第2話 ザ・ヤードにて



「……また君か」


 簡素な机と椅子しか無い、大ロンドン警視庁ザ・ヤードの取調室。その椅子にチョコンと、チャールズと名乗る少年が座っていた。三日前に出会った時と服装などは、それほど変わっていない。少年は興味深げに取調室を見回していた。

 取調室に入り呟くのはマーティンと呼ばれていた、陰の様な美青年である。少年の前にはスコット警部が座っていた。ボサボサの金髪を掻き回し、盛大にフケをまき散らす。

「……急に呼び出して、何の用だ?」


 彼は指でマーティンに、写真を弾き飛ばした。それを空中で受け取ると、ポラロイド画像を眺める。この世界では携帯用電源として電池などは、それ程普及していない。どんなに小型化していても、動力は全て蒸気機関である。その為、証拠写真などは現像などが容易な、モノクロポラロイド型が普及していた。

 大ロンドンでは1730年代の産業革命から現時点(1890年代)まで、エンジンなどの内燃機関やモータなどは研究段階であり、実用化されていない。蒸気機関の超小型化に成功してから、実生活における動力の殆どを蒸気機関で賄っている。


 彼が眺める画像には髭を蓄えた紳士が、正面からコチラを睨み付けているように写っていた。何故か右目周辺にアザが浮かんでいる。マーティンは小首を傾げた。どうやら知らない顔らしい。

「……コイツは誰だ?」

「また、例の偽物だよ。ヘンリー・バリーというクズだ。娼婦上りの女性と三回結婚しているが、今は独身だ」

「……それはどういう意味だ?」

「三人の女性は変死や行方不明になっている。多額の保険金をかけていたから今、ヘンリーはちょっとした小金持ちだ。見栄えのする紳士然としている」

「……確かにクズだな。それと彼に、どういう関係があるんだ」

 スコットは肩をすくめて、少年に意味有り気な視線を向けた。

「その写真の男に襲われたんだよ。ヘンリーはだ。今度は真っ昼間、街のど真ん中で大立ち回りを起しやがった」



 その日、チャールズはバス停で蒸気バスを待っていた。午前中は学校に行き、昼食後は工場で働く事が彼の日課になっている。前回深夜にペド野郎に襲われたのは、工場での作業が夜半に及んだからであった。

 スコット警部に注意されたように、それから少年は深夜の移動を控えるようになっている。安全上の理由から、深夜残業を止めるようにと警部がわざわざ工場主に警告してくれた。お陰で、夕暮れと共に工場を離れる事が出来るようになったのだ。


 停留所で昼食代わりのリンゴを齧る少年。授業が終わり工場へ向かう途中のチャールズは、嫌な視線を感じた。見れば反対方向へ向かう停留所から、髭を生やした見知らぬ紳士が少年を舐めるように見つめている。

(何か嫌な感じ。この前の変態ペド野郎みたい)

 髭紳士はチャールズと目が合うと、嬉しそうにニンマリと笑う。それから停留所から外れて、彼の方へと近づいて来た。シルクハットを軽く持ち上げて、ウィンクをする。

「やぁ、こんにちは。美しい少年よ!」

(あ。コレ、ヤバい人だ)


 少年は直ちに、その場を撤退しようと後退った。その彼の腕を意外な機敏さで、ガッシリと掴む髭紳士。

「そんなに警戒しなくても大丈夫。そこらのカフェで、ティータイムなどいかがかな?」

「イヤイヤ、これから仕事なんで」

「いかんなぁ。こんなに可愛い少年に労働を強いるとは。世の中、間違っとる! 何、お金なら心配いらない。今日一日で、どの位稼ぐのかね。そのくらいのお小遣いはあげるから」

 そう言いながら髭紳士は、裏路地に少年を引っ張り込んだ。慌てて手を振り解こうとするチャールズの目の前に、魔法の様にブーメランの様な大型ナイフが現れる。


「これはククリナイフと言ってね。頑丈で良く切れる。とても遠い国からやって来た、私の宝物なんだ。その可愛い顔を、ここで切り刻まれたくなければ黙ってついておいで」

「何でこの国は、こんな変態ペド野郎だらけなんだ」

 少年の呟きに、髭紳士は眉を顰めた。

「変態ペド野郎とは心外な。我こそは切り裂きジャック様なる……」


 ガツッ!


 彼が話し終わる前に、少年は右足を大きく振り抜く。鈍い音を立てて、硬い靴のつま先が髭紳士の脛に突き刺さった。彼は余りの衝撃に少年の手を放してしまう。右手に握ったナイフは辛うじて、取り落とさなかった。

「グッ! ……無駄な抵抗を」


 ピーッ!


 スコット警部から渡されていた警笛を、チャールズは目一杯吹き鳴らした。何事かと表通りから、路地を覗き込む人々。髭紳士は慌ててナイフを隠そうとする。それを見た少年は、腰のホルダーから筒状の物体を取り出し、強く振った。


 ジャキッ!


 伸縮性の筒は、ステッキとなる。これを少年は髭紳士に突きつけた。彼は苦い表情を浮かべて、ステッキを振り払う。更に大きな身体で隠すように、ナイフを包み込むと少年を威嚇する。

「大人しくしろ! これ以上抵抗するなら、ここで……」

 手を伸ばしチャールズに、つかみ掛かろうとした彼はガクリと身体を傾けた。少年に蹴られた右脛が折れていたのだろう。踏みとどまる事なく、地面に崩れ落ち……


 ガキン!


「あれ? ナイフを弾き飛ばそうとしたのに」

 少年が大きく振り回したステッキは、髭紳士の顔面にクリーンヒットした。彼は呻き声ひとつ挙げずに、失神する。

 ドサリと倒れ込む髭紳士。その瞬間に警笛の音を聞き付けたザ・ヤードの警官たちが、裏路地に駆け込んで来た。



「そういう訳で、そのヘンリーと言うクズ男は、敢え無く御用となった訳だ」

「……彼が、ここにいる訳は分かった。俺が呼ばれた訳を聞かせて貰おう」

「あぁ、それなんだがな」

 長い話を語り終わったスコット警部は、冷え切った紅茶で喉を潤した。


「お前さん、この坊ちゃんと組んで偽切り裂きジャックやっかいもの退治をする気は無いかね?」

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