凶行

 最初の事件から数日が経ったある日の午後だった。警察に殺人事件が起きた、との通報があったのは。圭はマッドグリーンの仕業かは分からなかった。それも当然、現場にマザー・グースの一節が書かれた文章があるか、分からないからだ。



氷室ひむろけい。通報によると、手の込んだ殺害方法らしい。つまり、マッドグリーンによる殺人の確率が高い。前回の現場に行った二人が今回も担当してくれ」それが西園寺さいおんじ警部からの指示だった。合理的な判断だ。



 しかし、圭は内心、行きたくなかった。前回は指がすべて切り取られていた。今回もひどい殺し方に違いない。そんな現場を見て正気を保っていられる自信がなかった。しかし、これも市民を守るため。そこは、刑事として踏ん張らなければいけない。



「了解です」圭は覚悟を決めて返事をした。





 現場はとあるマンションの中庭だった。管理人が花好きなのか、様々な花が植えられていた。ピンク色の朝顔が目を惹いた。夏といえば朝顔。小学生の時に学校で育てていたのを思い出す。



 いや、今は感傷に浸っている場合ではない。今回の事件がマッドグリーンによるものかが、大事だ。頼むから、違ってくれ。圭はそう思ったが、その願いは叶わなかった。やはり、現場にはマザー・グースの一節が書かれた文章が置いてあった。



「テッサリーの1人の男。不思議なくらい、賢い男。きいちごの茂みに飛び込んで、目玉二つともひっかきだした」



 圭は文章を見ただけで吐き気を催した。どんな殺され方をしたか、死体を見るまでもない。無惨な死体が自動的に頭に浮かぶ。



 氷室先輩はすでに死体を観察していた。



「それで、死亡時刻は分かったのか?」と氷室先輩。



「おおよそ4時以降と思われます」先に到着していた刑事が答える。



「なるほどね。確かにそのようだ」氷室先輩は朝顔を見ながら言う。



「先輩、花の鑑賞をしている場合じゃないですよ!」



「いや、鑑賞じゃない。観察をしているんだ。朝顔の花びらをよく見てみろ」



 氷室先輩の言う通り、花びらを見ると、赤黒い血液と思しきものが付着していた。



「先輩、確かに血がついてますけど、犯行時間までは分からないのでは?」圭は純粋に質問をする。



「圭、朝顔はな、日没の8時間後から10時間後に咲くんだ。必ず朝に咲くわけじゃない。今は夏だから、日没は19時すぎ。朝顔の花びらに血が付いている、つまり犯行はおおよそ4時以降だと推理できる」



 氷室先輩の知識量と観察眼には敵わない。寛と競わせたら、デッドヒートを繰り広げるに違いない、そう思った。今はそれどころではない。死体の状況を観察しなければ。



 やはり、死体の状況は酷かった。マザー・グース通り、目は両方ともくり抜かれ、庭に転がっていた。さすがにきいちごの茂みではないが、ご丁寧にも花壇の中に落ちていた。話によると、先着組は目玉を探そうとして、間違えて踏んでしまったらしい。想像するだけで身の毛がよだつ。



「やはりか……」氷室先輩の視線の先にはマッドグリーンからのメッセージが置かれていた。またもや緑色で書かれている。



「警察の諸君、君たちが間抜けなせいで、二人目の犠牲者が出た。私の手はさらに血を欲している。さて、次は誰を殺そうか」



 明らかに警察を挑発している。マッドグリーンの作戦に乗ってはダメだ。冷静になれ、冷静に。



「今回の犠牲者は宮本みやもと隼人はやと、26才、フリーターっと」氷室先輩は情報収集に集中していた。



「どうやら、結婚しているようですよ」圭は被害者の左手薬指の指輪を指す。



「なるほど。前回の考古学者は独身だったから情報が少なかったが、今回は大丈夫そうだな。いや、家族の死は関係者にとってはショッキングか……」氷室先輩がつぶやく。





 早速、被害者の奥さんへ聞き込みをするべく、エレベーターに乗る。



「圭、お前はマッドグリーンはどんな奴だと思う? 今回の事件で情報が増えたはずだ。まあ、被害者も増えたわけだがな」氷室先輩は皮肉混じりに言う。



 圭はしばらく考え込む。そして、持論を展開する。「マッドグリーンの犯行はエスカレートしています。今回は目玉をくり抜いていますから。彼もしくは彼女は自身をコントロール出来る状態ではないかもしれません」と。



「確かにそうかもしれない。付け加えるなら、犯行時間は明け方という共通点がある。犯行を見られたくないのなら、真夜中に殺しをすればいい。朝という時間にやることはリスクが大きすぎる。夜勤をしている可能性もある。あくまで可能性の一つだがな」



 そんな会話をしているうちに、目的地の5階に着いた。確か502号室のはずだ。エレベーターを降りると、右折する。部屋番号を確認して、インターフォンを押す。



「すみません、警察です」そう言って圭は身分証を提示する。



「ど、どうぞ。今から鍵を開けます」そう応答した女性の声はか細く、小さかった。





 部屋に入ると異臭がひどかった。理由はすぐに分かった。簡単に言うならゴミ屋敷状態なのだ。机にほっとかれたコーヒー缶、カップ麺の入れ物にビール缶。被害者のだらしのなさが目に浮かんだ。奥さんが片付けているのか、少しはましだけれども。



「私は宮本みやもとまいです。主人の――隼人のことで来たんでしょう?」被害者の奥さんが言う。



 隠しようがないので、「そうです」と氷室先輩が告げる。



「やはり、まずは私を疑うんですね? ドラマで観たことがあります」と舞さん。



 さすがに肯定することは出来ないので、「ドラマの観すぎですよ」と圭は言葉を返す。家族なら動機があるかもしれない。しかし、犯行文からするに、マッドグリーンによるものと見るべきだろう。その場合、舞さんは容疑者候補から外れる。



「舞さん、あなたは旦那さんに相当困っていたはずだ」氷室先輩が舞さんを見つめながら言う。



 小さい声で「ええ、まあ。見ての通り散らかっていますから」と舞さんが応じる。



「いや、この家の状態ではないです。舞さん、あなた自身のことです。あなたはマスクをしている。一見、急な来客のため化粧をする時間がなかったように見えます。でも、実際は違う。少しはみ出てますよ、口の周りのあざが。旦那さんから暴力、いわゆるDVを受けていたのでは?」と氷室先輩。



 全然気が付かなかった。よく見ると、マスクの端から青あざが覗いている。



 どうやら、その通りだったらしい。舞さんはうつむいて、無言で首を縦に振る。



 つまり、動機は舞さんにもあることになる。もし、マッドグリーンに被害者である隼人さんの殺人を依頼していたら? 可能性はゼロではない。闇サイトのようなものがないか、後で確認が必要だろう。すぐさま、メモを取る。



 その後も形式上の質問をしたが、大きな収穫はなかった。つまり、三人目の犠牲者が出る可能性が高まったのだ。間違いなく世間に叩かれる。いや、それはどうでもいい。圭の心は焦りでいっぱいだった。早くマッドグリーンの暴走を止めねば、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る