第3話


 起きてから一時間半が経過しようとした頃に、ようやく彼女が帰ってきた。彼女はとても驚いた顔で、僕を見つめていた。


 僕は初めて彼女の驚いている顔を見た。彼女は普段から顔に表情を出さない人だった。二人で映画を見ている時すらも、彼女の表情が変わることは滅多になかった――彼女は決して感情が欠落した人間ではない。僕の前には決して見せないだけで、内に確かな感情を持ち合わせている普通の女の子である。


 これまで彼女が僕に見せたことのある表情は三つだけだ。いつもよく見る真顔と、人と交流する時に見せる巧みな笑顔、そして肌を重ねる時に見せる少し赤らんだ顔。

 無限に膨張するチリヂリとした冷たさに生命を感じさせる暖かさ、それらの緻密な交わりによって彼女は靱やかに存在していた。


 ――そんな彼女に"第四の顔"が現れた。

 

「えっ……いつから?もしかして寝たフリでもしてたの?」と彼女は僕に尋ねる。


「いや。でもついさっき起きたばっかだよ」と僕は咄嗟に嘘をついた。理由は特になかった。僕の本能がそうさせた。


「そう……うん」と彼女は消え入りそうな声で呟いた。「それならいいんだ。ごめんね、いつもならまだ寝てるでしょ?だから驚いちゃって」


「全然平気だよ。ただ合鍵が無いからさ、帰ろうにも帰れなくて」


「ちょっと近くのコンビニに行ってたんだ。もう帰ってくれて大丈夫だよ、待っててくれてありがとう」と彼女は笑う。


 正直に言うと、僕は彼女にいくつか聞きたいことがあった。でもその質問は何の役にも立たなそうだったし、聞いたところで答えてくれそうにもなかったので諦めた。「じゃあ、また」と僕は彼女と入れ替わるようにして部屋を後にした。

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