暴走

 事件の翌日。圭は次男の刹那せつなにとある依頼をしていた。殺人を請け負う闇サイトがないか探すことを。





「兄さん、収穫はなしだ。そういうサイトは、すでに警察が取り締まっている。やはり、マッドグリーンは無差別に人殺しをしてるに違いない。問題はマザー・グースのどの童謡に見立てて殺すか、だ。これが問題解決の糸口だと思う。まあ、それだと、奴の犯行を止めることが出来ないわけだけど」と刹那。



「やっぱり、そうか。刹那、助かったよ」そう言うと、圭は電話を終える。



 個人的な恨みの線は消えた。この殺人狂が第三の事件を起こすのは、火を見るより明らかだ。そして、嫌な予感は的中した。またしても、殺しを許してしまった。





「こりゃ、ひどいな……」氷室先輩でさえ、殺人現場のありさまに動揺しているようだった。



 現場はある家のダイニングで、死体はテーブルの下にあった。いや、正確には違う。。やはり、今回もマザー・グースの一節が毒々しい緑色で紙に書かれていた。



「お母様が私を殺した。お父様は私を食べてる。兄さん姉さん弟妹、テーブルの下で骨を拾って、冷たい石のお墓に埋める」と書かれた文章が。一人暮らしの老女だったから、殺したのはもちろん、マッドグリーンだ。後半部分に見立てているに違いない。



 わざわざ、被害者を骨だけにしている。つまり、マッドグリーンは長時間、ここに滞在していたことになる。しかし、奴につながる証拠は見つからない。指紋一つ残していない。



 圭は自分の無能さに腹が立った。早くマッドグリーンを捕まえないと、平穏な生活が市民に訪れることはない。



「圭、焦るな。あいつの思うつぼだ。冷静になれ」氷室先輩が圭の肩に手を置く。その手の温もりがじっくりと広がってくる。目の前の冷たい骨とは正反対のものが。



「これで三件目か。やはり、マッドグリーンはまた俺たち警察を挑発するような文章を残してやがる」氷室先輩が紙切れを手に取る。



 見るまでもない。どうせ「無能な警察は三人目の犠牲者を出した」という内容に違いないからだ。マスコミを通してバッシングされるのが、目に見えている。しかし、それを気にしている暇はない。それこそ、マッドグリーンの思うつぼだ。





 署に戻ると、途方に暮れた西園寺さいおんじ警部の姿があった。すっかりと弱りきっていて、見ているこちらが辛くなるありさまだ。いつもは心強い背中が、小さく見える。



「これで三人目の犠牲者か……」西園寺警部がポツリと言う。静寂を壁にかけられた時計のチクタクという音だけが響きわたる。



「警部、こればかりはどうしようもないです。マッドグリーンは指紋を一つも残さない徹底っぷりですから」氷室先輩がフォローする。



 そう、そこが問題なのだ。殺人狂でありながら、足がつかないようにしているのだ。大胆かつ繊細な印象を受ける。次こそは、奴の犯行を止めてみせる。しかし、それから一日も経たないうちに犠牲者が出てしまった。それも二件同時に。




 

 四人目の犠牲者は初老の男性。現場は昔は栄えていたであろう商店街の一角だった。マザー・グースの内容はこうだった。



「雨だ雨だ、土砂降りだ。爺さん負けずに高いいびき。ベッドに潜り込んだはいいけれど、頭ぶつけて、朝になっても起きられない」



 やはり、マザー・グースに見立てて、後頭部を殴られ、ベッドに放置されていた。夏だから腐敗するのが早く、現場の臭いがきつい。アパートの大家によると、いつも時間に正確な被害者が、朝の日課である散歩に出かけなかったのを不思議に思ったらしい。部屋を覗いたら、悲惨な状況だったそうだ。




 五人目の犠牲者は、まだ幼稚園に通う前の子どもだった。毒々しい緑色で書かれたマザー・グースの歌詞はこうだった。



「タフィーは生まれた、月夜の晩に。頭を土瓶どびんに突っ込んで、かかとをまっすぐ突っ立てて」



 まるで、有名映画のワンシーンのごとく、頭を瓶に押し込まれたような状況だ。まさか、マッドグリーンが子どもまであやめるとは予想外だった。これはいよいよまずい。圭の無念さはより増した。被害者である子どもには輝かしい未来があったかもしれないのだ。両親は嘆き、悲しみのあまり、自殺しないか圭は心配だった。





 署に戻ると、まさにお通夜のような雰囲気だった。



「くそ、またしてもやられた!」氷室先輩が拳で机を叩く。あまりの強さに、手が真っ赤に腫れ上がる。いや、腫れあがるにとどまらず、わずかに血が滲んでいた。



 西園寺警部は無言だった。二日間で三人も殺されたのだ。無理もない。圭たちにはもう打つ手が見つからない。このまま、指をくわえて見ていることしかできないのか?



「ふと思ったんですが、今回の二件、現場に挑発文がなかったですね。なにか意味があるんでしょうか」圭が質問する。純粋な疑問からだった。



「一つの可能性としては、どちらを先に殺したのか、判別されたくないからかもしれない。しかし、二つの現場は距離が近い。どちらが先でも、誤差の範囲かもな」氷室先輩の分析だ。



 二つの事件もやはりマザー・グースによる見立て殺人だった。これはもはや病的と言ってもいい。マッドグリーンは精神異常者かもしれない。後からひろしに聞こう。最近の依頼者に精神異常者がいないかどうかを。






「兄さん、該当者はなしです。そもそも、精神異常者が弁護の依頼をしてくることが、まれですから」電話越しに寛が報告する。



「そうか。こりゃ、マッドグリーンを止める術はないのかもな」と圭は弱音を吐く。



「『今汝はかぎれり』。『論語』の中での孔子の言葉です。限界は自身が決めるものです。今、兄さんがマッドグリーン逮捕を諦めたら、それこそ捕まえることはできません。マッドグリーンへの執念を持ちつつければなりません。まあ、それで身を滅ぼしては、意味がありませんが」



 確かに寛の言う通りだ。有名人の言葉にも似たものがある。「打ちのめされたかではなく、立ち上がったかどうかが大切だ」と。今ここで、マッドグリーン逮捕を諦めては、被害者たちが浮かばれない。



「寛、ありがとな。目が覚めたよ」と圭。



「私も可能な限り、サポートします。兄さんは無茶してはだめですよ。まあ、一番無茶をしそうなのは刹那せつな兄さんですが」寛は心配していた。





 電話を終えると署に出勤した。そこでは、すでに西園寺さいおんじ警部と氷室ひむろ先輩が頭を抱えていた。何か難問にぶつかっているに違いない。圭は寛の言葉を思い出した。警部たちを引っ張るくらいの気持ちでいなくては。圭は桜の代紋に手をやり、誓った。差し違えてでもマッドグリーンを捕まえてみせる、と。

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