第10話 物語を始めよう!
「そなたのことを聞かせてほしい。ミレ」
リュストレーは美玲が食べ終わるのを待って尋ねた。
「私のことなんて、知ってどうするんです?」
満足した美玲は最後のお茶を飲み干した。緑茶よりも薄い緑で、抹茶のような香りの良い茶葉である。
「さぁ。ただ知りたい。異界のことにも興味がある。なんでもいいから聞かせてほしい」
「そうですか。もしかしたら、私の帰還に役立つかもしれないから話しますけど、私はそんなに世間が広くないから、大したものではないですよ」
「それでも」
リュストレーは促す。長い銀紗の髪の間から覗く瞳は真剣だ。
「わ〜わかりました。じゃあちょっと失礼して、洗面所を使いますね。食事の後なので
昨日使った浴室で歯を磨く。
歯の治療費は高いし痛いので、虫歯予防のため、美玲は歯の手入れは欠かさない。ついでに朝の生理現象もすませておく。
さっき整えたばかりだが、屋敷の主人に敬意を表し、無造作な一つ
「あれ?」
残り湯で洗おうと思っていた、昨日着ていた服が見当たらない。
トメさんが持って行ったかな? 後で洗おうと思ったけど、まぁいいや。
「お待たせしました」
「見栄えが変わっておらんではないか」
さっきと全く同じポーズのリュストレーが視線だけよこした。
「すみませんね。これでも歯を磨いて、髪を櫛けずったのですが」
「……なるほど。髪は綺麗な黒だな。南の方でもこんなに黒い髪の者は、なかなかいない。そなたの国は皆こうか?」
部屋が明るいので、豊かな美玲の髪に光が当たっている。
「まぁ基本そうです。染める人は多いですけど、私は苦手です。で、私の何が聞きたいです?」
「十九歳で仕事をしていると言っていたな? とりあえず仕事の内容」
「去年学校を卒業して、介護の仕事をしています。昨日言ったでしょ?」
「女なのに十八まで学校に通うのか!?」
リュストレーの質問は常にマイペースである。
「ウチの国では大体そうです。大学という、もっと上の学校に通う人も多いですけど、大抵は勉強しないで遊んでますね。だから私は働くことにしたんです。早く独立したかったんで」
「そうか。若き娘の身の上で健気なことだ……で、どんな仕事だ? まさか娼館とかではあるまいな?」
「介護の仕事って言いましたよね私!?」
美玲は景色ばんで言った。
「カイゴとは?」
「主に、一人暮らしだったり、身内がいても病気や身体の不自由などで、身辺自立が難しくなったりしたお年寄りや、障害があって介助を必要とする子どもを支援する仕事です」
「ふーん……世の中にはそんな仕事もあるのか」
「そりゃあ、お貴族様には関係ないことでしょうけども!」
「貴族には貴族の苦労がある」
「あー……まぁ、苦労のない社会生活などないってことは、わかります」
「親御は?」
「これも言いましたけど、
「……そうか。母とは……そんなものか」
リュストレーは口の中でもごもご呟いている。自分に関係ないので美玲は、聞き返さなかった。
「私の身の上なんて聞いて、どうするんですか?」
「うむ。今書いている小説の設定を、より写実的にしようと思ってな」
「小説! リュストレー様は小説をお書きになるんですか? 公爵様なのに?」
そういえば、書斎には資料らしき物体が乱雑に置いてあり、壁いっぱいに本棚が並べてあったなと美玲は思い当たった。
「ああ。元々文字を書くのは好きであったし、なんとか一人で身を立てる方法はないかと思ってな」
「へぇえ〜」
お貴族様で、元皇太子なのに、独立心の強い人なんだな。
「……それで、今までに出した本などあるのですか?」
「いや、いくつか設定を考えてみたんだが、今のところはまだ納得できる作品にはなっていない……だから斬新な題材を探しているのだ」
つまりオタクあるあるで、理屈やイメージばっかり先行して、具現化には至らないということね。
「ザンシン……で、小説のネタのために私が呼ばれたと?」
「違う! 私も言っただろう? 私は自分の作り出した世界観と登場人物に感激して、偶然そなたの名を叫んでしまっただけだ」
「ああそうでしたね。つまり、そのお話はまだ書けてない……下書き段階だということですね」
美玲は高校時代の数少ない友人を思い出した。
将来は漫画家になるのだと言っていたが、キャラデザや設定は豊かに湧くものの、肝心の話の結末や、作画にはなかなか至らない少年がいたのだ。
よくいる設定オタクである。設定には細部までこだわるが、いくらいい部品があっても組み立てないと車は走らない。
「まぁ、そういうことになる」
「小説かぁ……私も少しは本を読むんですが、その下書きちょっと見せていただけます? お嫌でなければ」
「ああ、もっと具体的に指摘をくれるとありがたい」
「文字がわからないかもですけど」
やっぱり明るい時に見ても、乱雑な部屋だなぁ。勿体無い。
美玲は昨日と同じくリュストレーの仕事部屋兼、居間だという書斎に通された。
美玲の部屋から近い。
しかし、廊下にも部屋にも、人の姿はどこにもなかった。部屋には茶器のセットすらない。飲みたい時に飲めるような水差しと、陶器のカップが置かれているだけだ。
全て彼の指示通りなのだろう。
確かに贅沢を好む人ではないようね。
それに、どろんとした大きなガウンを着てるからわかりにくいけど、この人、体格もなんか立派じゃない? とても道楽貴族とは思えないんだけど。
美玲は机上にガサガサと書き付けを広げる、リュストレーの背中を見ながら思った。
美玲は人の体のことをある程度学んだし、仕事でたくさんの人と関わるから、筋肉や骨格のことをある程度知っている。老人達は一様に衰えているが、それでも個人差があり、若い頃鍛えていた人の骨は、やはり太くて頑丈だ。
リュストレーは背も高く、痩せていても肩幅は広い。
服装や髪型を整えたら、さぞかし映えるだろうと思う。
その男が──。
「これだ。見てくれ」
「……」
美玲は驚いていた。
知らない文字なのに、いつの間にか読めるようになっているのだ。
考えてみれば、異界に来たというのに、普通に会話までしている。いや、音や文字そのものは見知らぬものなのだが、意味はわかるのだ。
これこそ、イージーモードのラノベやアニメと同じだった。
多分、異空間を通り抜けている間に、なにかが起きたのだ。時空転移の変換機能みたいな現象が。
「なーるほど。異界から来た働く女の子が、この世界では聖女となり、悪役令嬢を押し退けて心優しき王子と結ばれ、世界を救う話ですね……って、なんか既視感ありまくりですけど」
「既視感だと! ものすごい斬新な設定だとは思わんのか!?」
リュストレーは本気で驚いている。
「……いえ、私の世界ですと、テンプレートと呼ばれるほどよくある設定ですが、こっちじゃ斬新なのかもです。だとすると、受けるかもしれないですね……で、この女の子が私……じゃなくてミレなんですね?」
「そうだ。だが、私は異界のことを想像しかできないから、その辺りの現実味を出そうと……」
「なるほど。でも、リュストレー様、このお話が初めての小説ではないんでしたよね」
「そうだが、なぜ?」
「だってきっと、今まで書いたものが納得できなかったから、全く違うお話を考えたんでしょう? ちょっと、そっちを見せてほしいです」
「しかし、どう考えてもつまらないものだ。自分少し知った環境で英雄ものを描こうとしたんだが、余りにつまらないのでやめてしまった。しかも途中までで」
「いいですよ。そっちの方があなたの素がわかりそうです」
「私の素? そなたはそれを知りたいと申すか?」
「ええ」
「よ、よかろう……少し待て」
なぜか少女のように恥じらい、執務机の引き出しを漁っていたかと思うと、リュストレーはやや古びた感じの原稿の束を手渡した。
「ありがとうございます」
昔から速読には自信がある。美玲はざっと読み流して、顔を上げた。
「リュストレー様」
「な、なんだ。どうしたミレ。その顔つき、妙に怖いぞ」
美男がいささか怯んでいる。
「あなた、軍人だったんですか……」
*****
場面を想像しやすいように、と思って描いています。
どんなイメージが広がるでしょうか?
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