第7話 あれ? だけどなんだか……
「旦那さま、セバスティン参りました。よろしゅうございますか?」
小さなノックの後、扉の外から遠慮がちな声がする。
リュストレーが呼び鈴で呼んだのだろう。
ちなみに呼び鈴は滅多に鳴らされないらしく、引っ張ると上から埃が落ちてきた。
「入れ」
すぐに扉が開き、白い髭を生やした老執事が姿を見せた。
名前ばかりか、姿形までテンプレートの執事さんだわ。
やっぱり私、備品倉庫の天井で頭を打って、脳内異世界転生の夢を見ているだけなのかも。
だったらどうせなら、こんなオタク公爵じゃなくて、勇者とかエルフのいる世界の夢を見せて欲しかった感じ!(葬送のなんちゃらとか!)
などと勝手なことを思って執事を見ていると、どうやら向こうも美玲の姿を見て驚いているようだった。
──しかも非常に。
「だ、旦那さま! こちらの女性は!? まさか侵入者?」
「ああ、違う違う。この娘はミレという。どうやら私が、呼び出したものらしい──その、久方ぶりに力が発動したようで……」
「力? あ、あの力でございますか!?」
熟練の仕事人なのだろう老執事は、驚愕で長い眉の下の目を見開いた。
「ああ、どうもそのようだ。私も驚いている。外国でも、他の大陸でもない、ニホンという異界から来たらしい」
「あー、そうです。ワタクシ日本から参りました。好きでやって来たわけではないですが」
「異界……ニホン?」
正確には日本だけが異界ではないが、めんどくさいので美玲は黙っておく。ただ、上品な執事が動揺を収めようと努力をしているのは、さすがだと思った。
「申し訳ございませんが、聞いたことがございません」
「私もだ。そもそも私のつまらぬ力が、異界と繋がったことも初めてだ」
「さ……さようでございましたか。わかりました」
「ちょっと! 執事さん! そんなにあっさり納得しないでください! 私、仕事中に急にこんなところに来てしまって、困ってるんですけど!」
「……ということだ。セバスティン、夜中に悪いが、ミレの部屋を用意してもらえるか? 私の部屋の近くでいい」
「かしこまりました」
憐れむように微笑まれ、美玲はひたすら困った。
「かしこまらないでくださいよ〜。執事さん……セバスティンさん、どうしてもっと動じてくれないんですか? 私、こちらの世界の人間じゃないんですよ! こんなこと普通じゃないでしょう?」
「申し訳ございません。私も少々混乱はしておりますが、こちらにも色々事情がありまして……ミレ様、お疲れでございましょうから、とりあえずお部屋に参りましょう。では、リュストレー様、一旦失礼いたします」
セバスティンが美玲をやんわりと部屋から押し出し、背後で扉が閉められる。閉まる直前に振り向くと、こちらを見ている公爵と目があった。
暗い室内でもほんのり輝く銀髪、痩せていて古ぼけたガウンを着ていても、溢れる高貴さ。
やっぱりこの人、普通じゃない。
そして扉は閉ざされた。
「……驚かれたでございましょう? ミレ様」
廊下を進みながらセバスティンは、同情を込めた目で美玲に話しかけた。
彼が持つランプの光が暗い廊下を照らし出す。両側にはいくつもの扉が並んでいいた。
「このお部屋をお使いください。古いですが婦人用客室です。調度や寝具も整っております。よかったら入浴の用意もできますよ。足りないものがございましたら、おっしゃってください」
そう言って案内された部屋は、ラノベやアニメに出てくる、ごてごてした貴婦人部屋……というには若干質素だが、十分立派だった。華やかな部屋に案内されても落ち着かないので、美玲は近くの座り心地の良さそうな椅子にほっとへたり込む。
「今メイドがお茶をお持ちいたします」
そう言って、セバスティンは壁にいくつかぶら下がっている、呼び鈴を鳴らした。大きな音ではないが、鳴らし方にリズムがあって、それで伝えているのだろうと、美玲は推察した。
案の定すぐに熱い茶が運ばれくる。メイドというにも憚られる、セバスティンとさほど歳も変わらない初老の女性だった。
彼女は美玲を見て少し驚いたようだが、何も言わずに茶器を並べる。軽食まである。それを見て美玲は急に空腹を感じた。
「ありがとう。お腹が空いていたんです。いただいていいですか?」
「どうぞどうぞ。今お茶を入れますのでごゆっくり」
セバスティンは、メイドに二言三言指示して、出て行かせると、慣れた手つきで茶を入れた。
そして、美玲が野菜やチーズに似た乳製品を挟んだパンを食べるのを、少し離れて見守っている。
「いかがでしょうか? お口に合いますか?」
「おいしいです。パンは硬いけど、薄く切ってあるので食べやすいです。材料は麦ですか?」
「はい。年中採れるので四季麦といいまして、我が国の主食です。パンも焼き方によってはもっと柔らかいのですが、リュストレー様が焼きしめをご所望なので、今はそれしかなく申し訳ございません」
美玲はお茶をそっと口に含んだ。
お茶など、ペットボトルの緑茶や紅茶しか知らないが、このお茶が非常に上質であることは理解できる。香りがとてもいいし、砂糖も入っていないのに、ほんのり甘くて芳醇だ。
硬いパンで乾いた口の中に染み渡る。
「お茶、美味しいです」
「それはよかったです。久しぶりに使ったのですが、茶葉の香りが損なわれていなくて」
「……」
そういえばあの人は、決まったものしか食べないと言ってたっけ……。
「リュストレー様は使用人さんたちにも、ご自分の習慣を押しつけるのですか?」
「いいえ。我々は進んであの方に従っているのです」
「そうなんですか……」
美玲は最後のサンドイッチ──美玲の料理の語彙では、そう呼ぶしかない美味しい食べ物──を口に放り込んだ。挟んであるチーズっぽい乳製品は絶品だった。
腹の中が満ちると、不安や緊張はやや薄れていく。さっき聞こえたお風呂という言葉も魅力的だ。
「えっと、このお屋敷に他に女の人はいないのですか?」
「おります。屋敷の管理には婦人の手も必要なので。ですが、若い者はおりません。また、私と先ほどのメイド以外は、主様の視界には入らないように躾けられております」
「そういえば、女性は嫌いだとおっしゃってましたっけ」
「まぁそれにも理由があるのですけれど」
「……」
その理由は美玲にもなんとなくわかった。
あんなイケメン、女性が放っておかなかっただろうし、きっと、女性関係のトラブルも絶えなかったんじゃ。
「今風呂の用意をさせていますが、お入りになりますか? メイドがお手伝いいたします。ご安心を」
セバスティンが、美玲の顔色を伺いながら申し出る。
「あ、はい。お風呂、いただきます」
今日の午前中は、気難しい老婦人の入浴介護だった。
二人がかりの仕事で、一人はベテランのヘルパーだったので慣れていたが、若い美玲は髪を引っ張られたり、顔に石鹸水をかけられたりして、大変だったのだ。
「はい。できたら入りたいです。すっかり疲れてしまったので」
「かしこまりました。では、少々お待ちくださいませ」
「あ、あの! セバスティンさん、ちょっと待ってください」
美玲は出て行こうとする執事を呼び止める。
「お風呂に入る前に、もう少しだけお尋ねさせてください。言える範囲で構いません。私がここにきた
ちょっと、少しと言いつつ、押さえつけていた疑問はもはや止めようがなく、畳み掛けるように言葉が飛び出す。
「……無理もありません、ミレ様。私が話せることはわずかですが、できる限りのことをお伝えいたします」
「お願いします。そしてどうかお座りください。私は庶民ですし、年上の人に立っておられると落ち着きませんので」
「……では失礼致します」
美玲の斜め向かいの椅子に腰を下ろすと、セバスティンは話し始めた。
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