第6話
☆
――僕は重い扉を開けた。
彼女はいつもそこで待っていた。金曜日の夕暮れに現れる君はどこか"うつろ"だった。
それが心地良かった。それが彼女なりの愛だった。だから僕の前に現れて、僕の心を包んでくれた。
★
彼女と出会ったのは去年の夏、大学内のエレベーターで知り合った。
遅刻寸前の僕は小走りで講義室へ向かっていた。既に幾分か遅刻欠席を繰り返していた為に、今日だけは絶対に休めなかった。
講義室は5階にあった。一瞬階段を使うか悩んだがそんな体力の余裕は無くて、エレベーターを待つことにした。幸いにしてエレベーターは2階で止まっていたので、すぐに到着した。
僕は急いで乗り込んで、5階のボタンと閉ボタンを押した。そのままエレベーターは閉まろうとして――、
「――ッ」
扉は再び開いた。僕は気付けば開ボタンを押していた。視線の先に手を挙げながら向かってくる女性が見えた。僕はすぐに後悔した。正確に時間を確認した訳じゃなかったけど、恐らく遅刻するだろうと謎の自信が湧いた。
「すみません、待たせちゃって」
「……」
僕は無言で閉ボタンを押した。今何か言ってしまえば、苛立った気持ちが抑えれなくなる予感がした。
彼女は何の悪びれもなく――顔色一つ変えずに、歩いて乗り込んできた。それが僕を酷く刺激していた。少しでも罪悪感らしきものを出してくれたら僕は許せたはずだ。だけど彼女は堂々と佇んでいた。先程の言葉もどこか他人事で、まるで誠実さに欠けた声だった。
すぐにでも講義室へ向かいたい僕の気持ちは、とうに吐き所を無くしていた。
僕は釈然としない気持ちを紛らわす為にスマホを開こうとした。何か慰めになる訳じゃない。それでもこの、やるせない感情と正面から向き合う元気は残っていなかった。
しかしそれも彼女によって遮られた。
「スマホ、見ないでもらえます?私も遅刻したくないし……」
彼女はとても小さな声で呟いた。だけどそれは決して彼女が人見知りだからでは無い。余りにも透き通った声だから、大声を出す必要がないからだ。現に僕の耳には確かに届いていた。否、届いてしまった。届いてしまったから――、
「……は?」
僕は気付けば声を漏らしていた。抑えていた感情がほんの一瞬零れてしまった。
「遅刻……したくないんですよね?上手く言えないんだけど、とにかくスマホ開かないで。あるのか分かんないけど時計とかも……」
色んな感情が渦巻いた。そしてそれは混ざりあって停滞と困惑を生み出した。僕はそれ以上何かを口に出すことは無かった。ただ今は何となく、彼女に従った。
★
それが彼女との馴れ初めだった。あの日僕は遅刻をすることはなく、無事に単位が取れた。僕は自然の流れとして、彼女に惹かれていった。
彼女の周りにいるといつも不思議なことが起きた。それが僕の日常を絶え間なく刺激した。彼女もまた、僕の何かに刺激を貰っているようだった。それが何なのか僕は深く問い詰めたりはしなかった。何かが終わってしまう気がして、壊したくなかった。
それでもいつか終わりは訪れる。風というのはいつの間にか現れて、いつの間にか去っていくものだから。
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終わり所を見失い、1300字での更新です。
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