第8話 魔公爵!?

「当屋敷の当主は、リュストレー・モリス・シルバーフォレスト公爵閣下でございます」

「ええ、それは知ってます。ご本人からそう聞かされたし」

「ですが……その実は、あの方は、元はこの国の皇太子殿下でもあるのです」

「は? こーたいしでんか、って、皇太子?」

 美玲は思わず頓狂とんきょうな声をあげた。

 家と介護の職場を往復するだけの普段の生活では、あまりにも非日常的な単語だが、日本にだって天皇家はあり、皇太子殿下は存在する。

 それに、物語の世界では割としょっちゅうお目にかかるから、そういう意味ではよく知る言葉ではある。

 けれど、ついさっきまで話をしていた残念な美男子が、そんな高貴なお方だったとは!


 公爵様だというから、王家に近い存在ではあるとは理解していたけれど。

 まさか、本当の王子様だったとはね!


「皇太子殿下ってことは、要するに次の国王様ってことですよね!? もしかしなくても王位第一継承者なんじゃ……」

「はい、本来ならその通りです。けれどリュストレー様は、自ら王位を継承することを放棄され、御父君である国王陛下がそれを一旦お認めになられました。ですから今の皇太子殿下はリュストレー様の五つ下の弟君、アリオン殿下でございます」

「なんでまた……あ、いや、わかるかもしれないです。失礼ですけど、あの面倒臭いご気性のせい、ですか?」

「いえ、それは……さすがにちょっと違います、確かに風変わりなお方でございますが」

 セバスティンは苦笑した。

「あのように意固地いこじになられたのは、まぁ別の話で……いやえっと、やっぱり元から不思議なお方で……昔から色々呼び出したり、転移させたり……」

 明晰なはずの執事の言葉が、どうもあやふやだ。

 確かに変人で、複雑で面倒臭い人ではあるのだろう、あの超絶美形公爵様は……と美玲は思った。

 つまり──。

「はぁ。端的にいうと、廃太子されたのは私をこちらに呼び寄せてしまったという『力』が理由ですか?」

「ええ、まぁ……はい、そうです。リュストレー様がご自身でもおっしゃられていたように、あの方に悪気はなくとも、ものや人を瞬間的に移動させてしまうという、不思議なお力のせいで……ただ、幼い頃までは小さなものばかりで、大したことはなかったのですが、御歳おんとし十歳くらいの頃……母君を、危険な目に遭わせてしまったことがあって」

「ええ!? お母さんを危険な目に、ですか?」


 皇太子の母上ということは、国王の妻ということで、つまりは皇后陛下ということだ。


「自分のお母さんを、どこかに移動させてしまった……のですか?」

「そのようなことかと。かなり危険なことになったそうですが、私にはそれ以上は言えませんし、そもそも私などには詳しく知らされておりません。最大の理由は北の隣国との国境紛争で、旦那……リュストレー様が自分のせいで民の被害を出したと思い込まれ、その自責の念で、ご自分で王家を離れられたのです」

「……戦争があったのですか!」

「はい。八年くらい前のことですが」

 美玲はぞっと身を震わせた。

 つまり、あの美男公爵、リュストレーは、何かの弾みで人をどこかに転送してしまう。そして何かきっかけなのかわからない。制御もできない。

 自分の身内に、そして戦争の局面で、もしその能力が発動してしまったら……。


 確かに、そんな訳のわからない能力がある者を施政者、それも国の最高権力者にすることができないわ。

 まともに操作できるなら、人事や国事を自分の有利に進めることもできるかもだけど、コントロール不能なら、あまりにも危険すぎる。何を呼び寄せるか、移動させるかわからないのだもの。この私がいい証拠だ。

 あの、尊大でコミュ障気味の閣下の自己判断は正しいわ。

 あんな残念な美男子だけど、そこんところは信用できるってことかしら?


「セバスティンさん、私はこの国の人間じゃないんです。異世界、こちらの言葉では異界というのかな? つまり別の次元から召喚されたんです。いきなり名前を呼ぶ声が聞こえて。私思わず返事をしてしまって」

「はい。そういうこともあるでしょう」

「あんまり驚いてないのね。やっぱり経験ずみなんですか?」

「いえさすがに、この世界でないところからの転……召喚は初めてですが、いずれそういうこともあるのか……とは想定しておりました。旦那様の保管されている、いにしえの文献に異界のことが書いてある書物もございましたし、お嬢様の服装やご様子から見ても、こちらの方ではないとわかります。あなたが嘘をついていないことも、この爺には」

「公爵様は、私を返す算段を探すと言ってくれたのですが」

「ええ、根は真面目な方ですから。責任を感じられたのでしょう。お嬢様はそれまでここでお過ごしください」

「……どうも、それしかないようですね。あの人と暮らすのは大変みたいだけど」

「ミレ様、主様はああ見えて、とても繊細なお方なのです」

「……」

「旦那様のことを、恐れと憧憬を込めて魔公爵などという輩もおりますが、実際のご本人は非常に純粋な方です」

「魔公爵、ですか?」

 確かに不吉な二つ名である。

 しかし、さっきまで一緒に過ごしていた男からは、傲慢や子供っぽさはあっても、禍々まがまがしい様子は感じられなかった。

「はい。旦那様は能力の発動を恐れて、例外を除いて誰にも会おうとはなさいませんし、ここ数年は屋敷からお出ましになることもありません」

「ご家族にも会われないの?」

「ええ。活動されるのは主に夜で、昼は眠って過ごされることが多いのです」

「昼夜逆転の生活を!? ところで今何時ですか?」

「こちらの時間で真夜中を回ったところです」

「仕事場では午後二時過ぎだったのに……」

「旦那様は、普段ならお仕事の真っ最中で、誰ともお会いにならない時間帯です」


 じゃあ、私とは割と話せていた方なのかな?

 まぁ、自分の能力で召喚しちゃったんだから、責任を感じて……というか、興味を持ったのかもしれないけど……。


「ともかく、お疲れでしょうから今夜はここでお休みを。入浴は隣の部屋で。すでに用意ができていることでしょう」

「ありがとうございます」

 メイドが現れ、入浴の用意ができたと告げる。よく見たら普段美玲が入浴介助している婦人と、さほど変わらない年齢のようだ。しかしこの女性は背筋をピンと伸ばし、理知的な瞳を美玲に向けている。

「浴室の使い方は分かりますか?」

「ええ。日本人はお風呂大好きなので。大体わかります。こっちが体を浸す浴槽、そっちが洗い流し用のお湯ですよね」

「左様でございます。お一人で入られるのですか?」

「もちろん」

 メイドが手伝うというのを全力で断り、美玲は自分の部屋のユニットバスの五倍くらいはある、広い浴室に身を沈めた。

 ややぬるめの湯温が、かえって心地よく緊張をほぐしてくれる。

 シャンプーなどはないが、柔らかい石鹸の様なものが置いてあり、それで全身を洗うのだと老メイドが教えてくれた通りに、その日の疲れを落とした。


 植物性なのかな? すごくいい匂いがする。


 皮膚は丈夫な方だが、多忙と金銭的な理由から特に手入れをしていない美玲の肌が、しっとり吸い付くように洗い上がる。

 湯から出ると、この世界の下着と思わしき、レースのついたトランクスみたいな下着と、清潔な寝巻きが置いてあった。これもすごく着心地が良い。

 美玲は明日残り湯で自分の服を洗濯しようと、貧乏くさい決心をしながら、ありがたく元の部屋に戻った。

 ご丁寧に、飲み物まで用意されている。


 とりあえず、命の危険はないということでよしとするか。

 明日のことは明日考えよう。


 なんだかんだで疲れていたのか、美玲はやたらと寝心地の良いベッドで、異世界最初の眠りについたのだった。



  *****



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