三、

 人波に着いていきながら、平台の上にところ狭しと並べられた魚や野菜を見て回る。初めて目にする種類のものも多いし、色合いも鮮やかだ。乾物や練りものや漬物もどれも美味しそうで、どれか買って帰りたいのだが迷ってしまう。私は島の南港市場を既に何周かしているところだった。

「美月ちゃん」

 おでん屋のおかみさん-吉川さんがこっちこっちと手を振っている。できたてを買ったから、と黒糖カステラをお裾分けしてくれた。

「なんだかご免ね、若い子を私らに付き合わせちゃって」

「仲田さんのお話で、島のことがよく分かって面白いです」

 市場の後ろ、漁船埠頭のベンチに座ってカステラを頬張る。もう荷揚げは全て終わっていて、海鳥が何羽か餌をつついていた。

「最近古い馴染みを亡くしたもので、元気なかったから」

 吉川さんの脱色してパーマの解けかけた髪が、潮風に揺れる。

「上原充生さんだと仰ってました」

「そう、有名な画家なの、知ってる?」

 私が頷くと、吉川さんは他人事のはずなのに嬉しそうに笑った。

「二人つるんで、昔から目立ってたのよ、不良だってさ。絵が上手くても、ここじゃ食っていけないもんね」

 一度だけ、二人に描いてもらったことがあるの。中学生の時。緊張したわ。吉川さんのほんのり紅くなった頬は、当時を思い出しているからかもしれない。近所に住む、ワルそうだけどカッコいいお兄さんたちだったのだろう。

「美月ちゃんは、一人旅が好きなの」

 お節介ついでに訊いちゃうわ。若いお客さんたちはカップルかお友達のグループが多いけれど。吉川さんは私の両手にいっぱのミニトマトを乗せてくれる。

「私、何をするのも一人で大丈夫なんです。誰かとだったらもっと楽しいとか、一人じゃ寂しいとか、あまり思わなくて」

 ……だったんですけど、ミツキ・ウエハラの絵を見てたら、この人どんな人なのかな、って興味がわいたんです。同じ名前なのに、どうして見えてるものがこんなに違うのかなって。私は絵が描けないから上手く伝えられないけれど、ミツキ・ウエハラみたいに皆、世界はああいうふうに見えているんでしょうか? 吉川さんは刷毛はけではいたような雲を眺めて、小さく笑ったようだった。

「誰も同じようには見えていないでしょう。私だって子どもが小さくて仕事をいくつも変えていた頃は、この島が大嫌いだったし」

「吉川さん」

 どうして、と尋ねようとした矢先、男性がこちらへやってきた。あら和志くん、と吉川さんが立ち上がる。

「今日は非番?」

「そうなんですけど、伯父さん見かけませんでしたか」

「仲田さんならまた、美術部の引率じゃないかしら? どうしたの」

「いや、知り合いになった旅行客に島を案内するように言われて」

 恐らく同い年くらいの男性の視線が、疑問形になりながらベンチに座った私に降りてくる。あー、それは美月ちゃんのことよ、ね。と、吉川さんが振り返ってわくわくしたような声で言った。またそういうことを……吉川さん!!


***


 新崎和志さんは仲田さんの妹の息子で、この島の派出所に勤めている。警察官の家系なんですよ、と溜め息まじりに言う感じはちょっとだけ仲田さんに似ている。

「マリンスポーツしにいかないんですか?」

 けれど性格は正反対に違いない。この島での楽しみって言ったら、海でしょう? 九美の珊瑚礁なんて凄いですよ。水の透度も砂の白さも生物の多さも抜群ですけど、潜るとホント、全部がひっくり返って虹の中を泳いでいるように見えますからね。

「新崎さんは海が好きだから、この島で働くことに決めたんですか」

 あまりにあっけらかんと言われたので、私は皮肉で返したくなった。新崎さんは日に焼けた短髪を掻く。

「大学は本州にいったんですけど、就職でまあ……いろいろありまして」

 結局戻ってきて警察官に落ち着いてしまいました。最初は肩身が狭かったんです。本州まで大学進学してそれなりの資格を取ったのに無職無給で帰ってきて、暫く引きこもってましたからね。ここでの仕事って言っても、家の事業を継ぐか公務員かくらいしかありません。最近は観光業が盛り上がってきてますが。伯父は俺が落ち込んでいた時も、再就職活動してた時も、ずっと励ましてくれていたんです。


 観光客に人気といえば双曲橋や池東岩賽でしょう、インスタ映えとか?、と新崎さんが連れていってくれたのは、海上に伸びる橋と干潮時にだけ現れる古い牡蠣の養殖簀跡で、ガイドブックで紹介されていたけれども、目の前のもののほうが遥かに綺麗で驚いた。

「こういう青ですよね、ミツキ・ウエハラの青って」

 藻と牡蠣殻だらけで波に洗われた簀仕切りの上をそろそろと歩くと、まるで足元に街の基部全てが沈んでいるような幻想的な光景が現れる。天からの光を碧玉の柱にした伝説の海底都市みたいだ。思わず口に出てしまった。

「俺は伯父の絵のほうが好きです」

 ポケットに片手を突っ込んだまま平然とついてくる新崎さんが、好青年に似つかわしくない忌々しげな口調で呟いた。充生さんは網元の息子で、親は美術進学に反対だった。伯父は同級生たちと直談判に行ったりカンパしたり、随分揉めたし手助けしたと聞いています。伯父だって実力はあったはずなんです。でも運命に選ばれたのは充生さんで、伯父は一生この島を離れられない。

「私、絵には詳しくないんですが、ミツキ・ウエハラの絵って、視点が複数ありますよね」

「どういうことです」

「画家一人が見えたものを描いているんじゃなくて、そばに友人や家族が仕事仲間がいるんだろうなあ、って感じられるような絵だと思ったんです、個人的に」

 だからこの島に来てみたかった。それがどんな人たちなのか、教えてほしかった。新崎さんは目を瞬かせたあと、これまた警察官にあるまじき意地の悪そうな笑みを浮かべた。伯父の絵は充生さんがいなければ完成しません、充生さんの絵も伯父を欠くことができないとしたら、いい気味です。私は新崎さんのくるくる変わる表情を見ていて脚を滑らせ、海に落っこちた。

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