公募はポケモンバトル(個人の感想です)

 半公募戦士をやっていると、他人様の公募状況などもSNSで気にかかってくるのですが。

 見ていて気がついたことがあります。


「自分……選考落ちた時の落ち込み具合が他人様に比べて少ないな……?」


 公募やコンテストに落ちた時、人格否定、そこまでいかずとも書き手としての己の否定、に感じて激しく落ち込まれる方を、相当数見てきた気がします。

 自分、あんまりそういうへこみ方はしないです。

 そりゃまあ落胆はしますが、しばらくしたら「まあ勝負ごとだし勝ち負けあって当たり前だし……とりあえず原因究明だ、あと出し直せる先どっかあるかな」みたいに次を考え始めます。

 どうも自分の公募観はひとと違うらしいのですが、じゃあ何だと思ってるのだろう……と考えてみて、「アレだ」と思い当たるものがひとつありました。


 タイトルにも挙げた、ポケモンバトル。

 TCGトレーディングカードゲームの対戦、でもいいでしょうか。


 ポケモンの対人戦を本気でやったことはないので、ハイエンドでの心境についてはあくまで想像ではありますが……

 ポケモンの対戦をやるにあたって、手持ちのポケモンは当然鍛えるでしょう。個体値厳選しますし、レベルやパラメータも上げますし、持たせる技も検討しますし、属性相性などもあれこれ考えます。

 そうして育てたポケモンには愛着もあるでしょうし、大会で負ければ気落ちもするはずですが……自分のポケモンが負けたからといって、トレーナーである自分の人格否定や存在否定と受け取ることは、あまりない気がします。

 バトルの勝敗にはいろいろな要素が絡むので(属性相性や技の相性や、時には「命中率90%の技が土壇場で外れた」なども)、かならずしもポケモンの強さの問題ではないですし。

 もし仮に自分の戦術ミスや、その他自責の要因で負けたとしても「こんなミスをやる自分はポケモントレーナー失格だ、ポケモン辞めた方がいい」までいくことはあまりないんじゃないかな、という気がします(実際の経験はないので断言はできませんが。もし「なるよ!」とのことでしたらすみません……)


 自分にとって、公募原稿は手持ちのポケモンなんだろうな、という気がします。

 丹精込めて育てた、持てる戦略戦術のすべてを託した戦友。けれどあくまで「戦友」であって、自分ではない。

 そんな存在なのだと思います。


 そろそろ次の大会へ向けて、ポケモンを育てる頃合になってきました。

 次はどのポケモンで、どんな技編成で行くか。考える段階は楽しいですね!

 育てる段階(プロット・本文の作成)も楽しいし、送り出す段階(応募)も高揚しますが……自分の場合、結果を見にいく瞬間だけがどうにもならない感じです。発表の瞬間の胃痛が、ほんといちばん負荷高い……。

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