39年前はコロコロコミックを読む小学生でした
※タイトルの印象に反して重い話です。
自分の年齢は時々言及しており、いまさら隠す必要もないので素直に書きますが、39年前は小学生でした。
コロコロコミックや週刊少年ジャンプをよく読んでおりました。
少女漫画はあまり好まなかったので、弟の少年漫画誌を借りて読んでおりました。
39年前、つまり1985年は、ちょうどビックリマンブームの直前くらいだったでしょうか。ファミコンも出てきていた頃でしたかね。
39年前の夏休みには大きな飛行機事故があって、テレビは連日その話ばかりでした。
直後に出たコロコロコミックの巻末に、編集部から保護者へ向けた追悼文が載っていました。
以前エッセイにも書きましたが、私は当時すでに大人向けの文章が読めていましたので、その内容も理解できました。
事故はお盆時期に重なったこともあり、帰省中の子供も多く亡くなったこと。
事故現場で、バラバラになったコロコロコミックが見つかったこと。
などが綴られていました。
今に至るまで、この「バラバラになったコロコロコミック」が、ひどく心に焼き付いています。
否応なしに繋がってしまったのかもしれません。
テレビの向こう、焼け焦げた山の中で命を落としたのは、自分と同じ本を読んでいた、自分と同じどこかの誰かなのだと。
追悼文全文の正確な内容までは覚えていませんが、今に至るまでの生の中で「印象に残った言葉」を挙げよと言われたなら、間違いなくこの言葉はそのうちのひとつです。
短い言葉の向こう、確かに存在した現実を、あのとき自分は小学生なりに受け止めた(あるいは受け止めきれなかった)のでしょうか。
今も、8月12日に関連報道を見かけると、どうしようもなく思い起こされます。
めちゃくちゃに壊れた機体の下で、バラバラになったコロコロコミックと、それを楽しみに読んでいた誰かの存在を。
直に目にしたわけでもないはずなのに。
そして、胸中から抜けない短い「言葉」の存在を認識するたび、己が卑しく浅ましくも思えるのです。
現実に根差さない空疎な「言葉」を、どう印象に残すか、どう巧く綴るか、そんなことばかり考えている自分が、ひどく虚しく感じます。
「言葉」とは、そういうものではないだろう、と。
なんで自分、文なんて書いてるんでしょうかね?
なんでそれで、あわよくば小銭を得ようとしてるんですかね?
答えは出そうにないし、出せるものでもないように思いますが。
今日は文を書く気持ちになれないので、早めに休もうと思います。
最後になりましたが、1985年8月12日、日本航空123便墜落事故により犠牲になった方々の冥福を、心よりお祈りいたします。
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