第3話 トロフィー
「……断る」
マーティンの返事は、にべも無い。愛想という物が完全に欠落していて、いっそのこと清々しかった。しかし彼の返答を予測していたのか、スコット警部は全く怯まない。
「そこを何とか。
「大体、偽ジャック退治に、彼は関係無いだろう」
「それが関係大ありなんだ。三日前にお前が生捕りにしてくれた奴と、今日捕まえた奴が、どうやら知り合いでね」
スコット警部は、また長い説明を始める。ヘンリーを尋問した結果、偽ジャック達には緩い連携があることが判明した。例えば偽アリバイを成立させる為に互いに偽証言を行なったり、有益な武器などの融通を効かせるような、互助会的な組織である。
そこで右手を落とされた男と、ヘンリーは面識があったらしい。
「お互いサイコパスなんだから、連携なんか取らずに単独行動して欲しいよな。しかし、今回の供述で良く分かった。通りで奴らが妙に上手く立ち回っている、と思ってたんだ」
「……その互助会とやらは、誰が主催しているんだ?」
「さてな。その辺りは上手く、隠蔽されているらしい。捕まえた二人に、かなり強く質問したが知らないと言っていた。恐らく嘘はついていないだろうよ」
言外に拷問を匂わせ、スコット警部は眉を顰めた。
「だが一つ、気になる情報を聞いた。互助会ではトロフィーを設定している」
「……トロフィー?」
スコット警部は、チャールズに顎を向けて鼻を鳴らした。
「猟奇的殺人被害者の質の優劣を競うんだそうだ。今一番、価値が高いトロフィーは、少女と見間違えるほど美しい少年。彼みたいな人間が対象なんだと」
「ねぇねぇ、それでボクはマーティンさんの事務所に行くの?」
ザ・ヤードの官舎を出ると、二人は表通りを歩き始めた。
「……君が住んでいるのは学生寮だろう? そこで招かざる客を迎える訳には行かない。まだ俺の事務所の方が防御に適している」
闇の青年はため息を付いて、少年を見つめた。
「俺は職業柄、守秘義務に縛られている。事務所の場所も極秘事項だ。余り詳細を他人に公開しないで欲しい」
「了解です。そういえば、マーティンさんの職業って何なの? ザ・ヤードにも出入りしてるし、普通の職業じゃ無いよねぇ。あの剣の腕前からすると、許可書を持った殺し屋さん?」
「……違う。しがない何でも屋だ、とでも思っておいてくれ」
「あれから調べたんだけど、居合って東洋の抜刀術なんでしょう? どこで習ったの」
「……」
それ以降、チャールズが何か質問しても、マーティンは口を開かなくなる。必要事項に関する話はしていたが、また元の無口な美青年に戻ってしまったようだ。二人はベイカー通りを横切り、蒸気パイプが這い回るレンガ壁の建物に入った。
この辺りでは一般的な三階建ての建物で、同じような外観の建物が通りの端まで、ズラリと並んでいる。美青年は目立たない、その中の一つ木製の扉の前に立ち止まった。少年を手招きし、扉の上部を指差す。
「……ここに髪の毛が張り付けてあるのが分かるかな?」
光の加減だろうか? 注意してみなければ気が付かない部分に、黒い髪の毛が張り付いていた。
「これは俺が部屋を出る時に張り付けた物だ。ちょっとした風や蒸気に吹かれても、飛ばないようになっている。これが付いていない時は俺が中にいるか、この仕掛けを知らない誰かが入り込んでいると思ってくれ」
トントン トントン トン
独特の節が付いたノックをする。
「ドアを開けるときは必ず、今のリズムでノックする事。もし違うリズムのノックがされたら……」
青年はポケットから鍵を取り出すと、鍵穴に差し込み扉を開けた。玄関の壁に銃身を切り詰めた、蒸気散弾銃が立てかけてある。手元の丸い圧力計を見ると、発射可能な蒸気圧に調整されていた。
「躊躇わずにコイツでドアごと撃ち抜け。それが出来なければ、奥のベランダから外に逃げ出すように」
そう言うと、鍵をチャールズに手渡した。少年は手の中の鍵を見つめる。只の金属片ではなく、歯車やベアリングボールの付いた精密機械だった。
「ドアの髪の毛と、2・2・1回のノック。それから不審者が来た時の対処ね。ボクは銃を撃つのは苦手だから、逃げ出す事にするよ」
「……随分と落ち着いているな。普通は殺されかけたりすれば、そんなに平常心を保てないものなのだが」
マーティンの呟きを聞き流し、少年は部屋の内部を観察し始める。
殺風景
リビングの印象は一言で言えば、それに尽きた。必要最低限の家具とチリ一つない室内。何となくザ・ヤードの取調室を思い出す。生活感がまるで感じられない部屋だった。
「ここは大ロンドンに、幾つかある俺の拠点の一つだ。自由に使って貰って構わない。今回の馬鹿げた騒ぎが落ち着くまでは、学校など必要な事以外、私的な外出は控えて欲しい」
「学校には行って良いんだ。助かるなぁ」
チャールズはホッとした表情を浮かべる。それを見たマーティンは切れ長の目を細めた。男性なのに何やら妖しげな、ゾクリとする気配が漂う。
「君たちの年頃の子供は大抵、嫌々学校に通っているものだろうに。大したものだな」
「ボクは、この国の技術を大急ぎで学ばなければならないんだ。だから学校の後は、工場や作業場で実技や実務も体験している」
「……学生の内は、学業以外に学ぶべきものがある筈だ。志は素晴らしいが、多くの事柄を体験した方が良い」
「でも……」
マーティンの視線は透明で、少年は内面を見つめられている様に感じ、モジモジと身を竦める。
「どうやら君も、俺に劣らず訳有のようだな。話す気になったらで良い。教えてくれ」
「今、話さなくて良いの?」
少年はキョトンとした表情で小首を傾げた。マーティンは肩を竦める。
「君の秘密を知っても、今回の依頼解決の助けにはならない。君は偽ジャックの
自分の事を深く追及されずに済んだ少年は、ホッとした表情を浮かべる。それから小首を傾げて質問した。
「ザ・ヤードの依頼を受けてくれたのは、ボクの身の安全を守ってくれる為なのかな。初めは断る気、満々だったでしょう?」
「……」
影のような美青年は、またも口を閉ざしてしまった。日が沈み蒸気混じりの暗闇が、大ロンドンを包み始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます