入れてくれた熱いお茶、リュストレーは水を飲んでいる。

「そこでの戦はもう帰趨きすうが見えていたので、私がいなくとも勝利した。……だが、私が斬られそうになった時、庇おうとしてくれたくれた将官がいた。その者は大怪我を負ってしまったのだ。だから私はその者に、負い目がある」

「でも、その言い方だと、ご存命なのですね。よかった」

「そうだ。今ではこの国の発展に力を尽くしてくれている。だが、私が取った戦法で、緋熊の兵の恨みを買い、一つの村が滅ぼされてしまった……」

「だからね。繰り返すけれど、それはリュストレー様のせいではないでしょうに。逆恨みをした緋熊の悪党がやったこと……私が言うことでもないですが、一人の犠牲者もなしに終わるなんて、そんな都合のいい戦争はないと思います」

 美玲は飲み干したカップをどん! とテーブルの上に置いた。

「リュストレー様は少なくとも、自分は安全圏にいて兵隊さんに死んでこい! って命じる指揮官ではないじゃないですか」

「……そんなふうに言ってくれたのは、そなた……ミレが初めてだ」

 リュストレーは暗くなった銀色の瞳で美玲を見つめた。

「この八年間、みな私を腫物を触るように扱う」

「それは、あなたの態度にも責任があると思うんですけどね」

「だから言葉を、おっぶらとにくるめと!」

「オブラートです。でも、言いすぎました。すみません」

「……わかっている。私は昔から、少々変だったのだ。母上との一件があってから、危険人物たる自分は戦いで死んでもいいとさえ思っていたのだ。この能力が出現した王族は、どうせ短命だと知っていたからな。どうせ誰もが、腫物を触るように私を扱う。」

「……」

「なのに実際は、惨めに生にしがみついて空虚な人生を送っている」

「惨め……大いに結構ではないですか。人間、真っ当に生きていたら、多少は惨めな思いをしますよ……だれでも多少は……」

 美玲は小さく笑った。

 笑ってから、笑えなくなった。

 視界が急に狭くなる。


 多少だって? 私は、子供の頃ずっと惨めだった。

 ずっとずっと、一日中、毎日。

 殴られないように、お父さんと顔を合わさずためにはどうしたらいいか、そればっかり考えてた。心が弱くて、見栄っ張りで、逃げてばかりいたお父さん。

 お父さんを好きすぎたお母さんは、私のことは好きにならなかった。

 愛されたくて、愛されたくて、一人ではどうしようもできなくなって……やっぱお母さんもいなくなった。

 私……私こそ、誰にも愛されない、人の形をした空虚だ。

 一人になっても、誰かに罵られて、蔑まれて、その日を生きるためだけにしか生きてない。叶えたい夢はなく、努力は無駄だと思ってる。

 リュストレー様に偉そうに言える資格なんてない。

 

「あれ?」

 不意に目元に何かが触れる。リュストレーの指先だ。

「え? な、なんで?」

 美玲は自分が涙を流していることに気がついた。


   *****


もう笑えるくらい、皆様無反応で・・・

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